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「じゃあ私が、空手四段の師範代しはんだい並の強さだったとしたら?」

 これは、れっきとした事実です。

「事実だとしても、それを過信することでさらに悪運を招きかねないだろ?」

 空手は幼い頃から極めたくて、突き進んできた習い事だった。親の希望もあったが、日々凶悪な犯罪をニュースで目にするたび、自分自身を守るすべを習得しなければならないという使命に駆られた結果、空手四段を取得。

 無知は羞恥しゅうちすべきことではあるが、何を言っても辛辣しんらつな正論を返され、わずかなプライドでもずたずたに傷ついてしまう。

「空手、今も続けてる?」

「…続けてはないけど、努力と技は身についてるから!」

「実践できることが重要だろ」

 御尤ごもっともだ。いざという時に、体のなまりから生じる技の不発があっては元も子もない。

 それを理解した上であえて言わせてもらいたい。やっぱりどうしても碧はいけ好かない。辛辣しんらつが常で、人の心を思いやれない可哀想な人だと思う。

 我慢をしていたが、今までの不満はこのタイミングに爆発してしまったのだった。めずらしく機関銃のごとく。よって、話がれていった。

「碧はなんでいつも私にだけ厳しいの?見たことあるよ。他の人全般には笑って話してるじゃない。この際教えて。私のことが相当嫌いでしょ」

「は?なんでそういう陳腐ちんぷな考えに至るわけ?」

 明らに感情任せな私が悪い。普段じゃ考えられないほどの醜態しゅうたいさらしている。だけど自制が効かず、さらに爆発は続く。

「私にはほぼ目をらして話すか、にらみながら話すじゃない。この際理由を聞かせてよ。私の目を見て」

 みにくい私の望み通り、碧は私の目を強烈なにらみで凝視ぎょうしする。そして、深いため息をつき、吐き捨てるように言った。

「バカみたい。いちいち俺の言動に反応しちゃうなんて、時間の無駄だからやめなよ」

 拒絶感にさいなまれながらも、対峙たいじしている私に背を向けて歩き出した碧の腕を必死につかんだ。一応、歩みを止めることに成功した。

「まだ答えを聞いてない。お願いだから、避けずに罰ゲームだと思って私を見なさいよ!」

 碧は渋々再び私と対峙たいじし、無機質な視線が見えない矢となり、容赦ようしゃなく私に突き刺さる。そして。


「見たくないほど嫌いだからだよ。他に理由なんてない」


 ここまでの嫌悪けんおだとは、想像もしていなかった。

 愕然がくぜんとした私は、掴んでいた碧の腕を力なく解放した。そして、途方に暮れる。

 私を見たくないほど嫌う理由って…なんだろう。外見が生理的に受け付けないとか言いそう…。

 もう一度質問する勇気など、もう私にはなかった。

 この時私の脳裏に浮かんだのは、当然付き合いたての人物、であるべきなのだが、そうではなかった。

 目をつむれば思い出す、夢の淡い残像。


 早く家に帰って眠ればーー。


 ほのかな期待と突発的なときめきに戸惑うばかり。

 しかし、この場から逃げ出すわけにはいかなかった。逃げたくなる弱気な心情を払拭ふっしょくすべく、心の中でおのれかつを入れる。

 出会った当初から一貫して碧の態度は変わらない。ということは、やはり私のことを直感的か生理的に嫌いなタイプだと、初対面の時に判断したのかもしれない。

 付き合いで、無理して推し友になってくれたのかな。

 推し活初日に行きの道中私を見守ってくれたのも、友情は関係なく、ただ単に正義感ゆえだったよね。

 碧のことはすべてが推測になるのだけれど、これが残念な実情なのかもしれない。

 碧は傷心な私を放って去って行くーー。これが、この現状の末路だった。

