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 私は今、碧に何を聞いたんだっけ?そして、そのあと碧は…。

 イレギュラーなことが起こった時、私は一瞬、思考回路がフリーズしてしまう傾向があるのかもしれない。


『もしかして…碧はこの世にいない人を愛してるの?』


 なんとか正常に戻ってくれた思考回路を確認し、ほっとしたのも束の間。

「俺がどんな人間を好きだろうと、依には関係ないだろ。土足で人のプライベートに踏み込んでくるなよ」

 その怒りに満ちた声色こわいろゆえ、碧はいつもの正常たる憎き人物だと改めて認識した。

 はい。もちろん私には関係のないことですよ。

 なのに、君はますます余計なことを伝えてきた。


「俺は彦星なんだ」

「…は?」


 今、彦星って言ったよね?ていうか、踏み込むなと言っておきながら、言ったそばから踏み込みたくなるようなことをわざと言ってない!?矛盾してる…。

「こんな気になるワードを聞いたとしても、これ以上俺のプライベートに踏み込んでくるなよ?」

 小馬鹿にした言い方にカチンとくる。本当碧って大嫌い!

「彦星…!?私、御伽話おとぎばなしの世界には興味ないんですけど?」

「…それでも、俺はいたって真面目に言ってるとしたら?」

 身長差ゆえ、この伏し目がちに降り注ぐ真っ直ぐな眼差しが、決して嘘のない真剣な眼差しだとしたら。

「あ…ごめん」と謝っている間に、碧は私の横をすり抜け、テラス席の方へと戻って行った。

 やっぱり苦手だなあと思うと同時に、さっきの純粋そうな男の子に戻れ!と、魔法をかけたくなった。

 何事もなかったかのように席に戻る私。おいしい料理を堪能している様子のミコトは、平和そうで何よりだった。

「大丈夫だった?遅いから気になってたよ」

 いたって紳士的な彼氏。なのに、一度引っかかったものは、すぐには元に戻らない。

 ダメだ。碧の件もあって、発作的にを補給したい衝動しょうどうに駆られてしまった。

 今の私は美味なる料理より、花火より、そして彼氏よりも、お兄さんを欲しているのだ。

 優しくて好感度のある、触れられる距離に存在してくれるかっこいい現実彼氏より、一生触れられない優しいってことしか存ぜぬ、夢でしか会えないお兄さんの方がまさってしまった不憫ふびんさ。

 さらに、この年で人生の最果さいはてへと来てしまった。そんな大袈裟な悲観的思考にさいなまれた。

 星がキラキラと輝く夜空一面に舞い上がる大輪の花火は、それはそれはとても綺麗で豪華だった。

 当然、それまでのよどんだ気持ちが洗われ、ひとまず安心した。単細胞に感謝。

 ふと隣の席に視線を移す。はいつもよく見る無表情を貫いている。感傷的に見えた先ほどのあの表情が、今でも思い出されてなんとも言えない気持ちになる。

 このタイミングに遅すぎる疑問が脳裏を独占する。


 ーーなぜ碧が彦星なの?


 あ〜、あれかな。遠距離恋愛中で一年に一度しか会えないとか。

 それをロマンチックだと思うのは、きっと当事者じゃないからだ。

 当事者なら、会いたいのに会えなくて、息苦しくなって酸素不足になりそうなほど胸が苦しい思いをしているのかもしれない。

 夢の中での私とお兄さんをれっきとした当事者とするならば、夢から覚めた直後、現実に会うことが不可能な得体の知れないお兄さんのことが無性に恋しく、胸が苦しくて泣いてしまうほど切ないのだから。

 お兄さんの夢を幾度も見るにつれ、おのずと涙の意味を知った。

 碧の彦星発言に対する私の見解は、あくまでも想像に過ぎず、真相を問うたところで『踏み込むな』と、また釘を刺されるだろう。

 私との会話中は常に悪態をついてくる碧だが、私とは一応、推し友という名目がある。問うことは普通であって、許されるべきだ。それが許されないのならば、理由を知りたい。

 もっと言うなら、そもそも私を拒絶するような言動の理由から聞かせてもらいたい。それと、自分でも気付いているのだろうか。あまり私を見て話をしないことを。

 平気なふりをしていても、内心傷ついていることにきっと碧は気付いていない。だけど、そんな気持ちを今はまだ隠したい。縁を粗末にしそうで怖いから。

 推し活、METEORとの関係に加え、今日、彦星発言でさらに謎な人物だということが浮き彫りになった碧。

 結局私は今日一日、彼氏と彦星に感情を揺さぶられ、大いに疲労した。

 そして数日後、とうとう私は本音をぶつけるべく、対峙たいじしてしまった。碧とーー。


 碧と私の喧嘩は、完全に私の過失だった。

 家に帰って落ち着きを取り戻した私は、おのれ叱責しっせきし、問う。

 いつか爆発しそうだと懸念していたとしても、隠し通すべきだったんだよ!縁を粗末にしたくなかったんじゃなかったの?なんで怒りにまかせて言っちゃったの?

 ああ、できることならあの瞬間に戻って、自分の感情をうまくコントロールしたい。きっとこれで、推し友を一人失った。

 ここで”開き直るのじゅつ”が作動。

「いいんだよ、これで。いつでも口を開けばいけ好かない言動ばかりで、私は不愉快極まりなかったんだから」

 言ったそばから、このすべが間違っていたことに気付く。さらに落ちていくばかりだった。


 私は数日前から将来のためにバイトを始めたいと思っていた。

 そんな時、タイミングよくあるお目当てな職の求人募集を目にする。

 場所は徒歩20分程度で行ける小さくてお洒落なフラワーショップ。

 子供の頃から将来なりたい職業として、すでに選んで揺るがなかった花屋さんの仕事だ。

 将来のためと言っても、お金を貯めるためではなく、花屋さんで働くノウハウを今のうちに習得したかったのだ。

 この決断は突然ではなく、中学生の時から心に決めていたことだった。

 正直なところ、時期までは決めていなかったが、ふと思い立って来夢とミコトに相談してみた。すると。

『フラワーショップで働く依かあ〜!うん。想像しただけでキュートな店員さんだよ、きっと!今すぐ始めちゃって!!』

『僕もいいと思う。あ、でも夜10時までだよね。遅くて危ないから、終り頃毎回僕が迎えに行くよ』

 こんな感じで、二人が後押ししてくれたことがすごく嬉しかった。何より、相変わらず恋人的ラブラブ進展なしのミコトと、いよいよ進展しそうな予感がした。

 それはいいとして、早速その日にミコトから私のバイト話を聞いた碧は、昼休みにわざわざ私のクラスに出向き、私を呼び出した。

 そんな目立つことをするものだから、人気のある碧はクラスの女子からの歓声を一身に浴びる。

 私をひとけのない非常階段に招いた碧は、天然不機嫌トーンで私にこんなことを言った。

「俺もバイトは大いに賛成だけど、働きたいって思ってる店の周辺の治安は、当然知ってるよな?」

 日々斜に構えがちな碧らしい言葉だった。

 ショップ周辺の治安…?知らないけど、そんなに悪いの?

 首を左右に振ると、碧は呆れ顔でとどめを刺す。

「ミコトと二人で次の日の朝刊に載ることになってもいいのか?これは脅しじゃない。可能性が1%でもあることに、ミコトまで巻き込むな」

 それもそうだ。友達思いな碧を理解しようと気持ちに歩み寄った私だったが、意に反し、咄嗟とっさにあることを暴露してしまう。

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