別離 1

 依様はこの頃、大学の同級生との交流を次第に増やしていった。

 講義後のカフェでの団欒だんらんや、友達との課題提出に向けた準備等に勤しんでいて、”何よりだ”といういつわりの気持ち半分と、”おもしろくない”という正直な気持ち半分。

 それでも僕は、当然ながら普段通りに任務を遂行する。

 聞けば友達は皆、ごく普通のご家庭で育てられた、つまり、それほど身の危険を案じなくても安全に暮らせる平和な環境下の人々らしい。

 だがその中に、財閥の娘である依様が加わることで、友達にも危険が及ぶ可能性が生じてくる。よって、依様のみならず、友達数人の護衛も自ずと任務の対象となる。

 危険指数の高い低いは関係なく、常に最悪のことを想定し、護衛にあたるこちらの人数を増やす必要があった。

「依様、お忙しいところ大変恐縮ですが、今お話しした新たな警護態勢の強化をまずはご報告いたしました。…依様、やはりうわの空ですか?」

 報告のタイミングを完全に誤ってしまった。

「え?あ、ごめんなさい。課題が大詰めで…。でも一応聞いてたよ。り人が増えるって話だよね?よろしくお伝えください」

 早口でこの話題を素早く完結させた。

 言いたいことはあったが、きっと今はもう頭の中が文字だらけで、僕の言葉など入れ込む余裕はないはずだ。

 僕はこっそりと笑う。僕は一度も”り人”という言葉を使ってはいないのだが、古風且つ、神秘的な言葉を使ってしまう依様の言葉選びのハイセンスに脱帽する。

「あ、今笑ったでしょ」

「はい。依様が素晴らしくて」

「何それ。まあいいや。もう少しで終わるから待ってて」

 ささやかでも、平和な時間は存在する。


 今日も今日とて星空を見上げ、依様とふたり、ほっと息をつく。

「星ってなぜこんなにも人の心を癒せる力があるんだろう」

 依様がそんな質問をする。

「本当に素敵な世界観だと思います。でも依様、その質問は、僕にしていますか?」

 僕が恐縮したあの瞬間がフラッシュバックした。

「あ…。今日はそのつもりよ。あの日はあなたが勘違いして星の代わりに答えてくれたけど、今日はズバリあなたの回答を知りたいんだけど?」

 あの日の質問を鮮明に思い出し、再び恐縮してしまう。


『恋を進展させるにはどうしたらいいの?』


 今日と同じく、星の鑑賞に付き合っていた僕への質問だと勘違いしてしまったあの時。

『依様、あの…僕は恋についてさっぱりわかりません』

 あの日の依様曰く、『まぎらわしくてごめんなさい』という言葉は、僕しかいない状況下において、正直いなめようがなかった。

 星空へ向けた少女の切なる問いかけだけに、少々センチメンタルな気持ちになってしまったという事実は内緒にしておく。

 そして今度こそ、僕なりに堂々と質問に答えた。

「肉眼で確認できる星の数は、およそ5千個です。ここから見える星はそれよりは少ないとしても、晴れていればこれほどにまで多数の星たちが私たちを見守ってくれている。そんな無条件に癒してくれる応援団であり続ける存在だからこそ、世界中の人々が救われているのだと僕は思いたいです」

 パチパチパチーー。拍手と依様の愛らしい微笑みが僕に向けられる。

「断言してもいい。きっとそれが、完璧で誰もがむくわれる回答だよ。将来、私とあなた、お互いが幸せに暮らせてたらいいんだけど、もしつらく離れていたら、夜空を見上げて一際輝く星を私だと思って話しかけて。私もあなただと思って、が明けるまでその日の出来事を報告するから」

 とびきりの笑顔が愛おしかった。

 だけど、依様と僕がこの先本当に離れ離れになってしまったら…。

 そう想像する必要があるのは、無きにしもあらずだという、明日かもしれない事態が現実に起こりる可能性に備えるためだった。

 だが同時に、この”無きにしもあらずな事態”は任務失敗を意味する、決して起こしてはいけない事態でもある。

 なぜなら、100%の任務遂行こそが、僕たちボディーガードに課せられた責務なのだから。


 離れ離れ=依様の笑顔を見ることができない+僕の笑顔を失う


 これは稚拙ちせつな方程式なのかもしれない。けれど、この方程式が正解かいなかは僕にしかわからない。

 この方程式が正解ならば、僕にとって依様との別離とは、星にもまさる癒しの消失と言えるのだ。

「離れるのは御免ごめんです。責務に反する結果が生じることは避けたいので…」

「もう〜、これだから仕事一筋な人間はつまらない!あなたが恋愛したあかつきに質問すべきだったよ」

「はい。それが依様の本心であるなら、そうしていただきたい」

 あからさまに頬をぷくりとふくらます依様は、この上なく愛おしい。

 けれど僕はここで、一度だけ大きく深呼吸をし、仕事モードにシフトする。

 緩みは禁物な仕事に就いた以上、どんな状況であれ、この切り替えは必須なのだとおのれかつを入れなければならない。

 決して大袈裟ではなく、深刻な死活問題に発展しかねないのだ。

 ボディーガードのこんな初歩的な常識を、今更ながら何度も何度も繰り返し頭に叩き込むこの頃。

 僕は星を眺め、心の中で一方的な対話に挑む。


 ーー星よ。僕はこのまま依様のそばにいても、失望させるだけではないだろうか。


 当然星からの返事などないのだが、”希望と究極の癒し”と言える、存在感を知らしめる星を、目で追うことに成功した。

「わあっ!流れ星!あ〜あ、願い事するの忘れてた〜…」

 残念がる依様を横目に、僕はその流れ星の存在を勝手な解釈で、”僕に向けた応援の証”だったのだと、密かに胸をおどらせた。


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 恋の病。僕はどうしてこうも軽率なのだろう。

 雁字搦がんじがらめで解放されないこの気持ち。

 なぜこんなにも長い期間、つのる想いを解放できないのだろう。

 密かな想いを抱いて苦悩する僕を、君はとうに気付いているだろうか。


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 この詩をしたためた数日後、

 僕と依様にとって、運命の日が訪れるーー。

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