 しかし、どういうわけか実際の碧は、未だ私と向き合ったままだった。

 瞳はうれいを帯び、地へと向けられている。

 その悲しげな瞳の意味は、私と同じなのかな。

 精神的に辛いと思うこの瞬間こそ、想い人に会いたくなるのではないだろうか。

 私に悪絡みされ、心の癒しを求め、私の存ぜぬ想い人に恋しい想いをせていてほしい。そうならば、私の罪悪に満ちたみにくい感情を、都合よく浄化できるのだから。

 地へと向けられた視線は、深いため息と共に私へと返り咲き、瞳と瞳がぶつかる。先ほどの無機質な視線とは違い、温もりを帯びた柔らかな視線が、心地よく私に降り注ぐ。

 突如襲われたイレギュラーな感情に、私は慌てふためく。

 ダメだ。これは一時的なギャップ萌えだから、変に反応してはいけないやつだ。平常心を保つべきだと、即座に脳が反応する。

「…あのさ、まともに私を見てくれるのはいいんだけど、ちょっと…変わりすぎじゃない?」

「お望みに応えただけなんだけど?」

 ですよね…。この淡々つ良しし関係なく、心のおもむくままに話す感じが碧の常で正常な返しなのだ。

 頭をよぎったいろいろな思考は、私の陳腐ちんぷな思考であって、範疇外はんちゅうがいだったのかな…。

 一応推し友としてまだ続けていく所存の私としては、嫌われてても、もう少し心を開いていただき、METEORの話や恋話コイバナでもできれば幸いだと開き直る。

 ”開き直り”は、ポジティブシンキングの代表だと思っている。そうする(開き直る)ことで、苦境くきょうを乗り越えられるはずなのだ。


 その後、私はバイトを開始した。

 バイトの仕事は、ありがたく順調だった。意外と力仕事もあって大変だけど、やっぱりやりがいはぴかいちだと思うほどだった。

 ミコトと私の関係性は変わらず健全で順調、だと思うことにしている。

 帰宅時はいつもミコトが迎えに来てくれ、十分守り守られていることを自覚しながら、身を引き締め帰路を歩いた。

 一向に手も繋がない状況は続いていたが、わざわざ迎えに来てくれるだけでありがたく、”欲求不満”は薄れていた。

 帰路での話のネタとして、あの碧との出来事をミコトに話した。ひょっとするとミコトの耳にも入っているかと思ったが、知らない様子だった。

「…え?碧が依を、優しい目で見つめた?」 

 ミコトは歩みを止め、私の目を深刻そうな眼差しで見つめた。信じがたいことが起こったことを、このミコトの反応によって再確認する。

 微動だにしない時間が長く続いた。ジーッという虫の鳴き声が、二人のつなぐ。

「あ…いや、ごめん…」

 明らかな動揺が意味するものが、私の知らない”秘密ごと”なのだと直感した。

「ううん、私もびっくりしちゃった。あんな表情ができるんだなあって」

「…だよね。あり得ないことが起こってる」

 ”あり得ない”とは私も思ったが、いつも碧のそばにいるミコトにそう断言されると、俄然がぜん私が知り得ない”秘密ごと”に興味が湧いてきた。

 しかし、それを探る手立てが見つからない。

 碧のあり得ない優しい瞳もそうだが、あり得ない弱々しい少年のような瞳も忘れてはいけない。

 自分をと言ってしまうほど、なかなか会えない誰かを想って日々を過ごしている。

 想像すらできなかった別の碧が、あの時確かに存在していた。

 悲愴感ひそうかんと絶望感にさいなまれ、それでも推し活などで気をまぎらわして生きている。


 この日の夜、星を眺めながら改めて願った。

「お兄さんの癒しが必要です。私に会いに来てください」

 だけど、そう都合よくお兄さんは現れてくれなかった。

 なかなか会えないどころか、触れることなど不可能な相手にこっそり想いをせているこの状況から、私は物語の本人よりもっと悲劇的ななのでは?

