ネモフィラのエオス

アーシャ

1夜目

 あるところにそれはそれは長い歴史をもつ国があった。資源が豊富で自然豊かなその国は7人の帝王がそれぞれの領地を治め、さらにその7人の帝王を統べる民思いの優しい国王が君臨していた。

この物語はそんな国の端に位置する、広くて暗い森の中での話である。


 「ミーオーリイイィーー!!!」今日も元気な老婆の怒声が森に響きわたる。そんな声から逃げるように両手で頭を守りながら家を飛び出す少女が一人。その少女の後を青白く光る刃物が容赦ない速さで追いかける。その刃たちは何故か重力に勝り、どこまでも少女を追いかけていく。それはどうやら老婆の使う怪しい力のせいのようだ。老婆が腕を上にすれば刃も上に、右に振れば右へと方向を変える。少女が疲れて立ち止まると、刃物たちも寸前のところで止まった。そこへゆっくりと老婆が近づいていく。「あれだけ言ったのに、なぜ針葉樹にいった。この広葉樹の領域にいれば安全だと言っているだろう。」老婆が問いかけると、少女は恐る恐る口を開いた。「は、話を聞いてよヨルバア…。助けて欲しい子がいるの。」


 老婆はヨルバアと呼ばれていた。黒い装束に身を包み、家の外に出るときは顔にも黒いベールをかけている。彼女は森の奥でカラスの繁殖業を営んでいた。育ったカラスはこの国を統べる王家直属の隠密部隊「慎」に飼われ、街の監視役として使命を果たすのだ。また、その役目を終えて年老いたカラスたちの面倒も彼女が見ている。


「何を助けろって?動物か何かか?」「ううん、私たちと同じような姿をした子だよ。」子どもと聞いてヨルバアは目を丸くして驚いた。仮に自分たちと同じ人種がこの森にくるとしたら、ヨルバアの中で心当たりは1人だけ。しかし美織はその人物を見たらおそらく『大きい人』というはずだ。『あいつ』でないのだとしたら…。

「侵入者か…!」ヨルバアはすぐさま指笛を鳴らした。すると森の向こうからヨルバア専属の大きなカラスが飛んできた。そのカラスは赤い目をしており、片目には大きな傷があるものの、丁寧に手入れされた羽は黒々と美しく輝いていた。その背中へ身軽に飛び乗るヨルバア。「森眼(モリガン)、話は聞いていたな。針葉樹の森に何者かが迷い込んだらしい。すぐさま向かえ!」その言葉とともに一気に飛び立つ大ガラス。美織のはるか頭上でヨルバアは「家に戻ってるんだよ!」と叫んだが、その声はすでに遠すぎて美織には届いていなかなかった。


 美織は空の果てへと飛んでいく森眼を見ながら、無意識に自分もマネして指笛を鳴らしていた。鳴らし方こそヨルバアに習って知っていたが、実際にカラスを呼んだのは生れてはじめてだった。弱々しいその指笛でヨロヨロと飛んできたのは、先ほどの森眼とは比べ物にならないほどやせ細っている貧弱そうなカラスだった。「あなた名前は…?」美織の問いかけにカラスは「昔の癖で、下手な指笛に体が動いてしまった…。」と呟くと、「私に名前はない。随分と前に失った。」とどこか寂しそうに答えた。「じゃあ私がつけてあげる。あなたの名は…。」



 「あなたの名は…金烏(キンウ)。」


それはこの物語よりさらにはるか昔に使われていたカラスの別名であり、当時は太陽の異名とも考えられていたという。美織はヨルバアによく聞かされていたこの話と、この名前が大好きだった。暗い森で疲弊しやせ細り気力をなくしかけていたこのカラスにとって、これ以上の名はなかった。金烏はニヤリと笑う。「…いいだろう、しかし今は力がない。子どものお前を運ぶくらいしかできない。いいか?」その言葉に美織は「うん!」と力強くうなずいた。





 

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