0話


急峻を荒ぶ風の音は細く、雪を含んで甲高い。

此所、穂積岳ほづみだけはこの一帯の山岳の大半を占める起伏激しい山で、幾多の人や動物達の命を呑み込んできた死の山である。

だが、比較的勾配が緩やかな周辺山系は市民に親しんでもらえるように拓かれ、遊歩道をはじめ釣りができる緑地や子供向けのアスレチック公園が設けられている。

種類豊富な遊具が揃った公園の他、馬やヤギ・小動物を展示しているちょっとした自然施設があるにも関わらず、人の入りは極端に少ない。

閑古鳥すらも鳴かないその主たる原因、それは遊歩道の奥に鎮座する穂積岳が強力な威圧感を発しているからであった。


急峻が多く雑然とした地形のため計器類は狂い、そのため登山客は運が良くて遭難、悪ければ滑落死する。

これが、この穂積岳が“死の山”と言われる所以であった。

だが、決してそれだけが人を遠ざけている事情ではない。

磁場が狂っていて足場も悪く、そのうえ人目にもつき難いのを利用して、自殺する輩が後を絶たないのだ。

ゆえに地元民には元より、全国的に有名かつ最兇の心霊スポットとして挙げられることも要因の大半を担っていた。

まさに、最悪の二重苦である。

ハジマリがいつなのかは分からない。

それが、然るべき在り様だと肯定するように穂積岳は頑なに人の侵入を拒み、今日も相変わらず足許に広がる街並みを俯瞰しているのであった。



時を同じく、穂積岳の北側。

登山道を大きく逸れた地点には点々と不規則な足跡が刻まれており、その彼方先に遠ざかる背中があった。

東の尾根から緩やかに広がった稜線は、やがて北部の低高度樹林と交わり平野としてなだらかな地理を呈している。

山奥のさらに奥に広がるその白銀の原野に、ぽつんと赤茶色が佇んでいた。

銀世界の中でひときわ目立つその茶色は、真冬の穂積岳に分け入り、足跡を刻んだ人物が身に纏っているダッフルコートで、そしてしきりに風を受けて旗めいている赤色の正体は、襟元を保護しているマフラーだった。


荒ぶ風に巻き上げられた白亜麻色ミルクティアッシュの髪が、佇む人物を散々に打ち据えている。

白い呼気の軌跡を描きつつ原野に佇んでいる人物・真響まゆらは、浅い息を吐きながら薄曇りの冬空を見上げた。

彼女はもう、なにも見たくないし考えたくないと思い詰めるほど、凡てに疲れ果ていた。

……このまま消えてしまえたら、命を終えることが叶うならばどんなに良いだろう。

見渡す限り一面の銀世界の中、真響は身がかじかむのも構わずに平野を吹き荒ぶ風に身を任せて立ち尽くす。

嗚呼つかれた。

疲れた。

疲れた。

疲れた。

もう何もかも、どうでもいい。

どうでも…………いい?

疲れたから諦める?

いや─────それはまだ早い。

さんざん侮辱し、心身共に追い詰めた奴らに報復を降す、ここからが自分こちらのターンだ。

ゴミ溜めのような職場は既に片が付いたから、お次は“もう1つのゴミ” 毒家族ヤツらにお似合いの報復計画を遂行しようではないか。

…というか無一文に近いのに、よく危機を感じないものだと、逆に感心すらしてしまった。

この状況を完璧に確実に作り上げるまで10年と長らく待ち兼ねたが、やっと報復を果たす瞬間が訪れるのだから…堪え甲斐もあろうというものだ。

さあ、愚かな毒虫共に終焉を。

どうか奴らの心に、常に地獄があり続けますように。


壮大な復讐計画を胸に秘め、真響は雪催ゆきもよいの空を見上げた。

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