第2話

 絵七えなと私が出会ったのは、幼稚園の年中クラスだった。初めて話したのは、園庭で男の子に奪われた絵七のハンカチを私が奪い返したことがきっかけだった。


 男の子を殴ってまでハンカチを取り返した私を、母親は『正義感の強い子だ』なんて褒めていたけれど、いじわるされて泣いている絵七を見て、その涙で濡れた顔を可愛いと思ってしまっていたことは、誰にも言えない秘密だ。


 絵七は人なつっこい子だったから、それ以来、自分を助けてくれた私の後ろをついてくるようになった。ひとり遊びが好きだった私は、初めは少々困惑していたけれど、いつのまにか絵七と二人で遊ぶことが当たり前になっていった。


 小学校、中学校に進んでからも、私たちの関係性はあまり変わらず、相変わらずひとり行動ばかりの私の後ろに、絵七はためらわずに付いてきた。絵七には私の他にもたくさんの友人がいたけれど、修学旅行の班決めや、バスの座席順ではいつも私のそばに来て、絶対に隣を譲らなかった。


紅葉もみじ、これ、一緒に買わない?」


 中三の時、修学旅行先のお土産売り場で、絵七の心を奪ったのは、何の変哲もない、誕生石をモチーフにしたキーホルダーだった。十一月生まれの私はトパーズで、九月生まれの絵七はサファイア。もちろん本物なわけはなくて、ただの着色されたプラスチックの塊だったのだけれど、私たちはその飾りを買って、通学かばんに付けた。


 それぞれがつけた黄色と青色の飾りは、私たちが歩くたびに揺れて、付属していた鈴の高い音が鳴る。お揃いのその音を聞くたびに、私はなんだか、胸の奥がこそばゆい気持ちになった。


 絵七と私の関係が決定的に変わったのは、私たちが中学三年になった夏のことだった。国が十五歳の子供たち全員に行う適性検査の結果により、絵七は中学卒業と同時に軍人になった。


 前世紀の終わりに起きた地球規模の大災害の影響で、私たちの世界は大混乱に陥り、各地で戦争が頻発していた。将来、国防軍の一員として活躍する優秀な子供達を選抜する目的で、十五歳になった子供達は強制的に検査を受けさせられ、適性があると見なされた子供は、中学卒業と同時に入隊して、特殊訓練を受けることになっていた。


 知力、体力共に優秀だった絵七は、トップの成績で適性検査を通過し、翌年に軍に入った。平凡な私は当然のように選ばれることはなく、普通の高校生になった。


 入隊日前日は、ちょうど今日と同じ、七夕祭りの日だった。立ち入り禁止になっている神社の裏山に勝手に入り、人気のない場所で一緒に空を眺めた。


「天の川、見えるね」

「ほんとだ。珍しい」


 この時期に空が晴れることなんて、最近ではめったになくなっていたから、想定外に見ることができた星空に、私たちのテンションは上がっていた。


 キャッキャと騒いで、着てきた浴衣が乱れているのも気にせずに写真を撮ったりして、お互いの明日からの生活がまるでなんでもないことであるかのような気にさえなっていて。


 だけど、ひととおり騒いだあとの、絵七の突然の真面目な言葉は、そんな空気を一瞬で冷却した。


「あのさ、紅葉」


 言いかけたまま、絵七は一瞬固まる。私は黙って次の言葉を待つ。


「……これ、持ってて」

「え?」


 絵七が差し出してきたのは、去年の修学旅行で買ったあの誕生石のお守りだった。


「だってこれ、お揃いって」


 混乱する私に、絵七は優しく言う。


「なくなったら、嫌だからさ。紅葉が持ってて」


 そう言って、私の手の中に青色の石を置く。一瞬だけ触れた指先がくすぐったかった。


「来年さ、またここに来よう? 約束」

「……わかった」


 泣いたら駄目だと思った。子供のときのように、小指と小指を重ねて。その手が震えていることを知りながら、私にはどうすることもできなかった。そして、その翌年に私たちが再会することもなかった。

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