第2話 小言

 その人形を見てて思い出すのは、母の小言だ。俺が実家に電話するたびに、何の脈略もなく突然小言を言い出すのがお決まりだった。

「いつ結婚するの?」、「お見合いすれば?」、「お兄ちゃんに紹介してもらえばいいじゃない」、「子供がいないと寂しいよ」、「老後どうするの?」

 それで、俺は電話を切りたくなってしまう。母のもとにはきっと誰も電話して来ないだろうからと、俺は気を遣って時々電話をかけていたのに。そんな息子の気持ちにはお構いなしだった。とりあえず、「そのうちするから」とか「50になったら」なんて言って逃げていた。


 うちは男兄弟2人で、どちらも母の面倒を見ていなかったのに、母はそれでも子どもはいた方がいいと思っていたようだった。それで、時々兄の奥さんから「友達を紹介したいんだけど」という連絡をもらっていたもんだ。義姉の友達なんかと付き合ったら、俺とその人の関係が兄にも筒抜けになるのが目に見えていた。だから、俺はすべて丁重に断っていた。


 母は最期の方はボケていたけど、俺が誰かはわかっていた。アルツハイマー型ではなく、加齢による痴ほうだったのかもしれない。

 しかし、うちの両親が好きだったのは、兄だけだという気持ちが強かった。一人っ子だったらよかったのにと思う。母は俺を産まなければよかったんだ。


 人形はリビングに置いていた。一人暮らしで喋る人形なんかがあると、来た人は面白がった。

「自分用ですか?」

「あ、あれは母の形見で」と、答えると俺の好感度は確実に上がった気がする。

 女性たちは、俺をマザコンだと思ったかもしれないが、もう姑がいないというのは、彼女たちには好都合だったろうと思う。


 ある夜、俺はリビングのテーブルで夕飯を食べていた。リビングにはテレビがあるから、見ながら食べていると退屈しないからだ。夕飯の時は、録画したテレビを見て。ハードディスクから消していく。それが日課だった。俺は池上さんの番組を見ていた。夕飯はスーパーで買った総菜。


「聡史」

 何だか呼ばれたような気がした。きっと空耳だと思った。テレビを見ていたから、聞き間違いだろう。

「ちゃんと栄養あるもの食べなさいよ」

「え?」

 俺はぞっとした。母に何か言われた気がしたんだ。

「テレビを見ながらご飯を食べるなんて行儀が悪い」


 そうした言葉を無視して、俺はテレビを見ていた。

「聞いてる?」

 あれ?

 俺は恐る恐る、人形を見た。表情のないただのぬいぐるみなのに、妙に目が合ってしまうのが怖かった。

「まだ独身なの?いつ結婚するの?もう、50でしょ?」

 なんだか立て続けに、母から小言を言われたような気分になった。きっと疲れてるんだ。早めに飯を片付けて、すぐに3階に上がった。俺は落ち込んだ。やっぱり、独身はダメなんだろうか。兄のように東大を出て、公務員にならないと人として認めてもらえないんだろうか。俺は母に、子供の頃、散々兄と比べられていたことを思い出していた。


 兄は三回も結婚したが、その度に親族だけの結婚式をやっていた。俺も兄の結婚式に毎回呼ばれていた。最初に結婚したのは24くらいの頃で、次は30くらいで、最期は30代後半だった気がする。俺より兄の人生の方が素晴らしいと、100人いたら100人が言うだろうか?DV夫のくせに外面がいい兄が憎かった。母は兄がDV癖があるのに、いつも兄を庇って、嫁が気が利かないからだと陰口を言っていた。母も大概だと思う。

 

 俺は兄よりも自分の方がましだと思った。俺はまだ誰も不幸にしてない。

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