 わざわざ自分を織姫だと言及する必要などなく、無理矢理織姫気取りをする私。けれど、よくよく考えると碧だって、物語の設定である一年に一度、七夕の日に愛する人に会えているかというと、そうでもないのかもしれない。

 定かではないが、この世にいない人を想い続けている可能性もある。

 織姫と彦星は、”悲恋”で連想させる代表的カップルであることは間違いない。だから感情の一致という観念から、自分を当てはめやすいキャラクターだったのかもしれないと納得する。


 数日後ーー。

 4時限目終了後の渡り廊下で碧とすれ違う際、教科書でとんっと軽く肩を叩かれた。

「依、ちょっと来て」

 教科書で叩くとは…。しかも、来夢が一緒にいるというのに…。

 来夢の碧への気持ちは尊敬と憧れであって、恋じゃないと言っていたけれど…。

「ちょっとヨリリン!まだ誤解が解けてないみたいだね。本っ当に恋ではないからほら、早く碧について行っといで!告白かもよ〜?」

「そんなわけないって。私の彼氏が碧の親友だって知ってるわけだし、何よりも私、碧に嫌われてるから」

「あ〜、それはそうというか…」

 ほら。来夢もミコトと同じで、碧が私をどう思っているのかをとっくに知っている。来夢も”秘密ごと”を知ってるのかな…。

「また悪態つかれても大丈夫。友達になったからには、気丈に食らいつくって決めてるから」

「感動〜。やっぱり私が惚れ込んだだけあるよ、ヨリリンは!うん、行ってらっしゃい!!先に弁当食べてるからねえ〜」


 碧について行った場所は、また非常階段だった。

「この前はちょっと…変な感じで悪かった」

 威圧的で感傷的。この両極端な二面性を私に見せたあの日の自分を、”変な感じ”だと簡潔かんけつに言う。

「あ〜、いや別に…」

「でも、依のことが嫌いなのは本当だから。それでも推し友としてよろしく」

 これが碧の常だとすでに納得済みでも、ムカつく度合いは変わりない。

「碧って不思議な子だね」

「は?なんなの、急に」

 嫌われているのは百も承知ってやつだから、心に決めたことを実行してみる。

「ねえ、いつか恋話コイバナしようよ。嫌いな相手だからぶっちゃけられるかもよ。この前の私みたいに恥じらいもなく、欲求不満なことでも」

「そっか」

 そう言って一瞬鼻で笑い、すぐに鉄仮面に戻る。

「ね。いいでしょ?この発想。いつかでいいから気が向いたらーー」

「いや、共感したわけじゃなくて。依も俺が嫌いだからぶっちゃけれたんだなあっていう納得の『そっか』」

 私は躊躇ちゅうちょなくぶっちゃけた。

「うん。嫌いも嫌い。大嫌い。でもだからこそ、誰にも言いたくないことでも顔色をうかがわずに言えるみたい。ということで、気兼ねのない友達だと勝手に思ってるから、それでもいいとしてくれたらありがたい」

「緊張しない気のおけない相手ってわけね。勝手にやってろよ」

 そう言って碧はいつものように先に立ち去った。

 本当、なんでこうも悪い男に育ったかなあ…。

 それにしても、私を教科書で叩くとは…(蒸し返す)。彼氏にも触れられたこともないというのに。

 いけ好かない男に間接的だけど、先に触れられてしまいましたよ。彼氏さん…。

 根に持つ私は、直接手で触れられたわけでもないのに、無罪な碧を変態扱いする始末。それなのに、なぜか胸がこそばゆい感覚に戸惑い、罪悪感を覚えた。

 大きく深呼吸をし、気を取り直したあと、非常階段をあとにした。

 少し歩いたところで、碧とまた遭遇してしまった。

 なぜか私の顔を見た途端、息をむ碧。そしてその直後、咄嗟とっさに私の進行方向とは逆を指差した。

「あっち、あっち行こう」

 明らかに慌てている様子。

「どうしたの?急に」

「変態魔がいる」

 嘘かまことか。また普段とは違う慌てた碧がおもしろそうだから、従うことにした。

「はいはい。あっち行けばいいのね」

 一体どうなってるんだか…。


 だがこのあと、ある人物の信じられない姿を目撃することになるーー。

 

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