【二】

 予定時刻よりも三分早く、私の体は朝日を浴びることになった。しかし、この朝日は最近私にとって若干の、幸福な憂鬱を呼び込むトリガーへと変貌している。と言っても、義務感に押し潰されたりだとか、イヤな人間関係(もっとも、思春期である以上それが全く無いとまでは断言できないけれども)によるものではない。むしろその逆。彼と確実に会えるという事実(彼は異常なほど体が丈夫で、疫病の類でクラスの三分の一程度が欠席しようとも、まるで今の今までずっと眠っていて、今日急に目覚めて世情を突きつけられたかのようにけろっとしているのである)によるものである。そして何より、朝には、彼からの連絡はない。朝が極端に苦手なわけでもなく、また、彼に何かいわゆる宗教的な束縛やら、破る事の出来ないポリシーといったものは無いように見受けられるのだが、とかく彼は朝には私に連絡を寄越さない。そのもどかしさが余計に私を締めつけながら、なお一層の「楽しさ」へといざなうのであった。そんな両極端な、苦味と甘味の間を揺れ動きながら、私はいつものように学校へと向かった。


「おはよう。」


 直接会えば、挨拶は必ず彼からである。挨拶から何か新たな話の芽が出ることは無い。しかしこの無駄のないやり取りが、私には狂おしいほど愛しく感じられると同時に、若干の寂しさも感じられるのであった。しかし、これでいいのである。純度百パーセントの酸素や水が人間にとって有毒であるのと同じように、おそらく純度百パーセントの希望、あるいは愛も、おそらく私を即死に至らしめるに十分な毒となりうると思う。自分の中に幾千万と浮かぶ言葉たちを私は必死に押さえつけ、ただ「うん。おはよう」と返すのみにとどめるのである。我慢。我慢。


 私は英語の授業が好きだ。拙い英語同士でのペア・ワークを強いられ、私と彼の席の関係上、授業では必ずペアになる。ところで、決して馬鹿というわけではないが、彼は少し抜けている。単語たった一つだけの発音ミスや、書き間違い(それは教師ですら気付かない事があったくらいの、本当に些細なものである)を彼はよくしていた。それを冷静にではなく、あえて若干小馬鹿にするように指摘するのは、私なりの健気な抵抗である。優位性を示す最低限のアピールである。けれどもそれを彼はものともしないように、いつも口元をハンカチで拭いながら「そっか。そっか。」と、自分のミスを素直に認めてしまう。打ち負かされたような気分。しかし、決して嫌ではないその気持ちに、私はいつもそうするように、今日も身を委ねることにした。

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