いにしえの話 1

 これは、今から数十年も前の、【前世】での話。


 僕は幼い頃からの夢だったボディーガードの仕事に就いていた。

 なぜそんな危険を伴う仕事に就いたのかというと、僕自身がボディーガードに助けられた経験があり、そこから憧れの念を抱き続け、冷めることがなかったからだ。

 僕の実家は、代々用心棒を生業なりわいとして成り上がっていった。

 始まりは小規模でこぢんまりと稼業かぎょうしていたが、物騒になり行く世間に比例し、事業はうなぎのぼりとなっていった。

 ボディーガードという仕事が知れ渡り、贔屓ひいきにする人もいれば、敬遠する人もいた。

 僕はそんな家業のことなど理解できない年頃で、なんとなく『うちには黒い服のお兄ちゃんがたくさんいる』という理解でとどまっていた。

 そんな時、事件は起こった。

 僕と祖母は幼稚園からの帰路の途中、大きな大人の男に連れ去られそうになったのだ。

 大人である祖母がいても、小さくて力が弱いから相手にならないと悟った犯人は、祖母の首をチョップし、一瞬のうちに気絶させた。

 ひるんで後退あとずさりする僕は、祖母よりもさらに体が小さかったため、いとも簡単に抱きかかえられてしまったその時。

 僕は犯人とともに体勢を崩した。咄嗟とっさに犯人を見ると、首に黒いものが巻きついていた。

 つまり、見慣れた僕の用心棒が、後ろから犯人の首を絞め上げていたのだった。すぐにもう一人の用心棒が僕を抱きかかえ、抱きしめてくれた。

 気絶から早々に目覚めた祖母は、不安そうに泣きじゃくっていて、何かを話しているのだが聞き取れなかった。

 その後、犯人の身柄は警察に渡り、僕はようやく安心したのか、先程の祖母のように泣きじゃくった。

 その時、僕を守って抱きしめ続けてくれた用心棒のお兄さんから、こんな言葉をかけられた。

「怖い思いをさせたけど、君を守れて良かった」

「お兄ちゃん、ありがとう」

 祖母と僕を守ってくれたヒーローに、気持ちのこもった感謝を伝えれたと思った。こんな気持ちになったのは初めてだった。

 用心棒の一人が犯人の首を締め上げ、もう一人が僕を守る。

 そのシーンが頭から離れなかった。率直にかっこいいと思った。

 それからというもの、僕は異様にも感じていた『家にたくさんいる黒い服のお兄さん』を、『かっこいいヒーロー』でも見るような目で注視するようになった。

 初めて家業を誇りに思うようになったのは、そんなことが起こったからだった。

 小学校が終わるとすぐに帰宅し、待機中のお兄さんたちの行動を観察したり、彼らに質問し、メモに残したりした。

 必要のない感情を徹底的に排除し、ただただ対象者を守り抜くという職務をまっとうする。そんなかっこ良すぎる徹底した仕事っぷりの彼らが誇らしかった。

 いつしか家業を継ぐという感覚ではなく、ただの憧れだけでもなく、自分自身も誰かの役に立ちたいと願うようになった。

 ボディーガードになるという夢を持ち始めてからは、そのことを叶える努力を惜しまなかった。

 大学でスポーツ学、体育学、コミュニケーション学など、ボディーガードになるために必須な知識を学び、格闘技や武術のスキルを徹底的に身につけた。

 長い期間一途にボディーガード愛を貫いた結果、僕は念願のボディーガードになることができた。

 正直なところ、恋愛などしている時間さえも惜しかった。

 それだけ僕は、ボディーガードになるためだけに時間を割いてきた。

 職務は想像以上にキツかったが、武道などで精神力をきたえてきたおがげで、順調にボディーガードのキャリアを積んでいった。


 24歳の初春の候。寒さが厳しくなってくる季節。

 僕は突然、とある財閥令嬢の専属ボディーガードとして雇われた。

 これまでの任務の対象者は、ほとんど民間の要人だったのだが、変わった案件の対象者も護衛するようになった。

 新しく護衛する20歳の財閥令嬢(対象者)と僕の歳が近いというだけで、僕が令嬢の護衛にあたることになったのだ。

