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 ーーごうを煮やす。

 私の心は、決して穏やかではなかった。

 私と彼、ボディーガードさんの関係は、一向に守り守られという職務上の関係を超えずにいた。よって、途方もない平行線をたどっていると感じ、焦燥感しょうそうかんに駆られた。

 私がどんなにわかりやすく好意を表現しようが、ボディーガードさんの根底は揺るがないのだと諦めかけていた。そんな時だった。

 ここ最近仲良くなった友達に、知り合いのホームパーティーに行こうと誘われ、ちょっとした計画をくわだてる。


「依様…。どういうおつもりですか?」

 らしくなく、私のボディーガードさんは不機嫌だった。

「ごめんなさい。最近仲良くなった友達からの頼みとあっては、なかなか断れなかったの。恵衣美みたいにすごく馬が合う子なんだ」

 しばらくの沈黙と、続く不機嫌顔。緊張感が走る。

「…異性もそのホームパーティーに参加するということは、依様の身に危険を及ぼす可能性があるということです」

 そう。これこそが私の企みである。

 友達とホームパーティーに参加できることはとても嬉しいことだけれど、異性もいるという事実を聞いた時のボディーガードさんの反応を知りたかった。

 企みとは大袈裟おおげさな表現で、単に平行線を辿っている関係が変わるきっかけが欲しかっただけなのだ。

「危険だなんて、大袈裟おおげさだってば」

「心配してらっしゃるご家族のためにも、ここは不参加を」

 この緊迫した状況でも、私はどうにも逃れられない想いに駆られ、強気な言葉をつむいでしまう。

「あなたは?あなたはどう思ってるのかを知りたい。私の命が万が一危険にさらされても、私を単なる警護対象として義務的な心配をするのか、特別な感情ありきな心配をするのか、興味深いなあ〜」

 やめておけばよかった。ボディーガードさんの表情はいたって無と不機嫌の融合体で、期待する展開は望めない。

「からかいはそこまでにしてください」

 ほらね。当然のむくいだが、鉄仮面にけたボディーガードさんは、今日は容赦ようしゃなく冷たい。

「…あなたにはからかってるように見えてるとしても、私は真っ直ぐな気持ちであなたの本心を聞きたいって思ってるんだけどなあ」

 ボディーガードさんは半歩身を引き、今しがたの冷淡さはどこへやら。急に咳払いをしたかと思えば、焦点を私からずらし、ぎこちなく遠い目をして。

「あの…僕は常に依様を家族のように想い、特別に心配しているのです。どんな時も、そのことを肝に銘じて行動してください」

「え?…あ、はい」

 完全に不意打ちだった。本当にこの人は不器用で可愛すぎる人だなあと、改めて胸がときめいた。

 ところで今の言葉って、家族的感情と特別な人への感情を兼ねて心配しているっていうことだよね?

 私自身に念を押すと同時に、ボディーガードさんも私に念を押した。

「僕がなぜここに住み込んでまであなたをお守りしているのかを、今一度心にめておいてください」

 自分勝手な喜びも束の間。その言葉を受け、大切な人を困らせてしまったという罪悪感による遅い気付きをもたらせた。

 私は完全に油断していた。

 正直なところ、ボディーガードをやとうほど、危険にさらされた環境ではないと感じていた。

 彼らは常にいかなる状況下においても、100%安全だという確証がない限り、目視もくしできる範囲すべてを警戒し、守るべき対象を守りぬく覚悟を持って任務遂行にんむすいこうの日々を過ごしているというのに…。

