3

 夕方。生徒でにぎわう門まで依様を迎えに行く。

 これは職務の一環であり、周囲の反応など気にしてはいない。

 黒ずくめのスーツに流した髪型が、この場では異様に見えるのかもしれない。

「お嬢様はやっぱり次元が違うわ〜」

「私もああやって毎日守られた〜い」

 などと、周囲から吐露とろされている経緯から、”異次元な特別扱いを受けているリアルお嬢様”として、一目置かれているように僕の目に映った。

 だが、気のせいか依様の表情は、曇っているように見えた。

 皆のうらやむ声を気にしてかと思ったが、遥か遠くにいる姿を見つけた時には、既にいつもとオーラが違っていた。

 今日、そこに至るまでの大学生活の中で、何か嫌なことが起こっていたのかもしれないと察した。

 契約上、校内での職務は命じられていないため、送迎のみとなっている。だから、大学内で何かが起ころうと、本人からの報告以外に知るすべがないのだった。

 帰りの車の中。後部座席、依様の隣に座る僕は、窓ガラスに反射して映る依様の顔を見つめる。

 依様の瞳は、きっと見ているであろう対象など認識すらしていないような、色味のない瞳をしている。

 まったく自分には関係がなく、関与すべきことではない。

 ただ職務をまっとうすればいいだけの立場を利用し、知らないふりをする。


『守る対象に心を開かない気?それって失礼すぎない?』


 依様に言われた言葉を思い出してみたところで、僕の意向は断じて変わることはない。

 ボディーガードという仕事は、言わば武士のようにかたくなでなければならない。


 ”武士に二言無し”ーー


 約束を重んずる武士は、一度言ったことはあとで言い逃れなどせず、必ず守るという意味のことわざだ。

 ボディーガードと武士道は相通ずるものがあるということを象徴するこのことわざを、僕は心底好んだ。

 そして、ボディーガードとして生きている手前、”義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義”を表す武士道というものに、当然敬意を表している。

 だからどんなに予期せぬ事態が起きようが、武士道を重んずる者として、断固たる姿勢を見せなければならなかった。


『僕はあなたの身をお守りする立場です。気を許し、隙を見せる危険行為は行いませんし、そうするすべを知りません』


 先日依様に言ったこの言葉に二言はない。

 一度言ったことを曲げずにまっとうする。揺るぎないものなのだ。

 そんな強固で揺るぎない思いをも、依様は容赦ようしゃなく揺さぶってきたのだった。

 こんなにも厄介な気持ちは邪魔でしかない。

 払拭ふっしょくしようと、知らぬ存ぜぬな態度を貫き通す日々。

 視線を合わせたら後悔する。確信はなかったが、漠然とそう感じていた。

 緩やかに蛇行だこうする道を抜けると、今度は真っ直ぐな道に差しかかる。道の両サイドに連なる街路灯が、薄暗くなりつつある見通しの悪い道を暖色のオレンジに照らす。

 それはまるで、癒しの花道のようで、心持ち胸中を和やかにさせた。


 この日の夜も、もはや僕にとってはとさえ言えそうな事態が発生した。知らぬ存ぜぬが通用しないほどの事態がーー。

 今夜も別れ際、依様は何かを仕掛けてくるのかもしれないという危機感は当然のようにあった。

「なんか最近様子が変だけど〜」

 無表情の僕の顔を覗き込んできた。

 それは誰のせいで…と、依様を怪訝けげんそうに見てしまいそうだったため、すんでに視線が宙を舞う。

 守る対象である依様からの攻撃にめっぽう弱い僕は、依様から顔を逸らし、ぎこちなく咳払いをする。

 僕の様子がおかしいことを間延びした言い方で伝えてきたのだが、肝心なその先を寸止めされたのち、

「私のこと、意識し始めちゃったかな?」

 そう言って、愛らしく笑った。

 胸がぎゅっとなるおかしな反応の原因…。

 これが異性への特別な感情というものなのだろうか。

 ただ職務をまっとうすればいいだけの立場を利用し、相変わらず知らないふりをしたまでは良かったのに、さらなるこんな不意打ちは…もうお手上げだ。

「意識など…していません」

「そっか。そりゃそうだよね。職務中なのに私の顔を覗き見てたなんて、気のせいだよね」

 まさか…。車内の窓ガラス越しに映った僕を見ていたということなのか?

