アルビレオ
霜月このは
第1話
淀んだ空気。甲高い子供の声とそれを叱る母親らしき声。そんなざわめきの中でも、ほんの少しだけしとやな空気をまとう場所があった。ピンクに、青、黄色。長方形に切られた色紙に、サインペンで文字を書いていく人々は、一瞬だけ無口になる。それゆえだった。
そんなよくある景色の前で、私は足を止めた。待ち合わせ前に寄ったショッピングセンターに設けられていた、七夕の短冊を書くコーナーだった。
……懐かしい。
置いてあった水色の短冊を、思わず手に取る。最後にこんなものを書いていたのは、小学生の頃だったか。
笹の葉に飾られている願い事を見てみれば、そこにあるのは幼い文字で書かれた微笑ましいものばかりで、大人である自分にはとてもじゃないが、本当の願いを書くことはできそうになかった。
「お待たせ」
後ろから肩を叩かれて振り向けば、
「
「ううん、さすがにここじゃ書けない」
「そんなに恥ずかしい願い事があるわけ?」
絵七はそうやって私をからかう。
「まさか。何もないよ」
私はなんともないように答える。
「そっか。紅葉はほんと、そういう欲とかあんまりなさそうだよね」
そう言って笑う絵七は、幼稚園の頃からの友人で、いわゆる幼馴染みというやつだ。『そういう欲』というのがどういう欲をさすのかはわからないけれど、少なくとも私が、あまり欲しいものが多いタイプの人間でない、というのは間違ってはいない。そのあたりはさすが長い付き合いがあるだけのことはある。
「行こっか。神社」
「うん」
水色の短冊を元の場所へ返して、私たちはショッピングセンターをあとにした。
時間を潰している間に日が落ちているかと思っていたけれど、午後七時の空はやっと暮れ始めたばかりだった。
大通りを曲がって、神社へと続く参道へと入る。普段は何もない参道は提灯が点り、良い匂いのする屋台と、人々の群れでごった返している。今日は地元の神社の七夕祭りの日だった。
「結構、人、いるね」
「うん、なんか懐かしい。すごく久しぶりだよね」
「なんかテンション上がっちゃうな。最近は、そもそも外に出ることもあんまりないし」
「そうだよね」
思わず黙ってしまった私に、絵七はとびきりの笑顔で言う。
「暗い顔しないの! 今日はせっかく会えたんだし、楽しもう?」
私に気を遣って、わざと明るく振る舞ってくれているのがわかる。本当に、申し訳ない気持ちになる。本当に辛いのは、絵七のほうなのに。
「まずは、あっちかな」
参道の屋台を素通りして鳥居をくぐり、まずは本殿のほうに向かう。人並みに乗って進み、ようやく手を合わせてきたところで、耳がおかしくなるくらいの大きな警報音が鳴り出した。
「絵七、これ……」
「やだな、もう。せっかくの紅葉とのデートだったのに」
さっきまでの笑顔は、とたんに不機嫌なものになる。見れば絵七の端末も、不機嫌な音と共に震えていた。
「ごめん、行ってくる。また遊んでね!」
そう言って絵七は、走って行ってしまう。周りの人々は警報音にはほとんど反応も示さず、お祭りを楽しんでいる。私は人混みに揉まれながら、遙か遠い空を仰いでいた。
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