8 エミール -遭遇-
授業が終わってから同僚となるマナーの教師ヤンネ・オネス子爵夫人に、案内を受けて学院内を見て周ることになった。
ヤンネ先生から、この学院では平等をモットーとしているので、生徒を呼びかける時は家名ではなく『名前+さん』もしくは『名前+君』と呼ぶように教えられる。先生方も全員『名前+先生』だ。
殿下の場合だけは例外で『アーネスト殿下』と呼ぶそうだ。昔は、王家も例外なく名前呼びだったそうだが……。
生徒同士は、家名で呼び合う事が多い。元からの人間関係もあるし、卒業した後学生気分で公的な場で名前で呼んでは大変なことになる。
国内の貴族の子息子女が大多数が集まるとあって、かなり学院内は広い。
基礎科目を教える中央学科練の左右に、選択科目の専門学科練。他にも大きな魔法、剣、弓矢等の演習場や、図書館、お洒落なカフェテリアなど揃っている。
カフェテリアの側には、学校で必要な物が揃う購買や、淑女マナー教育で必要になる庭園等があった。
少し学院を離れると、遠方に住んでいる者のための寮が併設されている。
一つ一つ説明を受けながら歩いていると、女生徒達が遠巻きに僕を眺めていた。
一応印象良くしておかないとな、と思い愛想を振りまくと途端に キャーー! という黄色い悲鳴が沸き起こり、女生徒達が足早に僕に近づいてくる。
しまった、愛想を振り撒き過ぎたかなと後悔すると、その中から押された一人の女生徒が、前に出てきて転んだ。
ヤンネ生が僕を庇うように一歩前に出て、キツイ声色で叱責する。
「また貴女ですか、ソフィさん。この様にまろび出て醜態を晒すなんてことは、絶対あってはならない事ですよ」
「えぇ! そんな……ヒドイ。皆さんに押されたから、転んでしまったんです……」
ピンクゴールドの髪色をした少女は、うるうると涙ぐみながら、何故か僕の方に視線を向けて受け答えをする。
ヤンネ先生は、はぁーと大きなため息をつき後ろにいる女生徒達にも
「貴女達も! はしたないですよ。淑女たるもの、そのような声をあげて近づいてはなりません! 視線が合ったら、その場で少し膝を曲げて会釈するだけでいいんです」
わかりましたか? とヤンネ先生が問うと女生徒達は返事をし、各自礼をし謝りながら去っていった。転んだ先ほどの女生徒を残して。
「大丈夫? 立てるかな? 手を貸そうか?」
そう言って仕方なく女生徒に手を貸そうとすると、ヤンネ先生が制して自分で立つ様に促した。女生徒は一瞬眉を顰めたが、即座に申し訳なさそうな顔をして立ち上がり、ペコリと礼をし立ち去った。
「ソフィさんはいつもこうなのです。体幹が悪いのか、よく転ぶことが多いんですよ。淑女が転ぶなど滅多にあってはならないのに……」
「あの、ソフィさんは、もしかして例の……?」
「ええ、そうですわ。どうせ他でもお聞きになるでしょうから、先に説明をいたしますと、世間で騒がれている少女です。
彼女の周りはいつも何かしら問題が起きるのですよ。その度に殿下が庇っていらして……もう、頭が痛いですわ」
ヤンネ先生はこめかみを押さえて、ため息をまた大きく吐きだす。
「エミール先生も無闇に優しくしないで下さいね。風紀が乱れますから。」
「はい、申し訳ありません。今後、注意いたします。」
あの少女が、ソフィ・エヴァレット男爵令嬢か。確かに被保護欲をそそられる可愛らしい容姿をしていた。貴族らしい凛とした美しさでは無く、どこか垢抜けない素朴さがある可愛さだ。放って置くと、誰かに騙されそうな雰囲気を醸し出していて、女性を守れと教育されてきた貴族の子息達はつい助けてしまうだろう。
言い訳ではないけれど、僕もつい手を貸してしまいそうになった。目の前で困られると、手を貸さない自分が悪者のような気がして、つい申し出てしまったのだ。
ヤンネ先生に止められて助かった。
あの少女は、少しでも優しくすると危ない気がする……。
✳︎ ✳︎ ✳︎
エヴァレット男爵家は、かなり裕福なようだ。エヴァレット男爵は元は田舎の出身だが、12年前のある時を境に、色々なアイデアを貴族に売り出してお金を稼ぎ始めた。
