【表の太刀】
深い藍色を湛えた地鉄の表面に、秋霜(しゅうそう)の気(け)が輝輝(てるてる)と満ち、事を見守る群衆の心胆を容易に寒からしめた。
切先両刃造と呼ばれる独特の体配は、日本刀剣が現在の姿に落ち着く間際、往古の過渡期に顕(あらわ)れたもので、他に類を見ない。
直刀から湾刀へ。 武家の表道具がより実戦に足る姿へと変貌を遂げつつあった時代。
大和に住まう一介の野鍛冶が、曲折の末に編み出した雛型を幾口(いくふり)か、心ならずも朝廷に献じたそうな。
当初こそ、稀代の珍品として天皇の気慰みに甘んじたそれらであるが、ひとたび戦場に駆り出されてからの働きぶりは、いたく凄まじいものだったという。
敵刃と打ち合っても折れず曲がらず、玩物のように多用しようと拗(こじ)れず弛(たゆ)まず。
すなわち天国(あまくに)作刀ここにありと、誰の目にも鮮やかな金看板が、古往今来をつなぐ血腥い道々に、誇張なく掲揚された瞬間であった。
「ちょっと待った! 無理だって!」
「うん?」
途端、少女が色めいて声を張った。
華奢(きゃしゃ)な体格を存分に活かし、葛葉の身に纏(まつ)わるようにして、これを辛(から)くも制止する。
ともかく誂(あつら)え向きかと、頭の片隅に針を含んだような正気が差した。
剣線をするすると下げ、腰部の辺りで一文字になるよう手配りする。
ひとまずは意気に倣(なら)い、激烈な打ち込みに相応しくなるよう構えてはみたが、これは負傷した右腕に殊(こと)のほか堪(こた)える。
ここは平(へい)にゆったりと据えて、少女の言い分を聴いてやるのが善いか。
「あの牙、めちゃくちゃ硬いんだよ!? めっちゃくちゃ!! そんな剣じゃ無理だってば!」
なんだそんな事かと、しかし応じる葛葉の心根(こころね)は易(やす)い。
「だいじょぶ! それより、いつでも撃てるようにしといて」
「え? うん。 え? いやいや!」
なおも食い下がる矮躯(わいく)を押し止(とど)め、足取りを改めて巨体へ向かう。
彩漆(いろうるし)を施(ほどこ)した木履(ぼっくり)がカラカラと声を引き、獣の関心を大いに誘った。
垂涎(すいぜん)の量はいよいよ止め処(ど)がなく、一見して降雨のそれに似つかわしい。
機を見た葛葉は、足を止めて待ちに徹した。
その間(かん)、差料(さしりょう)の刃を棟に返し、控えめな鎌首と化した両刃の周辺に、なけなしの陽光を沾(てん)と点す。
対する獣は、しかし未(いま)だ動じず。
他より大きいのは、なにも図体だけでは無いようだった。
途端、両者の横合いで、ひときわ騒々しい噪音(そうおん)が鳴った。
どうやら、民家の樋(とい)が落下したものらしい。
それは先頃、葛葉がこの場へ飛び出す折り、能(よ)く足場に利用したものが、ようやく底を割ったのだろう。
これに打たれたように、狼が大振るいの一撃を仕掛けた。
その辣腕(らつわん)は、まさしく丸太の威容。 先端には、掘削機を思わせる爪甲が生(は)え並んでいる。
これを見澄ました葛葉は、まるで取り留めのない靄(あい)のように体躯を運用し、後方へするすると逃れた。
瞬間、その身は春荒れの猛威を振るい、一変して攻勢に転じる。
苛烈な威勢を被(こうむ)った舗道が、巨腕の到達を経ず炸裂し、縦横に散じた砕片(さいへん)が即席の煙幕をくれた。
この時、葛葉の身柄はすでに敵の懐中(かいちゅう)にある。
熱気の狭間(はざま)を駆けた小烏丸(こがらすまる)が、異様な切れ味を奮(ふる)い、長大な牙を数本まで斬り飛ばした。
「いま! 撃て!!」と、鋭(するど)い合図がわたる。
間(ま)を置かず、どうにか気胆(きたん)を取り留めた少女は、速(すみ)やかに狙いをつけて発砲。
斯(か)くして、当の並々ならぬ騒動は、巨狼の安らかな寝息と共に、幕を引く運びとなった。
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