13 フレデリカ -家デート-

 家で療養するのも飽きた私は、久々にエミール君とデートする事にした。元々、病人でも無かったわけだし、家の使用人達の心配を受けてジッとしていただけだ。


 今回のデートは、エミール君の家を指定した。いつも、自分の事ばかりでエミール君の事を知るのが疎かになっていたのもあったので、エミール君の事を最大限に知ろうという目的である。


エミール君に案内されて着いたのは、王都で有名なホテルだった。創業100年だったかな、歴史的価値のある建築物で、重厚感がある作りだ。


「ここの最上階を使わせてもらっていて……家って感じでは無いんですけどね」

「てっきり、一軒家でも借りてるかと思ったが……」

「僕一人なので、メイドや警備を雇う事を考えたらホテルで事足りるんですよ。広さは気にしないですし」

「確かに」


 私はこの国から出た事が無いので留学の暮らしを想像したことも無かったが、家を借りるよりホテルの方が便利だな。短期間でもあるし、何より人を雇う手間が要らない。


昇降機で最上階まで登り、エミール君の部屋に入る。思ったよりも広く、何より窓から見える景色が良かった。


「わぁ!ここから、コプリ公園が見えるのだな。上から眺めると、面白いなぁ……」

「ふふ、喜んでもらえて良かったです」

「ほら、あそこ! 犬が戯れてるぞ」

公園の犬達が走り回っている様子を見てはしゃぐ。ドッグランになっているのだろうか。


「お嬢様、お茶のご用意が出来ました」

「ルル、ありがとう」


 エミール君の家に行くあたり、流石に婚約者といえども二人っきりという訳にはいかない。私の専属メイド、ルルと護衛騎士を二人ほど連れてきている。


「では、私どもは外で待機いたしますので」


ルルと護衛騎士が早々に下がってしまった……。エミール君と二人きりか……いや、外で待機しているんだけども! なんとなく緊張して来てしまった……。顔が火照る。



「え……っと! エミール君の本棚とか見せてほしい!」

「本棚ですか? あまり多く無いですけど……こちらです」


 研究で使ってる、魔法力学や工学の本……それと、辞典、魔法鉱石図鑑……まぁ、どれも研究室で使ってるものだな。その中に混じって、高等数学の教科書が置かれていた。


「これは、学院で教えてた時の……?」

「ええ、そうです。フレデリカさんが見ても簡単でつまらないですよ」

パラパラと教科書を捲ると、そこには書き込みがビッシリされてあった。


「ここ重点的に……勘違いしやすい点……54ページ目と絡めて」

エミール君は努力家だものな。それが、この教科書に溢れてる。

生徒からわからないと言われた点もメモしてあって、どうやったらわかりやすく伝えられるのか試行錯誤している様子がわかる。


「ふふ……良い先生だったようだな」

「どうだったでしょうね?」


「そうだ! ちょっとここで教えてみてくれないか? 私はテストでしか学院に通ってないだろう? 授業を受けた事が無いんだ。少しだけ行ってみたかった気もする」

「ええ……!? んー……じゃあ、こちらのテーブルで」


 目の前にノートとペンが用意される。横にエミール君が座り、一つの教科書を広げて説明を始める。落ち着いた声が心地良い。黒板は無いので、一緒のノートに書き込んでいく。

エミール君の教え方は丁寧で、間違えやすい箇所を重点的に説明していく。


「ふふふ、エミール先生……?」

「なんでしょう? フレデリカさん、質問でしょうか」

「んー……。質問は無いな……教科書に全部書いてあるからな。見ればわかるだろうに。」

「普通はわからないんですよ」

呆れた顔をしてエミール君が苦笑する。


「質問はないな。続けてください。どうぞ」

「何のために、呼んだんですか」

ふふふと二人して笑い合う。


「あぁ! 質問が出来たぞ。普通の生徒はどんな質問をするんだ?」

実際にあった生徒の質問を例に出し、こういう間違った解答になってしまうのだと説明してくれる。


「授業に関係ない質問もされたりしますよ?」

「へぇ? どんな?」

「先生は婚約者はいますか? とか、彼女はいますか? みたいなプライベートな事ですよ」

「どう答えたんだ?」

「テストで満点を取れたら教えますと」