 とある財閥企業の合同パーティーにて、財閥息子からの執拗なアプローチを受けた令嬢は恐怖を覚え、ただちに仲の良いメードに報告。すぐに両親も知ることとなった。

 危害を加えてくる心配はないとのことだったが、万が一を考慮し、心配性な彼女の父親である財閥社長の意向を尊重した結果の護衛要請だった。

 この令嬢との出会いは、運命的な出会いであって、運命を狂わす出会いだということも知らずに、いつものように仕事であるがゆえ、気を引き締めて令嬢宅へとおもむいた。

 職務中は無感情、無表情でいなければならないと常に心にとどめ、対象者と接してきた。

 もちろん例外はなく、令嬢に対しても歳が近いからという理由で気を許すことなど、微塵みじんも考えることはなかった。

 家の長、つまり令嬢の父親からの強い希望から、僕は令嬢と日常をともにすることを要求された。

 いざという時すぐさま駆けつけれるようにと、部屋は隣に準備され、寝泊まりで職務をまっとうすることーー。この指示に従った。

 慣れない展開で、正直なところ抵抗はあった。けれども職務ゆえ、それに従うほかなかった。

 令嬢の名はより。表情がとぼしい子で、あまり感情が見えないような印象を受けた。

 だから淡々と職務に没頭し、これまでの対象者と同じく、冷静を保ちながら適度な距離で寄り添えるはずだった。


 令嬢のボディーガードに就任してから11日目。

 僕に護衛される日々に慣れてきたのか、こちらに注視している様子がうかがえた。

 そのタイミングを境に、令嬢が殻から飛び出したーー。

 その日の職務を終えた僕のもとに、令嬢がゆっくりと近づいてきた。

「わっ」

 そんなことを想像していなかった僕は、驚いて体勢を崩しかけた。

 顔をらし、クスッと笑う令嬢だったが、すぐに真顔に戻し、僕と対峙たいじする。

「あなたは毎日一日中私だけを守ってくれてるけど、一応異性だし、想い人がいるのなら後ろめたさはありませんか?」

 何を言い出すのかと思ったが、生まれてこの方、恋など疎遠だったわけで…。

 あまりにも意外な質問だったものだから、鼓動が高鳴り、普段のペースを崩しそうになったが、なんとか冷静をよそった。

「いいえ…。僕にはそんな相手はいませんので、ご心配なく」

 ほぼ初めての会話だった。

 素っ気なく言ってしまったのではないかと思い、すぐさま令嬢の表情をうかがった。

 しかし、それは取り越し苦労だったようで、いかんせんめずらしく笑顔だったものだから、余計に調子を狂わされた。そして。


「そうですか。まあ、焦らない方がいいですよ。あなたは交際には向いてなさそうだから」


 その瞬間思考が停止し、僕はただただ令嬢を不思議な感覚で見つめていた。

 就任11日にして、初めて”あなた”と呼ばれたこと。そして、あまりにも無礼なことを言われたことに、驚きを隠せないでいた。

 多分、今言われた言葉は当たっている。

 生まれて24年間、僕は異性にときめくどころか、興味を抱いたことすらなかった。そんな恋愛経験のない僕が、このに及んで異性とどうこうなんていう考えはなかった。

 あまりにも面白い話だったものだから、僕はこの話を自社のボディーガード仲間であり、友人でもあるA氏に伝えた。

 すると彼は、こう答えた。

「悟った感じがかっこいいな。もらおう」

 おかしなことを言う人間だ。そんなセリフを言う時は、どんな時だというのだろうか。

「恋愛上級者なら格好かっこうがつくが、違うなら危険だからやめておいた方がいいと思う」

 恋愛経験のない僕があえて苦言を呈してしまうほど、難易度の高いセリフだと思った。


『焦らない方がいいですよ。あなたは交際には向いてなさそうだから』


 思い返してみると、令嬢はその難しく失礼で危険なセリフを、さらっと言い退けたという認識だ。


 そして、来世でもそれとまったく同じセリフを聞くことになろうとは、誰も想像できるはずがなかった。

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