思春記

@Hika-Pika

【一】

 第一関門、突破。画面に映る彼の名前が、戦いの火蓋を切った。学年が上がって同じクラスになった彼とこうして連絡を取り合う仲になったのは、六月も半ばに差し掛かる頃だった。きっかけは、ノートだか、筆記用具だかを貸して欲しいと声をかけられた程度の些細なものだった。そうして話していくうちに、私は人生で体感したことのない、不思議な感覚の存在を知った。LINEの通知音が鳴る度に、武者震いにも似た震えに襲われるのである。しかし、それの正体を端的に言い表すことはできないまでも、恐怖や焦燥によって引き起こされるそれとは根本的に違うものだということだけは理解していた。彼かそれとも「それ以外」か?通知が来れば、それを当てる丁半博打が始まる。どうやら昨日の敗北が巡り巡って、今日の勝ちに繋がったらしかった。


 彼との話は、宿題の有無だの、やれあの先生は相変わらず話が面白くないだのと言った、いわゆる一般的な、あまりに一般的な話が展開されるのみである。しかし同い年で、同じクラスに属す「平等」なはずの彼と私との間には明らかな優劣の差があった。彼が「そういえば」と言えば、私の鼓動は異常なまでに加速するのである。次に始まるのは、会話か、あるいは、戦争?そんな愚かな迷妄めいもうに走らされ、一喜一憂の行方は完全に彼の手中にあるのである。けれどもこの状況を、私は楽しんでいた。無論、俗に言う「愉しむ」余裕は全く無いのであるが、この手玉に取られているような状況に、妙な充足感のようなものを覚えていた。そんな自分が嫌いでは無いのだから、私はこの状況を楽しんでいると言って差し支えはないのだろうと感じるのである。しかし今夜は、純然たる世間話が展開されるのみで、特段普段と違った展開に至ることはなかった。


 彼はいつも「おやすみ」の後に「ありがとう」と付け加え、それっきり彼が起きるまで既読も一切付かなくなる。そうして彼が眠りについた後も、私の静かなる戦いは続く。「ありがとう」というメッセージの意図は?教壇に立ち、自身だけが模範解答を持っているという優越感に浸りながら、独りよがりな授業を行う現代文の講師を、この時ばかりは頼りたいと思うのである。私の何に「ありがとう」なのか?どうすればもう一度言ってもらえるのか?そんなWhy、What、Howがひしめく頭を救済する言葉がある。


「奇跡」


 つまり、彼と話せているこの状況だけでもまさしく奇跡で、その他の諸事情なんて考慮に値しないものなのだという、なんともおちゃらけた、デタラメな発想であった。しかし、これに幾度となく救済されるうちに私の頭は思考をやめ、いつしか「奇跡依存症」に陥っていた。けれど最近は、その魔法もめっきり効果を無くしてしまっている。


 私はまだこの世に生を受けて17年と数ヶ月に過ぎないが、そんな短い中でもたった二つ、教訓めいた天啓を得た。第一に、依存症は元々それそのものが好きで発症するのではなく、それが前以上の効能を発揮するのを切実に願う思いから依存に陥ること。第二に、おそらく、今の私の抱える想いこそ「恋」と呼ぶにふさわしいに違いないということ…。こんな、唯一の頼みの綱、つまり「奇跡という存在」にすがりながら、戦いを楽しんでいる私という存在の矛盾。そして私と同じような者が幾千万とこの世の中に溢れているという現実。ああ、恋愛至上主義の、戦闘狂の渦巻くこの社会で平和を声高に叫ぶことの、なんと無意味なことか!私の体が「今以上の奇跡」を希求するようになってから、彼と話した後はいつもそんな無駄なことを考えるようになってしまった。しかし私はいつも、秒針がゆっくり、ゆっくり歩みを進める音で現実に引き戻される。今日もまた不十分な睡眠になることを覚悟で、夢の中へと飛び込んだ。

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