 先ほどの不機嫌な彼に1ミリの落ち度もなく、むしろ見解が甘かった私の落ち度は重罪だ。

 とっくに理解していなければならなかったし、ただちに認識を改めるべきだと猛反省した。

 今回気分に任せ、企みを実行する舞台を見誤ってしまった重大さに、この時はまだ気付けていなかった。

 私は早々に参加者として処理され、もう不参加への変更がかなかった。

 時すでに遅し。私の重罪は、まで続くことになるーー。


 ホームパーティー当日ーー

 鏡の前。綺麗なパーティードレスを着飾っていても、自分が招いた心配ごとを思うと、心穏やかではない。

「浮かない顔をしてますね」

「あなたたちに迷惑をかける事態になってしまったから…」

「こう思うことにしませんか、依様。もうこの際、あらゆる心配は僕たちに任せて、せっかく仲良くなったお友達とパーティーを思う存分楽しむことに徹する」

 控えめに鏡越しの私を見つめる愛おしい人は、こんなにも前向きな言葉を紡ぐ。

 不機嫌にさせたあの日のことは、遠い過去のことのよう。

金木犀きんもくせいの香り」

「え?」

「依様は自分の匂いというものに気付いていますか?僕は依様の甘い香りが好きです。とても」

『とても』を噛み締めるように言うものだから、非常に照れ臭くて参ってしまった。

「ママの好みの柔軟剤のおかげだなあ〜」

 口角を上げて笑う彼の柔らかな表情を、私は一生見ていたいと願った。

「ですが依様。今日はとても、なんと言いますか…お洋服が奇抜すぎやしませんか?淡いブルーの綺麗なドレスではあるのですが…」

 奇抜とは大袈裟だが、女性を知らなさすぎるボディーガードさんからすれば、そんな感想になるのは仕方がない。

 今日のパーティーのドレスコードは、男性・ダークスーツ/女性・肩出しパーティードレスだった。

 いつも女性の定番は、パーティードレスなのだが…。と加えられていることに、少々露骨な下品さを感じてはいた。

 だけど、不参加に変更できない今となっては、そのマイナス感情をあらわにしたところで、従うほかないのだった。

「でもねこのドレス、季節に合ったすずやかさが感じられて素敵だと思うなあ〜」

 早口の棒読み。一応肩出しルックを遠回しに褒めてみた。

「肩付近はだいぶ涼しそうですね…。ドレスはもちろん素敵ですが、他の者がどういう目で見るのかが気になってしまいます…。あの…僕はただ防犯上、あらゆる視点で危険を見抜かなければーー」

「ストップ。…重々承知しております」

 諦めたふうに吐き出す敬語が、むなしさを連れてくる。

 ここで言葉をさいぎらないと、どんどんを強調されそうでおもしろくない。

 彼の護衛能力については、日頃の職務遂行を近くで見てきた分、絶大な信頼を寄せてはいる。

 だけど、今日は普段とは違う。広大な庭園でのホームパーティーとあって、一瞬の隙を見て私がもしさらわれたら、二度とボディーガードさんと会えなくなってしまうかもしれない…。

 パーティーの参加を危険だと心配していたボディーガードさんには大袈裟だと笑ったが、このに及んで良からぬ妄想が膨らむ。

 会場に到着し、送迎車から降りる直前。

「私を、守ってくれる?」

 ボディーガードさんへの、シンプルで明白な要求をする。

 私への強い眼差しが、語らなくても”当然だ”と言っている。そして、凛々りりしくうなずくあなたは本当に頼もしい。

「では依様。今日も一日、すこやかにお過ごしください」

 この言葉は、ボディーガードさんによる出発前の常套句じょうとうくであり、一旦離れる私へのお守りの言葉だった。


 パーティー会場とされる某財閥家の会場にて。

 ボディーガードさんたちの入場も無事許可されたらしく、いつでもその黒く凛とした存在を知らしめてくれる安堵感に、無敵なのだとたかくくる。

 友達と合流後、食事と会話を楽しんでいた時だった。

「あ、そうだ依ちゃん。さっき素敵な男の人がいてさあ、私のタイプだったんだけどね」

 とくんっーー

 ああ、またかと心臓が跳ねる。

「ちょっと待って」

 咄嗟とっさに彼女の話を止めてしまった。


『依のボディーガードさん、私の理想の彼氏像にピッタリ』ーー


 よみがえる記憶。恵衣美との取り返しのつかない永遠の別れが、いまだにトラウマになっていることを思い知る。

「多分その人、私の知り合いかもしれない」

「そうらしいね」

 え?知り合いだとなぜ知っているのだろう。この会場に来てからまったく接触していないのに。

 あ〜、何度か目配せはしていたから、その場面をちょうど見られてしまったのかもしれない。

「あの人のこと、そんなに気に入っちゃったの?」

 あっけらかんを演じる。怒って友達を失うあやまちを防ぐために。

「全然」

 あれ、今回は違うのか?

「依ちゃんと合流する前にその人とぶつかったんだけどさ」

「ぶつかった?」

 それはおかしい。うちのボディーガードさんは常に細心の注意を払っているから、人とぶつかるようなことはないはずだった。

 それに、友達と合流するまでは私が安心できるよう、ずっと私の視界にいたのだ。誰かと接触したのなら、私も気付くはずだろう。

 ボディーガードさんのことではなく、違う人なのかもしれないと思い、安堵したのも束の間。

「そう、肩が軽くぶつかっちゃったの。その時、『君可愛いね。でも、僕の依ちゃんには敵わない』って言ってさ。ってことは依ちゃんの知り合いっていうか、彼氏の可能性もあったりする?」

 やっぱり何かがおかしい。

「ううん。それは断じてない。私には、”僕の依ちゃん”って言われるような間柄の人なんていないから…」

 大学で話す異性は教授以外は皆無かいむだし、ボディーガードさんしか思い当たらなかったのだが…。

 あ……。私の視界に突如入ってきた異性。よみがえった消去したい記憶。


『魅力的な君にまた会いたくなりそうだ』


”僕の依ちゃん”と言いそうな該当者1名、発見。


 ーーこのあと誰も想像し得ない事件が、私を待ち受けていた。

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