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 ”心理的な距離と物理的な距離は比例する”ーー


 という言葉を聞いたことがある。

 おそらく自分に起きている現状が、それを体現しているのかもしれない。

 令嬢はあの一件からというもの、わかりやすく”心と体の距離”を縮めてきた。

 僕に対し明らかに心を開いているし、控えめではあるが、笑顔も増えてきている。

 悪いことではないが、僕は大いに困惑している。

 僕は女性に免疫がない。だからこれまでと同じく、心の距離を縮める接し方など、到底できそうにない。


 夜。部屋に戻る直前、令嬢は必ず僕の半径1m以内に近づくよう、ているかのようだった。

 なぜなら、その度に僕は反射的に一歩後退していたのだが、令嬢は僕へとまた一歩前進してきたからだ。うかがえた瞬間だった。

 令嬢の心理的・物理的接近は、言わば毎日の日課のように感じた。

「男っぽいのは私を見守る時だけなんだね」

「あなたといる時は基本見守る時です。だから今もそうですよ」

「逃げ腰ワンちゃんなのに?」

「…僕は真剣に、職務をまっとうすることを心掛けています。僕で遊ぶのはやめてください。ここにいる間はずっと職務中なので」

「守る対象に心を開かない気?それって失礼すぎない?」

「僕はあなたの身をお守りする立場です。気を許し、隙を見せる危険行為は行いませんし、そうするすべを知りません」

「仕事バカってことね。そんなところも可愛いから許す」

 こんなふうに、話が通じない会話ばかりだった。

 僕自身は、令嬢に対する心理的な距離と物理的な距離は、反比例していると言えるのかもしれない。

 体の距離は否応いやおうなく近いのに、心の距離は近づかない。というよりは、近づけないという方が正解だろう。

 今まで疎遠だった分野の思考が頭を巡った日は、当分寝入ることができなかった。

 寝ている令嬢が日常を安全に送れるよう、つまり、安眠できることが一日の最終目的だということを理解していた。

 外部からの安眠(平和)妨害、つまり、身に起こる危険要因を排除するためのみ、自分たちが存在している。

 そういう態勢だからか、心理的な要因による安眠(平和)妨害にはなんら対応できない。

 それが今一番必要だということに、僕は気付くはずもなく、就寝前の日課である詩をしたためる。


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 君に心を乱される。

 こんなことは初めてで、未成熟な自分を思い知らされる。

 君は知らないだろう。

 こんなにも戸惑う自分に困惑していることを。

 君の心をのぞけるものなら、迷わずそうする。

 こんなはずはないほどに、胸騒ぎが止まらないのだから。


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 私の心をさらけ出せるものなら、躊躇ちゅうちょなくさらけ出したいとつくづく思う。

 あなたは私の心の内など一切興味すらないのでしょうが、私は初めてのときめきを胸にしまい込んだまま、あなたとどう接すればいいのだろう。

 四六時中私だけを守ってくれているのに、他にも守り抜かなければいけない対象がいるのかもしれないと、勝手に焦燥感しょうそうかんさいなまれる。

 私の護衛をしてくれることに感謝しつつも恨めしくもあり、厄介な心情に振り回される日々を送る。

 あなたは私の気持ちに気付いているのだろうか。

 はかっても大人ぶってすり抜けて行くあなたのことだから、私の気持ちは了知りょうちしているのかな。

 それとも、職務優先(仕事バカ)ゆえに、あえて何もかもを悟った顔をしているのだろうか。

 ともあれ、日々の終わりにあなたと離れ、やり過ぎた感を残したまま自室へと隠れるように飛び込む。

 持て余し、くすぶった気持ちに一旦ふたをするが、じわじわあふれ出る居場所を失った気持ちのせいで、眠れない夜が過ぎて行く。


「依様。寝不足ですか?」


 今朝はどういうわけか初めて名前で呼んでくれた上に、あまり眠れていないことに気付いてくれた私のボディーガードさん。

 よっぽど目の下にクマができていたのだろう。

 もう少しでクスッと吹き出しそうな表情が見て取れた。

 今まで体験したことのない気持ちをくすぶらせているのは、あなたのせいですから!そんな表情をしていたに違いない。

 あなたを見続けていると、頬が熱くなるのがわかる。

 そんなことなどつゆ知らずなあなたは、ネクタイを締め直す仕草がとても凛々しくて様になっている。

 それが、余計にかんさわる。

 だからと言って、私が近づいたら状況が一変するだろうから、一日の始まりにそんなこくなことはしない。

 緊張感を持って警護する彼らの仕事を、守られる身である私自身が理解してこそ相互関係が成り立つ。そう少なからず理解しているつもりだった。

 その反動が、一日の終わりに私を暴走させる。

 今晩も気持ちを抑えきれず、困惑している表情を見たくて接近戦を繰り広げる。

「僕に何を求めているのですか?依様」

 私のボディーガードさんから名前で呼ばれ始めた日から、私の中の”喜びスイッチ”が作動し、さらに度を超えたアプローチをしてしまう。

「私を、部屋まで運んでください」

 この時点で、既にボディーガードさんの胸の中に(意図的に)倒れ込んでしまった私をお姫様抱っこし、顔色をうかがうボディーガードさん。

 一瞬戸惑いの表情を浮かべたことを、自分でも気付いているのだろう。戸惑った慣れない感情を律っするべく、何度か首を左右に振り、気持ちをコントロールしているのだと察した。

 私的にはこうそうした瞬間だったが、ボディーガードさんには職務中に調子を狂わせてしまい、申し訳なさもありで妙な気持ちのまま部屋へといざなった。

 ベッドにそっと置かれた体と、体に残る罪深き手の感触と温もり。

「では、おやすみなさい。依様」

 何度も呼ばれる名前。その変化に、私は勝手な解釈でときめいてしまう。

 当然のごとく、一線を越えることは皆無といった雰囲気だが、”依様連呼”は暗黙の了解と同様の解釈で、気を許した証拠だと思いたかった。

 私にそっと布団を掛けたのち、物音を立てぬよう部屋から退出したボディーガードさん。

 彼はその後数分間、ドアに背をあてた状態のまま、物思いにふけっていたのだった。

 そんなことなどつゆ知らずな私は、ベッドの中、海老えびのように背を丸めていた。

 朦朧もうろうとする意識の中、早く明日が訪れることを願い、その後自然と眠りにいた。

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