6

「恋を進展させるにはどうしたらいいの?」


 5月。夜風が気持ちいい季節の到来。

 けれども依様は、僕に余韻に浸る時間さえ与えず、恋愛の経験がない僕にそんなことを問う。

 この頃依様は、星の鑑賞に熱心で、それを趣味としていた。

 今夜は、自室のバルコニーにボディーガードの分際ぶんざいの僕を誘い、ともに趣味を堪能している。

 星の鑑賞に付き合っているうちに、僕もしかり。星の鑑賞を趣味にしていた。

 いつの間にかそれは、詩を書くことと同等の趣味となっていた。

「依様、あの…僕は恋についてさっぱりわかりません」

 依様は僕をじっと見つめたのち、吹き出すように笑った。

「あなたの回答はそれで良し!」

「…はい?」

 さっぱり意味がわからない。吹き出し笑いをしてしまうほどのことを、僕が言ったとは思えないのだが…。

「恋について雄弁ゆうべんにアドバイスされても、過去の恋愛経験が気になって困っちゃうでしょ」

 またおかしなことを言う…と、内心困り果ててしまった。

 依様は僕の心をもてあそぶ悪女にでもなりたいのだろうか。

「恋の進展方法を聞いてきたのは依様ですよ」

 うーん…と、バツが悪そうに言う依様を、僕は不思議そうな顔で覗き見る。

「…私はね、星たちに聞いてみたんだけど…」

「…!?」

 聞いた途端、一気に全身が火照ほてり始め、この場からいなくなりたいほどの極度の羞恥心に襲われた。

 それがわかったからか、依様は僕に背を向け、遠くの星でも見ているような素振そぶりをする。

まぎらわしくてごめんなさい」

 謝られるようなことではないし、とがめられるようなことでもない。要するに、このことは早急に終了としたいものだ。

「いいえ。謝罪など不要ですよ、依様。僕が勘違いしてしまって、申し訳ありません。お恥ずかしい限りです…」

「全然。むしろ恋についてまったく無知で無垢むくなあなたを証明してくれて、すごく嬉しかったなあ。得した気分!」

 無知で無垢むくな、恋心にうとい僕を喜んでいるのはなぜだろう。女心はよくわからない。

 僕は先程から感じていたモヤモヤとした感情を、無視し続けている。

 星たちに恋の進展方法を聞くほど好意を持っている相手というのは、一体…。

 正体不明のモヤモヤする感覚を、さらに無視し続ける。

「依様、心地はいいのですが、夜風にあたり続けると体にさわります。もうそろそろーー」

「もう少しこのままでいたいな。こんなにも星が歓迎してくれてるんだもの。だからお願い。もう少しだけ、このままでいさせて。じっとしてて」

 そう言って依様はいつものように僕に身を預ける。

 依様は今日、お酒を飲んでいないし、憔悴しょうすいしていない。

 だから、身を預けられたというこの状況下で、僕が頭をでるといういつものお決まりな行為が適切なのだろうか。

 預けられたこの細身の体をどういたわればいいのか。この状況をどう切り抜けるべきか。必死に考えあぐねる。

 結果、依様の希望の通り、このまま身を預けられた状態のまま、硬直することにとどまった。

 まず何よりも、この柔らかい感触の異性に接近されるという定期的なる行為が、もうすでに僕を狂わせていた。

 よって、甘い雰囲気に慣れていない僕は、身を固まらせるしかなかった。

 すると数分後、依様が僕の顔を呆れたような表情で眺めた。

「やっぱり…少しくらい恋しててくれてた方が、こんな状況の時には期待度大かもしれないなって、このに及んで思っちゃった」

 先ほど終わったはずの話を蒸し返されてしまった。依様の言葉はなぜこうも難解なのだろう。

「私って、魅力が足りないのかな…」

 依様はぽつりとそんなことを言った。すかさず僕は、本心を吐露した。

「あなたは胸躍るほど素敵です」

「え?」

 重症だ。僕に限ってこれほど率直に異性を褒めることなんて、今まであり得なかったのに…。ただただ戸惑うしかなかった。

「あっ。あの…僕が言いたいのは、一般的観点からすると、誰もが依様に好印象を抱くはずかと…」

 依様から目を背けて話す。羞恥心しゅうちしんに負け、もはやうつむくしかなかった。

 しかし、うつむいた先に、強烈に不得意とする生物を発見してしまった挙句。

「依様すみません…!」

 不覚にも依様の背後に素早く回り、飛びつくようにか弱い体にしがみつく。

 この世で生理的に受け付けない物がそこに存在していた。その名は””。

 後ろからしがみついて離さない僕の腕を、依様はぽん…ぽん…と子供をあやす時のように、心地良く叩いた。

 それはまるで、安心感のあるリズムを熟知しているようだった。

 自分の頼るべきボディーガードが、凶悪な悪党よりも、ネズミを恐れているという幻滅する事実をも跳ね除け、あり得ない言葉を投げかけられた。

「あなたは本当に可愛い人だと思う」

 そう言って依様は、花が咲いたような笑顔を見せた。

 淡い月明かりに照らされたその愛らしい”花”は、当分の間、僕を魅了し続けた。

 頼られる立場であるべき職業にも関わらず、依様は致命的な僕の弱点を知った今もなお、僕という人格を肯定する言葉しか発していない。

「あなたの最強な敵は、凶悪な人間じゃなくて、尻尾しっぽの長い可愛らしいネズミだなんて知られてしまったら、商売上がったりだね」

「…恐縮です」

「人は意外性に魅力を感じるものでしょ。それに、二人だけの秘密ごとができてむしろ得した気分よ」

 太陽のような魅力全開の依様を前に、僕は心ごとひれ伏すことにてっした。

 その光景を、近くのビルから望遠鏡越しに覗き見されていたことを、僕は知りもしなかったーー。

 増悪に満ちた男は、強烈な欲求とともに、薄気味悪く口元を緩ませていた。

 知らぬが仏。今日も今日とて、終わりに詩をしたためる。


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 僕を可愛いと笑う君に、僕はこう言葉をつむぐ。

「尻尾の長いあの者より…ですか?」

 恐怖心と嫉妬心は紙一重。

「もちろん」

 先手必勝は僕にあり。


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