【狼警報】

いつしか、事を見守る往来の眼にも熱が込もり、成り行きに一喜一憂する一大観衆の体(てい)をなしていた。


その一翼に甘んじた葛葉は、ふと気を回し、パチパチと手を打った。


これに倣(なら)った数名が同じようにして、疎(まば)らな拍手が人混みを巡ってゆく。


「あ? あはは。 センキュー!」


姿形に違(たが)わず、根が純朴なのか、これに精一杯の朗色で応じる娘。


その手には、いまだ銃口に熱感を残す大型拳銃が。


当世の有様(ありさま)は、こういった強者(つわもの)を多く輩出する。


それもまた、安易に善い悪いで唱えるものでは無かろう。


現に彼女の無作法な行いは、こうして群集の興味を集め、観衆を沸かせる手柄となった。


「それで、ホントに置いてない?」


「うぃ!?」


「弾だよ。 たーま!」


「あ? いや、無(ね)え。 生憎(あいにく)と」


「そっかー……。 しょうがない。 ゴメンね!」


小綺麗なお辞儀を加えた後、娘はそそくさと店先を離れようとする。


間際(まぎわ)、ようやく自失から解放されたと思(おぼ)しき店主が、大声を張ってこれを引き止めた。


「ん? 急ぐんだけど」


「カートリッジ! うちで取り寄せるから!」


「え! ホントに?」


如何(いか)なる心境の変化か。 一転して景気よく話を進める店主。


この邂逅(かいこう)が余程に嬉しかったのか。 彼のような昔気質(むかしかたぎ)の商売人からすると、何やら感銘も一入(ひとしお)であったらしい。


一端(いっぱし)の商魂に等しく、この広い世に、武器屋の冥利(みょうり)というものが果たして在るのかは知れない。


店主の興奮度合いは、ちょうどそれに似つかわしいように見えた。


「………………」


斯(か)くして、当の店主と気ままな娘は、その場でしばらく談笑を続け、これを眺める観衆の輪も、次第に解(ほど)けゆく頃合いとなった。


いいものを見せてもらったと、こちらもまた上機嫌を覚えた葛葉は、さて次はどこに向かおうか、周辺にゆるく眼を這わせた。


その時である。


耳を劈(つんざ)く警報が、りんりんと鳴った。


休日の風情(ふぜい)を台無しにする噪音(そうおん)に、周囲は瞬(またた)く間に緊迫。


次いで、通りの各所に備え付けのスピーカーが、息急(いきせ)き切った男声(だんせい)で捲し立てた。


「都内に狼! 屋外におられる方は速やかに近くの建物へ───」


一拍(いっぱく)の間を置いて、辺りは蜂の巣を突(つ)ついたような惨事となった。


絶叫する者、怒号を上げる者。


一様に休日を楽しんでいた面々が、堰(せき)を切ったように混乱し、迷迷(めいめい)に駆け出したのである。


「あ……?」


それらに気を取られる葛葉であるが、散衆の中に一人(いちにん)、他とは違う動き方をする背中を、鋭鋒(えいほう)の眼が見逃さない。


左右に跳ねる鮮やかなブロンド。


よくよく見れば、先頃の娘である。


その足は迷いなく、衆人の流れに逆らい、風のように駆けてゆく。


「………………!」


小さな背に、ただならぬものを感じた葛葉は、人混みを掻き分け、これを追うことに決めた。




都の外れ、どこか牧歌的な風情を偲(しの)ぶ現地は、いまや戦場の様相を呈している。


レンガを多用した民家の外壁には、数多(あまた)の銃弾が引っ掻き傷を残し、狭い街路には、薬莢(やっきょう)が落果(らっか)のように散らばっていた。


小銃を構える自警団の前方には、腹の底を脅(おびや)かす地鳴りと共に、巨体が一歩一歩、迫りつつあった。


その頭頂部は、優に平屋の高さを越える。


癖のある体毛が満身に渦を巻き、まるで鎧冑(がいちゅう)の体(てい)をなしている。


簡素な舗装を楽々と踏み砕き、排水菅を露出させる甚大な趾(あし)。


垂涎(すいぜん)の止(や)まぬ口元には、象牙のような牙が恐々と並んでいた。


「化け物……」


誰かが呟き、その指先が痙攣(けいれん)を来(きた)したように引き金を引いた。


大まかな狙点で撃ち出された弾丸は、いずれも頑強な体毛に阻(はば)まれ、ひとしく逃散(ちょうさん)の憂き目をみた。


「──────!」


途端、大きく咆哮した狼が、後ろ足に満身の軸を定め、あろうことか二足で立ち上がった。


こうなると、もはや怪獣だ。


その威容に打たれた面々は、あれよと言う間に命惜しさを再燃させ、見事に総崩れの無様をさらした。


瞬間、


「退(ど)いて!」


都心の方角から駆け込んだブロンド娘が、この大壁(たいへき)に一貫して突進した。

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