肉食獣。



 臭い消しスプレーのお陰で体臭は気にしなくて良い。俺が気にするのは足跡を見失わない事と、音を立てないこと。


 ラップを巻いたダンボールアーマーはラップ同士が擦れると「ギュップ、ギュップ」と絶妙に煩いのだが、その音もなるべく立てない様に気をつけて、足を運ぶ場所は可能な限り厳選する。


 木の枝を踏むのは論外。静かな森では枝が折れるパキッて音も結構響く。


 落ち葉も可能なら踏まない。カサカサとした音は獲物も狩人も一番気にする音だ。それを自分が立てるのはナンセンス。


 出来れば木の根が盛り上がってる様な場所を選んで踏み、根が無かったら落ち葉の無い柔らかそうな地面を、それも無ければ瑞々しく背の低い草を踏む。


 背の高い草は踏み潰すとカサカサと音が鳴るからダメだ。可能ならタンポポやノゲシみたいな草を踏む。


 気配を殺し、呼吸も殺し、息遣いさえ邪魔だと全てをねじ伏せる。俺の耳に聞こえるのは自分の心音と、森が奏でる環境音のみ。


 若干後ろの方に居る女の子が出す騒音が煩いが、向こうも必死に気配を殺そうとしてるのは分かるから文句も言えん。むしろ素人にしてはかなり頑張ってる方だと思う。


 多分、女の子のハントレットが頑張ってサポートしてるんだろう。


 足跡を追跡し、途中で糞を見付ける。その辺の木の枝を使ってほじくると食性が分かる。やっぱり肉食だな。


「此処で合流したな」


 小声で独りごちる。足跡を見ると、十匹以上の群れとなったのが分かる。


 それと、足跡の湿り具合が深い。獲物は近いぞ。


 追跡を続けて、更に十分ほど進んだ。


「…………居た」


 距離にして、120メートル程か。もっと近いか? そのくらいの距離に、木々の隙間から獲物が見えた。


『レベリアストです』


 ティアが言うにはレベリアストって名前らしいそいつは、見たままをセリフにするなら「ディノニクス」だった。もちろんそのままって形じゃ無いが、とても似てる。


 色は深い藍色で美しく、剥製にしたら映えるだろうなと思える見た目だった。いや、恐竜そのものって見た目だけでも価値はあるか。好事家こうずかが喜びそうだ。


 体表が鱗の個体と、羽毛に覆われた個体が居るのは個体差か? それとも何か基準が? いいや、狩った後レティに聞けば良いか。


 奴らは12匹、いや12羽? とにかく12体居て、地面に転がる肉塊をついばんでる。アレはなんだ? どんな生物が奴らに殺されて食われてる?


 今後の為にも食性を正確に把握したいが、奴らが食ってる死体の損壊が酷くて判別出来ない。これも後でレティに聞こう。


 俺は音を立てないように、木々と茂みの影からそっと体を出して、弓を構える。


 狩猟に於いて、矢のつがえ方は大きく分けて二種類ある。


 すなわち、『静かに素早く矢を番える』か、『めっちゃ静かに一切音を立てずに物凄くゆっくり矢を番える』かだ。音を立てないのは基本で、後は更なる静音性を求めるか、素早さを求めるかの違いになる。


 俺は一切の音を消し去ってゆっくり、慎重にホルダーから矢を三本外した。クソっ、全部外してアイテムポーチに入れておくんだった。


 アローレスト、矢を番える為のパーツに矢の矢柄シャフトを添え、矢筈ノックストリングにハメる。ノック、矢筈やはずとは矢のお尻にある、弦を引っ掛けるみぞの事だ。


 慎重に、慎重に…………、ストリングを引く。


 今のレイヴンはドローウェイト75に設定してある。本当は80ポンドが良かったが、流石に重かった。ムキムキのアメリカ人とかが使う設定だしな。75ポンドでも結構凄いことなんだぞ。弓のために筋トレしたからな。


 コンパウンドボウはストリングを最後まで引くと、ストリングにかかる重さが一気に減るから保持し易い。


 ただその機能を実現する為に複雑な作りをしてるので、矢を番えずにストリングを引いて弾くと、矢を通じて逃げるはずだったエネルギーが弓本体をぶっ壊すので注意だ。コンパウンドボウの空撃ちはダメ、絶対。


 感じる張力が軽くなったストリングを保持したまま、俺は獲物を狙う。なんだっけ、名前はレベリアストだっけ? 面倒だからレベで良い。


 どこを狙うべきか。ドローウェイト80近いコンパウンドボウの最大射程はビックリする程長くて、山なりに飛ばせば一キロとか平気で飛ぶ。


 だが、山なりに射ると的当ては難しい。なので普通に使う分の射程はそこまでじゃない。


 120メートルって、的当て競技のプロとかが遊びでやる距離だぞ?


 オリンピックなんかのアーチェリー競技だって、レギュレーション70メートルとかじゃなかったか?


 そして、俺はどこを狙う? レベはディノニクスみたいな獲物だ。頭が小さいからヘッドショットは無理。この距離で狙ってもお祈り運ゲーしなきゃならない。矢の行方をお祈りする奴を狩人とは呼ばない。


 ならば胴体。だが即死させるには心臓一択だ。他だと即死せずに逃げられる。いや、あいつモンスターだし逃げないで襲って来るか? どっちにしろ望ましい展開じゃない。


 ………………よし、首の付け根辺りだ。


 あたれば気道、動脈、心臓、肺のどれかは潰せる。逃げられても追いかければ途中で死ぬはず。更に奇跡が起こればヘッドショットの可能性も無くはない。お祈りする奴は狩人じゃないが、お祈りまで織り込んで計画するなら別だろう。


「………………ッッ!」


 声を出さずに、射る。


 パチっと鳴るのは飛んだ矢じゃなく、解放されて瞬間的に空気を裂いたストリングの音だ。意外に可愛い音が鳴る。


 矢音の場合はもっと、「……ヒャッ」て感じに儚くて存在感のある矛盾した音が鳴って怖いのだ。矢の風切り音を聞く側、つまり狙われる側にはなりたくないもんだぜ。


 まぁ矢の音なんて使う矢にもよるんだけどな。ベイン、またはウィングと呼ぶ矢羽やばねの材質や形状でも結構変わるし。


「--イギュゥアッッ!?」


「ギィッ!?」


「アギャァァア! ギァアギァッ!」


 思案してる内に、俺の放った矢が獲物に突き刺さり、…………そのままレベの身体を貫通して向こう側の木にぶっ刺さった。


 ぃよっし! あの出血量なら心臓抜いただろ! ラッキー!


 生き物は心臓が潰れても即死しない。あくまで「ほぼ即死」であって、数十秒は結構元気に動き回る。


 だが、死ぬ。ほっとけば死ぬ。それは確実だ。奴が「心臓が無くても生存出来るバケモノ」じゃないなら、これで死ぬ。


「…………ふは、ふひひひっ」


 楽しい。ずっとやりたかった弓猟が、こんなにも楽しいなんて。


「ひひ、ひひひははははは…………!」


 俺はどうやら、もうこのゲームの虜になってしまったらしい。


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