 そわそわと、心が落ち着かない。

 ”動揺”ーーとは、こんな心臓の動きになるのかと、この歳で初めての経験をしたとあって、怪訝けげんに感じてしまった。

 そんな素振そぶりをしてしまっては、厳格であるべき職務に影響すると思った。

 いつものように平常心を忘れず、余計な感情は排除しよう。

「その通り、依様の気のせいです」

 そう断言するほかなかった。

「じゃあ、自惚れるなって怒ってよ」

「依様、何度も言ってますが、僕で遊ぶのは…」

「困ってる顔がね、小さくて可愛いワンちゃんみたいで大好きだよ」

 飛び切りの笑顔が、とても眩しかった。

 先ほどにも増して胸の締め付けが強く、苦しくなる。

 今のは告白…。いや、そうじゃない。

 ”小さくて可愛いワンちゃんみたいで”大好きだと言った。

 犬が好きだからそんな発想になっただけ。深い意味はないと思おう。

 そんな言葉を言わせてしまったのは、『気を許し、すきを見せる危険行為』を僕がしてしまったからなのだろうか。

『気を許し、すきを見せる術など知らない』的発言をしておきながら、容易に隙を見せてしまったということなのだろうか。

 やはり、明らかに心臓の動きがおかしい。心臓が早鐘を打つことにより、呼吸が乱れ始め、また咳払いをして誤魔化ごまかす。

 依様はそんなぎこちない僕の心情を知ってか知らずか、

『じゃあ、また明日よろしくお願いします』

 と、いつもの常套句じょうとうくで今日を締めくくる。

 そして、いつものように部屋へと姿を消す依様を見届けると、ようやく今日の職務が終了する。

 しかし今日は、イレギュラーなことが起こった。


「だんだんとひらけてきてるこの世の中に、君は絶滅危惧種ぜつめつきぐしゅとして生きてるのかもな」


 職業柄がさいわいしたと言うべきか、その声が聞こえた方向に、無意識に身構える。壁からひょっこりと顔を覗かせたのは、同僚兼一番仲がいい友人のA氏だった。

「⋯どうしたんだよ。こんな時間に」

「この前の応援の時こちらに忘れ物してさ。勤務の関係上こんな時間になっちゃったけど、事前に電話で事情を話してたからこころよく開けてくれたってわけ。で、ついでに様子をうかがいに上がらせてもらったんだけどさ⋯」

 ジトーッと、わった目でこちらを見つめるA氏。

「僕がさっきからここにいたこと、気付かないなんて君らしくないね」

「⋯」

 恥ずかしくも、思い当たるふしがあった。

 とんでもないミスを犯してしまったという、自分自身への幻滅感げんめつかんさいなまれ、言葉が出ない。

「いや~、好きな子を前にして、そんなにも挙動不審になれるものなんだなあって思ってさ」

 思いもよらない言葉に、俄然がぜん言葉を失う。


『好きな子』ーー


 なんてことだろう。

 僕はそんなよこしまな感情を、いとも簡単にさらしていたということなのだろうか…?

 いや違う。好きや嫌いという感情に振り回されていては、ボディーガードは務まらない。

 恋愛をしたことのなさそうな年上の男を、ただからかって遊ぶというお嬢様の術中じゅっちゅうにまんまとはまってしまったのは認める。だが…。

「女性に免疫がないだけで、好きとは違うよ」

「そう?胸がドキドキして寝つけないってことはない?」

「…ある。だからそれは、女性に不慣れだから…」

 そこまで言うと、A氏は強めに僕の肩を2度叩き、首を左右に振った。

「あの子のことを考えて眠れないのは、もう恋なんだよ」

 そうさとされたのち、じゃあ!と言ってあっけらかんと帰って行った。


 僕が依様に、恋をしている…?


 A氏の置き土産となった言葉が気になって仕方がなかった。

 たとえ依様への想いが恋だとしても、それは許されない。隠さなければならない邪魔な感情なのは間違いない。

 ならば、自分の気持ちをいつわって生きて行くしかないのだ。

 あのなんとも言えない高揚こうようした気持ちを恋だといさぎよく認め、ただちに封印する。

 夜が明けるまでには、そう決断に至った。

 反省と決意を表した詩をしたため、眠りに就く。


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 惹かれる想いを霧消むしょうする。

 仕事に生きると決めた日から、揺るぐことは許されなかったのに。

 僕はあなたの心の内を知りたいと思ってしまった。

 愚かな自分。これ以上の幻滅は避けるべきだ。

 無心の境地。これぞすべて。


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