女性に人気な『イソフラボン乳液』『ヘチマ水』も元はエヴァレット男爵のアイデアらしく、当時は二束三文で買い叩かれたらしいが、デュワー商会で商品化し販売すると、瞬く間に売れて大ヒット商品となった。
次に出た『マニキュア』も、エヴァレット男爵がアイデアを売り払って、これまた大ヒット。『ドライヤー』『ヘアアイロン』も今では無くてはならない存在となった。
元々髪を乾かす用途では、大きな送風機を使うか個人で風魔法を使ったりしていた。
しかし、『ドライヤー』は髪型を作るために使われる。おかげで、世の女性達の髪型のバリエーションが広がった一大発明である。
女性のお洒落関係のアイデアを次々と生み続け、今では高額でアイデアを売っているのだとか。おかげでアイデアマンとして、名を馳せた存在となったらしい。
デュワー商会は、今では庶民から貴族へと幅広い層から支持を受け、更なる販路を拡大している。
エヴァレット男爵が、王都郊外に引越して来たのは8年前。そこからは着実に財をなし、かなり男爵夫妻の金遣いも荒いという。
娘のソフィもお洒落に目がないようで、流行りごとにドレスを購入していると聞く。
ソフィ・エヴァレット男爵令嬢は、成金になった両親に甘やかされて育った女性といったところか。
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学院が終わり研究室にやって来ると、フレデリカさんがいた。はぁ……癒される。
「あ、エミール君。教師になったと聞いたよ。学院はどうだったんだ?」
プライベートな会話! 初めての僕の話題に嬉しくて舞い上がりそうになる。
「ええ、それなりに上手くできたかと思います。」
「それは良かった。エミール君は教えるの上手そうだものな。書類もいつもまとまってるし。教師と研究の両立は大変そうだが、体を壊さないようにな」
フレデリカさんは、いつもさりげなく褒めてくれる。そういう所も大好きです。
体も心配されて、それだけで疲労が全回復するようだ。
フレデリカさんが去ってもジーンと喜びを噛み締めている僕に、ペトルが肩を組んで話しかけてきた。
「殿下は見たのか? 教えろよー」
「殿下をお見かけはしなかったが、例の男爵令嬢には遭遇しましたよ」
今日の一連の出来事をペトルに報告すると、ペトルは腕を組み難しい顔をした。
「ふーむ。その男爵令嬢ちゃんがよく転ぶって、男の気を惹くためかもな。エミールは知らんだろうが、娼婦の客引きの手口にあるのよ。
偶然を装って出会い、助けてくれたお礼だとか行って酒場なり何なりに連れて行く。
そこで酔わせて金巻き上げて終わる場合もあるし、借金のため娼婦をやってる、だからお店に来て&金払って水揚げしてっ涙ながらに訴えられるとコロリと男は騙されて、巨額の金を払っちまう。
その後娼婦は姿を暗ますわけよ。よくある詐欺だわなー」
「うわぁ……そんな手口が」
これから、あの男爵令嬢へ向ける目がますます寒いものになりそうだ。
「まぁ、高位貴族のお坊ちゃん方は免疫ないだろーから、騙されちまうわな」
「他にもどんな娼婦の手口があるか、教えてくれませんか?」
そこからペトルは、本当に色々な手口を教えてくれた。こういった知り合いは少ないから、本当に頼りになる。
「つーかさ、エミールは録画の魔道具作ってただろ? しかも小型化した」
「ええ、更に改良を重ねてますけど」
「それ学院に持っていって、男爵令嬢ちゃんと殿下やその他子息のやり取りを撮ってこいよ。何かに使えるかもしれんぜー」
「確かに……。ペトル、感謝します!」
「おうよー、こっそり俺にもみせてなー。判断してやるから」
それから僕は研究室に残って、録画の魔道具をいくつか作り、魔道具だとバレないように偽装するためにアクセサリー型に改造した。
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