「ははは! それは良い先生だ」


 それから、教科書の続きをエミール君が読みあげる。ずっと聴いていたい気持ちになる。一定のリズムで、低く柔らかな声。


「やっぱり……好きだな。エミール君の声」

「え?」

「うん。聴いてると落ち着くし、安心する」

「そ……うですか……」

エミール君が少し照れて、嬉しそうに笑った。



「今の脈拍は落ち着いてるけど、恋愛的好きで良いのだろうか……?」

「うーん、いつもドキドキしてる訳でも無いですからね。ドキドキするような事があると、自覚しやすいってだけで。老夫婦なんかは、ドキドキよりは緩やかな愛でしょうし」

「ふーん、そうか……」


 一つずつ丁寧に自分の『好き』を拾ってきたと思う。

おかげで、色んな『好き』が手元に集まってきた。


 声が好き


 私の事をわかってくれる所が好き


 努力家な所が好き


 言いたい事が伝わる所が好き


 透明感のある髪が好き


 温かな手が好き


 笑顔が好き


 リュカ殿下の件もあったから、これらが間違いなく『好き』であることがわかる。

恋愛に必須なドキドキもわかった。これは間違いなく『好き』と捉えて良いと思う。


しかし、私がエミール君より魔法力学を優先してしまう事があったら、エミール君はやはり寂しい思いをするだろう。多分……それでも『好き』には変わらないから、エミール君は笑って許してくれるだろうが。


でも、私はそれは嫌だ。万全の文句のない『好き』をエミール君にあげたい。

魔法力学とエミール君を天秤にかけて考えてると、何か見落としてる気がしてきた。


ん……以前の私ならどうした……?

さっき本棚を見せてもらった時……魔法力学の本が目に入ったよな……?

順に、これは研究室で使ってる本だな……と認識して、視線を移動させた先に教科書を見つけた。


なぜ……私は、魔法力学の本を手に取らずに教科書を手に取った?

以前の私なら読んだことがある本でも、目の前に魔法力学の本があるなら絶対に手に取っていたはず……。


つまり……今、私は無意識で、魔法力学よりエミール君の事が知りたいと……優先した?

……既に優先できてた?


欠けた最後のピースが当てはまる。


「フレデリカさん?」

しばらく黙って考え込んでしまった私に、エミール君が心配そうに顔を覗き込む。


「いや……ちょっと考え事を」

 ゴクリとツバを飲み込んで、エミール君を見上げる。不思議そうに首を傾げられるも、目が合うと、いつものように私の事を心底好きというような表情で、笑顔が溢れた。


……ドクンと胸が跳ねる。


あぁ……これか……これがそうなのだな。文句のつけようがない『好き』だ。


「あ……あのな……エミール君……」


伝えなければ。『好き』だとわかったことを。

言わなければ。『一番好き』だと言う事を。


次第に胸の鼓動が速くなってくる。


「何ですか?」

喉に重い枷が付いたように、言葉がでてこない。なぜだ……なぜ言えない……。

喜んでくれるのは、わかっているのに。

受け止めてくれるのは、わかっているのに。


 この想いに気がついてしまうと、『好き』という言葉に質量が発生する。

色んな感情が、一箇所に集中して凄く重くなる。良い感情だけじゃない、自分の悪い感情も曝け出してしまう……そんな『好き』に一気に気づいてしまった。

さっきまでは気づいてなかった。『一番好き』の負の面を。


 魔法力学より、エミール君を優先してしてしまうということは、これからかなり執着してしまうだろう。今まで、魔法力学を勉強するための熱量を上回るかもしれない。

それは……恐ろしい執着で私にも予想がつかない。


そして、それと同じだけの思いをエミール君に求めてしまうかもしれない。

私の『好き』は凶器なのだ。一度向いたら、それに向かって加速してしまう。


そんな想いを大切な人に向けていいのか……?

今まで、何の気無しに言えていた言葉が……重すぎて喉から上に這い上がってこない。


「さっきな、さっき、本棚の中に楽譜を見つけてな? エミール君は何か楽器をやっていたのか?」


 ――私は卑怯にも逃げたのだった……。

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