さかのぼること1時間前。

美織は奇妙な光景を目にしていた。いつもきれいな花を摘みにヨルバアに内緒で入る針葉樹の森。今日に限っては誰かに先を越されていたのだ。そこにいたのは日の光に反射するほどの絢爛豪華な衣装を身にまとう、とても綺麗な顔立ちの少年だった。その少年は、美織を見つけてもしばらく気づかず、気づいても驚かず、ただ死んだ魚のような眼をこちらへ向けてきた。その目に生気はまるで感じられなかった。美織ではなく、どこか遠く深い闇の底を見つめるようなその目に、何故か美織は無性に惹かれた。吸い込まれるようにその薄暗い目のとりこになってしまったのだ。

　ふと少年は口を開いた。「君は誰？私を…殺す？」その言葉に美織はハッと我に返る。しかし、美織には少年の言っていることがわからなかった。「…殺さないよ。」少し間をおいてから、真顔でそう答えた。美織の答えに少年は「そう。」とだけ答え、すぐに美織から視線を外した。「私は命を狙われている。君が私の敵ではないというならかくまってくれないか。何せこういう場所は初めてで…勝手がわからない。」こぶしを強く握り、うつむく少年が眉間にしわを寄せていたのが見えた。「わからない、あなたが誰なのかも。私があなたを助けられるのかも。」「素性は言えない、命にかかわる。」苦々しい顔をした少年に美織は思わずもう一度口を開く。「…でも、ヨルバアに聞けば何か助けになれるかもしれない。ここでちょっと待てる？」聞きなれない名前にさらに眉間にしわを寄せ、少年はこちらを睨む。「…そいつは信用できるのか。」「私の、おばあちゃんで…魔女よ。」にやりと不敵な笑みを浮かべる美織。予想外の言葉にずっと険しい顔だった少年の目が少し開く。「魔女…！」「じゃあちょっとそこで待ってて、動かないでよ。」そう言い残し去っていく美織。少年はその場で「もしかして･･･いやでも･･･」と、ブツブツつぶやき続けるのであった。

　森眼に乗ったヨルバアが針葉樹の森につく頃、少年は一緒に森へ入った宗近（ムネチカ）と合流していた。「ご無事でしたか！ここらへんには集落はありませんでした。」どうやらここら一帯の調査をしてきたようだ。「もうここは離れましょう、ほら、おいしそうなキノコをとってきました。食べながらもう少し西を目指してみませんか。」そう言って近づいてくる宗近の手には赤黒い不気味なキノコがたくさん…。「それ捨てろ。おそらく毒だ。」少年はすぐに鼻をつまんで顔をそむけた。「え！何故そのようなことがわかるのですか！」宗近が目を丸くして驚いた時だった。突然、黒煙があたりを覆った。そして、頭上から大きな烏が姿を現した。

　烏は「ガアア！！」と威嚇するように大きく鳴き、あたりの針葉樹を大きく揺らした。煙と風が落ち着くと大きな烏から老婆が下りてきた。ヨルバアだ。ヨルバアは距離をとったところから二人に話しかけた。「街の者だな、こんな山奥に何しに来た。迷ったというなら快く送り返してやるぞ。」言葉にできない威圧感が二人の体をビリビリと伝う。今にも雷が落ちそうだ。「身なりからするに…貴族とその付き人か？」ヨルバアはぼそりとつぶやいた。「これが魔女…！」つばを飲み込む少年にパニック状態の宗近が叫ぶ。「頼牙（ライガ）様！魔女というのは…！？」「バカ、名前を呼ぶな！」その会話にヨルバアの顔色が少し変わる。「ライガ…？お前、まさか…！」その瞬間、威圧的な空気は解かれた。

　ヨルバアが血相を変えたちょうどその頃、美織と金烏が針葉樹にたどり着いた。「おばあちゃん！」美織の声の方にヨルバアが振り向く。「美織！来てはだめだ！お前はこいつに関わるな！」取り乱した祖母の様子に、驚きと戸惑いで足が止まる。なぜそんなにも止めるのか。止められれば止められるほど、美織はその理由が気になった。ヨルバアは少年の方へ振り返り「頼牙…10年前に新聞で見た名だ。…王家のものだな。」と確認するように問いかける。宗近を睨む頼牙。「ひい、ごめんなさい！もう呼びませんって！」睨まれた宗近は半泣きしていた。

王家。美織には何が何だかわからなかった。何故なら美織は王という人物が偉いことこそ知っていたものの、自分の家族以外の「人」に会ったことが今日まで１度もなかったからだ。

「お前は王家ではないな。」ヨルバアの鋭い眼光をむけられ、宗近は反射的に手を頭の上へあげる。しかしその様子はヨルバアというよりも隣にいる頼牙に怯えているようだった。すべて見透かしたようなヨルバアの瞳に覚悟を決めた頼牙は、一歩前に出る。「…全てをお話しします、どうか命だけは助けてただけませんか…大魔女様。私どもはここで殺されるわけにはいかないのです。」と跪いた。そう、ヨルバアはこの国では有名な『伝説の大魔女』であった。古代から続く魔女の一族の長であり、魔女狩りの生き残りとして、王族をはじめとした街人からも長い間恐れられていた。

　ヨルバアは森眼に、美織と金烏を小屋まで連れていくよう命じた。一行を見送ったあとヨルバアと頼牙、そして宗近の3人は針葉樹を抜け、安全な広葉樹の区域にでた。そして近くの古い切り株に2人で腰を掛け、ヨルバアは宗近にも腰かけるよう一度促したが、宗近はそれを断り、2人から少し離れた後ろの方で立って待っていた。険しい顔のままのヨルバアに頼牙は自分の身の上話を話し始めた。