リハーサル2
惰性にかまけた生活をまた繰り返していた。料理が美味い女の家で得意料理の生姜焼きを食べていた時だった。
「今日は上手に作れたんだよ!だから会いに来てくれて嬉しい。」
名前を思い出すのに何秒か要する女がニコニコと擦り寄ってくる。可愛らしいものである。
後少しで女の手が俺の頬に触れる。その時、机の上のスマートフォンがメッセージを表示した。タイミングがいいやら悪いやら。
「リハ、明日だけど忘れずにこいよー!セトリも送っとく!」
存在を忘れたわけではなかった。しかし、正直あまり気乗りしない。セトリで送られていたのはバンドの看板曲、ダンスチューンが多くダウンテンポの曲はなかった。それはそうだ。大きいイベントで存在をアピールするにはモッズシーンの目の肥えた老人たちを踊らせる必要がある。肥えたのは目だけかどうかは知らないが。
新しい若い世代が入りにくいコンテンツであるが故に固定の客と固定のバンドと狭い界隈でひしめき合っている。息苦しい会場で狭苦しい人間関係を構築する前に、誰か一人でも売れてみて欲しいものだ。そう思うなら俺が売れれば良いのだけれど。
文句を言う方が安易なのだ。楽な道に逃げて、お先もお後も真っ暗なのが現状だ。
「大事な連絡来てたの?」
女が私を見て、と独占欲を覆い隠した声で心配を装う。正直にスマートフォンを見る時間も惜しいと言えばいいのに。小さな子供のようで中身は立派な女である。ウイスキーボンボンのように中身が露見してしまえば艶かしい嫉妬が溢れでるだろう。
「全然。ご飯美味しいよ。ありがとう」
女の頭を撫でながら頭はパフォーマンスのことでいっぱいだった。
明日一人でスタジオに入ろう。叩けなくなったドラムを少しでもマシにしないといけない。
一過性のイップスは深く傷を残し、クオリティは著しく低下していることは俺しか知らない。スティックを握るたび、スネアを見るたび、椅子に座るたび、あのライブ後の夜を思い出しては涙が出るのだ。あの日に戻れたらどれだけ良いか。母親が帰ってこない人になったあの人もこんな気持ちだったのか。
思考が別でも体は都合よく動くようで、都合の良い言葉を吐きながら女を慰め続けた。隣で眠る女を見て、控えめに繋がれた小指同士が女の我慢の結晶だと気がついた。小指を解いて全ての指を絡めて繋いでやると、眠る女は満足そうな微笑みを作った。正解の道はいとも容易く選べるのだ。不正解の道は無数に広がっているにも関わらず。
段々と近づくライブを思う。その時までに観客のための演奏ができるようになるだろうか。いや、演奏など自己満足の自慰行為でしかない。自分が気持ちよくなれれば良い。考え続けてやっと自分はライブが好きだったのだと気がついた。カーテンから差す月光は暖房の風で揺れる。女の手が少し、俺の手を握った気がした。
This is the bad time 五丁目三番地 @dokoka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。This is the bad timeの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます