【表舞台】
気負って飛び出したはいいが、相手は稀(まれ)に見る大物。
自然、娘の内心にも寒風が吹く。
「おい! 下がれ!!」
「大丈夫!」
これを噯気(おくび)に出さぬよう心掛け、一意して拳銃をとる。
そうして、近場の家屋へさっと駆け寄った彼女は、左の掌(てのひら)をこの側壁にペタリと当てた。
これに重い銃床(じゅうしょう)を預(あず)け、命中精度を引き上げる寸法だ。
その間(かん)、おおよその風向きを把握し、これに沿(そ)って狙点を改める。
「聖月と聖星と聖日との───」
口内でさっと祈りの句を調(ととの)え、赤子の頬に触れるかのような綿密さで、引き金を絞る。
豊潤(ほうじゅん)な銃声に続き、巨狼がけたたましく鳴いた。
着弾点は図太い下肢(かし)の付け根。 ごくごく体毛の手薄な箇所(かしょ)だ。
さすがの猛獣もこれは堪(こた)えたようで、顎部を叩きつけるようにして、巨体を崩落させた。
「オーライ!」と、静まり返る中に歓呼(かんこ)の声が渡る。
間(ま)を置かず、命拾いを悟った自警団の面々、並びに地元の衆が、感ずるままに両手(もろて)を上げて大呼(たいこ)した。
郊外の土地柄を、先とは趣(おもむき)のちがう熱狂が、秩序なく彼方此方(あちこち)へ駆けめぐった。
「へへ~」
称賛を一身に浴びる娘の表情は、磊落(らいらく)かと思えばその限りでなく、年相応の無邪気さが滲(にじ)んで見える。
これが殊(こと)のほか人々の心を打ったようで、蝶とも花とも愛(め)づらしい好循環が、手狭な街路に淙淙(そうそう)と充ちた。
例えばアイドルの素質というものは、こういった娘が、生まれながらにして抱(かか)えているものであろうか。
あこがれの対象者。
人心を射止(いと)め、人心に支持される者。 あるいは、そういった生き方。
当節の情勢は、そんな器量人にとって、むしろ生きやすいものか。
そうでは無かろう。
是(ぜ)と非(ひ)が、日々節操なく入り乱れる破滅的な世情。
死に際の浮世は、なかなかに甘くない。
「お?」
ふとした瞬間、それまで声援に応じていたブロンド娘の表情に、不審の気(け)が差した。
「………………」
いまの今まで、このヒーローおよび偶像を、掛け値(ね)なく持て囃(はや)していた面々が、俄(にわ)かに顔色を損なっている。
「なになに? どした?」
なるべく角(かど)のない口調で信疑を問う娘であるが、その身は半(なか)ばまで退(ひ)けている。
かの技量が示す通り、これまで幾つもの場数(ばかず)を踏んできたのだろう。
その経験値は、彼女のポリシーにきちんと裏打(うらうち)され、ヒトの胸奥(きょうおう)に潜む業魔(ごうま)の類を、具(つぶさ)に見抜く眼となっている。
はやい話が、他者の二心(ふたごころ)、下心を見抜く眼力だ。
「お嬢ちゃん……、こっちへ、ゆっくり」
「へ?」
しかし、今回はどうやら事情が違う。
青い顔で手招きをくれる男性に、猜疑(さいぎ)の目を向けた彼女は、背後に何やら奇っ怪な気配があることを知った。
「グルルルルル……」
「お……?」
併(あわ)せて、身の毛も弥立(よだ)つ顫動音(せんどうおん)が。
これは最早(もはや)、単に頏(のど)を鳴らすというよりも、憤然たる腹の熱火(あつび)を撒き散らすような。
「あ、ヤバ……?」
恐ろしい呼気を吐きながら、その巨躯(きょく)を持ち直した狼の威容に、雑多な人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
「ちょっと待っ……!」
ひとり残された少女は、なけなしの気胆(きたん)を振るい、どうにか銃を構えるものの寸分(すんぶん)おそい。
この時すでに、頑強な爪甲(そうこう)を擁(よう)した前肢(まえあし)が、頭上に高々と躍(おど)っている。
「あ……」
思いがけぬ臨終(りんじゅう)に際した場合、ペラペラと語を繰(く)ることのできる人間などいない。
大抵が、このような一語に満遍(まんべん)の気息(きそく)を認(したた)め、了(りょう)とするのである。
「くそッ!」
「え……っ?」
これを救うか救わぬか、当方の裁量と定めながら、今まで多くの命を見限ってきた。
にも関わらず、ここで妙な仏心が生じたのは、単なる気まぐれか。気休めか。
否(いや)さ。 こちとら、やっぱりあの荒くれ者の……、“元”荒くれ者の、じつの姉貴なのである。
頭で考えるより先に、身体(からだ)が動いてしまうのは仕様がない。
「おらぁ!!!」
巨腕が少女の身柄を襲う間際、蓋世(がいせい)の気合をかけた葛葉がこれに乱入。
狼の横っ面(つら)に、渾身(こんしん)の拳打を叩き込んだ。
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