【協力者】

類希(たぐいまれ)な命数をもつ巨体であれ、この猛攻を受けては目のまえに星が飛ぶ。


規格外の体格を誇る狼にとっては、あまりにも脆弱(ぜいじゃく)な足場。


ただでさえ安定を欠いた肢元(あしもと)が、衝撃で砂石のように潰滅(かいめつ)を起こし、地下から噴き出した汚濁がさもしい噴水の体(てい)をなした。


次いで、雷(いかずち)を縦裂(じゅうれつ)に別(わ)けるかのような轟音(ごうおん)。


堪(たま)らず腰を折った巨体が、傍(かたわ)らの民家を直撃したのである。


「は……?」


事態を鵜呑(うの)みにできず、呆気(あっけ)にとられる少女を筆頭に、現場(げんじょう)の人々は、まずもって我が目を疑った。


レンガ造りの家屋に、半身(はんみ)を埋(うず)めた巨狼。 その身はピクリとも動かない。


ただ、不逞(ふてい)の流涎(りゅうせん)を際限なく行き渡らせる舌先が、騒動の名残(なご)りを知らしめるように、ベラベラと揺れていた。


それら、尋常ならざる渦中に、見目の麗(うるわ)しい女人(にょにん )が敢然と立っている。


初花(ういばな)の容貌(ようぼう)に似ず、その身には草昧(そうまい)の墨染(すみぞめ)。


洋の東西に比類を見ない形式のそれは、端々にほつれ気味の傷(いた)みが散見されるものの、仕立ての良さは一目で格別と知れる。


まるで天人が手ずから織(お)った衣のように、臈長(ろうた)けて奥床しい。


「あなた、なに……?」


「あん?」


先の名残(なご)りか。 後(おく)れ髪(がみ)の合間(あいま)から、神威の導体が万顆(ばんか)となって散った。


無論のこと、衆目(しゅうもく)には、この不思議を知る術(すべ)はない。


ただ、青白い光明(こうみょう)が、鱗粉(りんぷん)のように揺り落ちるその様(さま)は、千度(せんど)の情念を惹(ひ)きつけて止(や)まぬものだった。


「あなた、誰ですか……?」


「ん……」


混乱が元で、心の場席(ばせき)を欠いたらしい少女の放言(ほうげん)を、胸中の四半分(しはんぶん)に止(とど)め置く。


このデカブツ、早々に息を吹き返したようで、先頃から必死に身を揺すり、立ち上がろうと躍起だ。


いやそれよりも、さっきので前腕(ぜんわん)を傷(いた)めたのは拙(まず)かった。


この、何とも軸(じく)に堪(こた)える疼痛(とうつう)は、骨折が疑わしい。


もちろん、たかが骨折。 しばらく放っておいたら元通りに引っ付くが、それまでが億劫(おっくう)で仕方ない。


この暴れ旅の枢軸(すうじく)は、家訓に則(そく)し、素手喧嘩(ステゴロ)であるべしと決めている。


ここに来て、相棒に頼る羽目(はめ)になるか。


いや、それも今となっては、往古(おうこ)の妄念に等しい。


こうして、人々の目が集う表舞台に身をさらしたのだ。


お遊びは終わり。


「ちょいと、手ぇ貸してくれるかね?」


「へ?」


斯(か)くも気負ったはいいが、何とも情けない話ではある。


敵のタフネスを鑑(かんが)みるに、あれと一対一(サシ)でやるには、いささか心許(こころもと)ない部分が目立つ。


やって勝てないことは無いのだろうが、不安材料は徹底して追い払っておきたいのが、ひとえに人情というものだろう。


天より仰(おお)せつかった役割である以上、この後の道行きに、一分(いちぶ)の影も落とすわけにはいかない。


「あれを、仕留める?」


「その通り! 手ぇ貸して?」


いよいよ事態を悟ったか。 ここに来て、少女はようやく面差(おもざ)しを正(ただ)し、銃把(じゅうは)に込める力を殊更(ことさら)にした。


「私とあなたで、アイツを倒す?」


「そう。 やってやろうよ!」


「ん。 そっか」


瞳を伏(ふ)せ気味にした少女は、口内で所感を転がすようにして、しばらく独り言。


その肌身をよくよく観察すると、小刻みな震駭(しんがい)が見て取れる。


如何(いか)に腕が立とうと、やはり年端(としは)もいかぬ娘のこと。


無理なら無理で仕様がないと、葛葉の眼に冷光が差した。


この場を無事に切り抜ける方策なら、他にも幾つかある。


「よし、やろう!」


「お? マジで?」


「ん! やるって決めた!」


どうやら腹を括(くく)ったらしい少女に手を貸し、その身を助け起こす。


大半が拳銃の目方(めかた)なのではないかと感じるほど、彼女の体躯は軽々としていた。


「さっきの、何で実弾使わんかった?」


「え?」


いの一番に、葛葉は当面の不審を訊(き)いた。


如何(いか)に巨体であろうと、否(いな)、規格外の巨体であるからこそ、要(かなめ)の後肢(うしろあし)を損なっておれば、もう少し弱っていて然(しか)るべきだろう。


にも関わらず、この狼はピンピンしている。


「麻酔弾、ぜんぜん効かないね……?」


「麻酔? いやいや、何で普通の使わんのさ?」


「や、もう品切れ。 てかさっき、最後の一発使っちゃって」


「マジか?」


こうなれば、いよいよ本腰を入れて、攻略法を吟味(ぎんみ)するより他はない。


そこいらの建物を軒並(のきな)みに崩し、それで下敷きにしてやるか。


もしくは、大地を割って奈落へ突き落とすという手段もある。


他に、もっとも手っ取り早い方策と言えば、やはり素っ首を刎(は)ね飛ばすという安直な手。


いや、これは相棒が汚れるので論外だろう。


「──────ッ」


巨躯を立て直した狼は、ギリギリと歯噛みするような所作(しょさ)で、二名の様子を睨(ね)めつけている。


さすがに利口なようで、すぐに襲いかかってくる気配はない。


しかし、もう間(ま)がないのは確かだろう。


「そうだ、口ん中」


「え?」


「外が駄目なら、中はどうよ?」


葛葉の提案に、しかし少女は渋い顔。


「それ、私も考えた」


「と言うと?」


これに意味深な目配せで応じた彼女は、徐(おもむろ)に拳銃を持ち上げ、狼の口元に大まかな狙いを定めて引き金を引いた。


ところが、軟質の弾丸は、砦柵(さいさく)の形容をなす大風(おおぶり)の牙に阻(はば)まれ、まったく用をなさない。


「あれが邪魔……。 ガッデム! ホンっト邪魔!」


「あの牙が無かったら、何とかなるんだ?」


「は?」


言うが早いか、頼みの小烏(こがらす)を払った葛葉は、これを蜻蛉(とんぼ)に構え、意気を整えた。

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