5

 君が僕の前からいなくなって2週間ーー

 僕は仕事に復帰し、以前のように要人の警護をする日々を送っていた。

 君を失った悲しみの淵から未だに抜け出せない僕だが、君がしていたように星を鑑賞することによって、少しずつだが気持ちが楽になっていった。

 君は生前、星を見ながらこんなことを言っていた。


『将来、私とあなた、お互いが幸せに暮らせてたらいいんだけど、もしつらく離れていたら、夜空を見上げて一際輝く星を私だと思って話しかけて』


 僕は思う。きっとこの言葉がなくても、僕は星になった君を探し求めたはずだと。それは必然としか言いようがない。

 いつものように一際輝く星を君とし、一方通行の交信を始める。


「そちらの暮らしはどうですか?あなたは相変わらずお綺麗です」


 返ってこない君の声。急激なむなしさに襲われる。

 これも僕の”日々”だった。あらがう手立てなど探してはいない。

 1秒たりとも自責からの解放を許されるはずがないのだから。


 僕は君を、星空へと手放してしまった。

 愛する君は僕のもとから離れ、遥か遠くへと旅立ってしまった。


 ーー僕が、君を死なせてしまった。


 その事実は、僕に為すすべがない空虚をもたらした。

 どうしたらまた君に会えるのだろう。

 どうしたら君に触れられるのだろう。

 どうしたら…どうしたら……。

 どうしようもなく君が恋しい。


『私を、守ってくれる?』


 深くうなずく。

 もちろん。絶対に守る。僕は君をーー。



 背の高い男が依様に近づいている。

 依様の顔が引きっているような気がする。ここはただちに警戒しなければならない。

 僕は各所に配置されているボディーガードたちに、特別な目配せで危険を知らせ、近づくA氏にこう指示する。

「皆に伝えてほしい。依様に接触しようとしているあの男を最重要危険人物とし、くれぐれも周囲の安全に配慮しつつ、いつでも捕らえれるよう緊張感を持って任務に当たってほしいと」


 依様が男と話し始めて間もなくのこと。急に依様が僕をじっと見据みすえた。

 何事かと身構え、SOSを見逃さぬよう注視する。

 口が動く。しかし、声が聞き取れず眉をひそめていると、依様はすぐに次の言葉を発した。


『大好き!』


 SOSの言葉ではなく、シンプルな告白だった。

 それにしても依様はなぜ今急にそんなことを言ったのだろう。

 あの男が関係しているような気がしてならない。

 それとも、急な心境の変化があったのだろうか。

 だとしても、大きな声であからさまに僕を求めているような訴えアピールは、状況的につつしんだ方が良いかと…。

 静かに警戒心を強め、心の中では依様に注意喚起をしているが、義務心と本心の狭間で葛藤し、密かにときめいていた。

 ちょうどその頃、オーケストラの演奏が始まった。

 ゲストたちは飲み物を片手に色めき立っている。

 しかし僕は正直、気が散ってしまって警護の妨げになりそうだと、怪訝けげんそうにそれらを一瞥いちべつする。

 再び依様の方へと視線を移す。すると、依様が後方にいる男の方へと顔を向けようとしたその時だった。

 依様の体がぴくりと跳ねたあと、再び僕の方を見据え、スローモーションのようにゆっくりと倒れ込むと同時に、僕は依様のもとへと駆け出した。

 犯人は依様と一緒にいたあの財閥息子であることは明白で、すぐさま逃亡を図った。視界の隅でその姿を認めるも、最早もはやそれどころではない。

 周囲にとどろく悲鳴。

 依様の体を抱きかかえた。

「依様…!!しっかりしてください!!依様ーっ!!」

 肩で息をしていて苦痛にゆがむ表情と、体に触れた瞬間の濡れた感触から、瞬時に流血を疑い、事の重大さを認識する。

 視覚で確認すると、やはり血液だったことに絶望した。


 失いたくないーー。


 その強すぎる気持ちが先走り、逃れられない悲愴ひそう感に押し潰され、とめどなく泣いた。

 僕は依様をこんな目にあわせた憎き犯人を、仲間への暗黙の了解という都合のいい感覚頼みから、追わなかった。

 職務を放棄した人間とは、こうも感情をあらわにできるのかと身をもって体現した。

 心が張り裂けてしまい、もがきながら息をしている感覚も初めてだった。

「私のボディーガードさん…お願いだからそんなに泣かないでよ。目一杯深呼吸もしないと…」

 苦しそうなのに、なぜ君はこんなにも人のことばかりおもんぱかり、自分のことには人ごと的なのだろう。

 僕は依様にうながされるがままに、呼吸を整える。

「多分私はもう…」

「だめです、依様…!」

 君をどこにも行かせたくない。魂をがんじがらめにしてまでも、離したくないと切に願った。

 想いが先走り、強く抱きしめることしかできなかった。

 依様の早まる息遣いにより、はっとふと我に返った。慌てて表情を確認する。

「すみません、依様…」

 依様は苦しそうな表情ではなく、柔らかな笑みを浮かべていた。

 じきに依様の瞳の色と、視線の強さが変化した。


「お願い。はなむけに…キスして。頬にじゃなくて……唇に」


 はなむけに、キス…?

 祝い事でもないのに縁起が悪いと思った。

 依様の冗談はまったく笑えない。

 けれど、僕は躊躇ためらわず、依様の唇に初めてのキスをしたーー。

 

 大勢の人たちの視線など意識の中にはなく、僕とのキスが依様の願いであるのならば、叶えたい一心でぎこちなくキスをした。

 あまり依様に負担をかけたくなくて、触れるだけの慣れないキスで恥ずかしかったが、微笑んでいる依様につられ、僕も笑みがこぼれた。

 それでも一刻を争う状況には変わりない。

 微笑みながらも視線が定まらない依様が痛々しくて、愛おしくて……泣けてくる。


「また…キスしたい…」


 依様の願いをもう一度叶えたいし、もちろん僕ももう一度依様に触れたいと思った。けれどそうすると、一緒にいられる時間が短くなってしまうのではないかと、最悪なことが頭をよぎった。

「…体に障ります」

 ハハッと笑う依様は、こんなにも愛らしいことを言った。


「じゃあ、また会った時に…キス、しようね…」


 君には敵わない。どうしても君を失いたくないーー。

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