5

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「依様。起きなくていいのですか?学校に遅れますよ」

 ベッドの上。その声を聞いた瞬間、私は柔らかなシルクで包まれているような心地良さを感じた。

 耳心地の良い声で起こされているはずなのに、逆に眠りの魔法をかけられているかのように、幸せな眠りの世界へといざなわれる。

「ほら、起きてください」

 起きれませんよーだ。私はそう心の中で言い、暖かな布団の中で猫のように背中を丸ませた。

 ベッドがきしむ音とともに、一瞬ベッドが揺れた。気配を感じ、薄目で様子を伺う。

 すると、目の前に男の人が座っていて、小さくため息をつき、肩を落とした。

「まったく…また寝たのですか?そうやって布団に執着するのではなく、僕…」

 私に背を向けているため、最後の言葉を聞き逃してしまったのか。それとも躊躇ためらって言わなかったのかはわからない。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 言葉の行方が気になり、ムクッと体を起こして男の人に語りかけようとした瞬間ーー


 私は夢から目覚めた。

 

「大丈夫?依。まだ夜中だよ」

 10畳ほどの空間に隣り合わせで敷かれた布団。それぞれの布団の中で会話を交わす。

 なぜ大丈夫かと心配してくれるのだろう。

「泣いちゃってどうしたの…?悲しい夢でも見た?」

「え…?泣いてる?」

 一瞬思考が停止していたが、徐々に現実に戻され、事態をのみ込んだ。

 確かに泣いていた。頬がしっとりと濡れている。

 怖く悲しい夢でも見たのかと、今見た夢を振り返ってみるが、そんなことはなく、とても心地が良かったり、お兄さんが気になって仕方がなかったり…。

 決して悲しい夢ではないのだが、なぜか心が圧迫されたあとのように苦しくて仕方がなかった。

 定期的に夢に現れるお兄さんが、また会いに来てくれた。

 そして目覚めたら、いつも決まって涙を流している。今日も然り。

 だが、いつもの夢の状況と違っていたことを思い出した。

 お兄さんは、喋っていた。

 初めて聞いたお兄さんの声色は穏やかで、気のせいか少し悲しげだったような気がする。

 そしてもう一つ。お兄さんが私を『依様』と呼んでいた。

 年上が年下を『様』呼びする関係性とは…。お嬢様と執事?

 夢が進歩していたことに感動しつつも、やはり今回もお兄さんの顔をおがめないことが、改めて不思議だった。


 私は今日、推し友の来夢・ミコト・碧と共に、アイドルグループMETEORのオンラインライブ鑑賞会を楽しみ、私の推し活初日が終了した。

 そして現在のこの状況はというと…。

 私の人生初の企みにより、来夢と碧が同室になり、余った私とミコトがその隣の部屋で同室になった。

 今日は疲れたから、すぐに眠りについていたはずだった。

 しかし、私がミコトを起こしてしまったらしい。

 まったく悲しい夢ではなかったはずなのに、なぜ私は泣いているのだろう。

「疲れたんだよ、きっと。推し活初日、お疲れ様」

 ミコトはそう言って隣の寝床から手を伸ばし、私の頭を暖かくて大きな手でそっと撫でてくれた。

 その手が離れたあとも、くすぐったいが精神安定効果もあるその所作の余韻に、目をつぶって浸る。

「こういうことはたまにあるの?」

 私は優しい声色こわいろのミコトに気を許し、夢の中のお兄さんのことを一部始終話した。

「そのお兄さんのこと、依はきっと好きなんだね」

 ミコトに指摘され、やっぱりそうなのだと思い知る。

「そのお兄さんへの気持ちを無理に胸にしまわなくてもいいから、僕に甘えて」

「…え?」

 言ってる意味を理解するのはとても難解だった。


「ずっとこの日を待ってたんだ。君が思ってるよりもずーっと前から」


 というニュアンスは、やや解釈が難しいと思った。

 どれくらい前?物心ついた頃から?幼少期?小学生?中学生?高校生はもう、を使うには近すぎる過去だから違うだろう。

 なぜこの日を待っていたのか、いつからこの日を待っていたのか、詳細を知りたいのだけれど、毛頭言う気はないらしい。

 心地の良いはずの空間が一転、”二人きりの夜”を意識し始めてしまった私は、突然根拠のない身の危険を感じてしまった。

「え、それはどういうことかな。…私は、ミコトといて安全?」

 素直に本心を言ってみたが、どうやら正直すぎてまた言葉を間違えてしまったらしく…。

 ミコトは驚いたように目を丸くし、ぢきにぷっと吹き出し笑いをした。

「そんなことはって。ありえないから安心してね」

 若くて健全な男子が、を強調する不可解な言動。

 そんななミコトに向かって、”一緒にいて安全か”と疑ってしまうなんて、さぞかし心外だっただろう。

「あ、失礼なことを言ってごめん…」

 ミコトは失態をおかした私に対し、優しく微笑み、何度か首を横に振る。そして。


「僕には君を守らなければならない義務があるんだ。理由は聞かず、僕を選んで」


 私を守ることには、理由があるらしい。

 ただ気に入ったという理由ではなく、言えない理由があるのだ。

 ”僕を選んで”。唐突に言われたその言葉は、告白と受け止めていいのだろうか。

 それにしては遠回しで、なぜミコトをパートナーとして選ぶ必要があるのだろう。

「私のどこを気に入ってくれたの?」

 結局のところ、そこが一番知りたいのだ。

 ちゅうを舞う君の視線。愛情を表現する際、そうも簡単に視線が宙を舞うものなのだろうか。

 好きならその対象をまっすぐに見据みすえ、好きなところを子供のような真っ直ぐな言葉で打ち明けるのでは?

 宙を舞った視線は、一応私へと着地した。

「クールそうなのに話してみたら意外と社交的だったし、直感だけどボキャブラリーが豊富そうで、楽しい未来が想像できるから…かな」

 一生懸命に考えてくれたんだろう。眉間のシワがそれを物語っていた。

「他の誰でもなく、僕とこの先を共に過ごして欲しいんだけど、ダメ?」

 それなら嘘でもいいから、『好きだから付き合って欲しい』って、少女漫画のヒーローみたいなセリフでも言っとけばいいのに。正直者はこれだから困る。

 ーー『付き合って欲しい』

 決してこの言葉が欲しいわけではないが、ストレートでわかりやすくていいとは思った。

 他には『彼女になって欲しい』とか、『彼女』を『恋人』に変えたっていい。

 私を好きな理由に図抜けた理由などなく、異性と同室。そんな『現状に流されて』ということなら、余計に自分をよそう努力をしてほしい。

 だがその直後、ミコトは少しだけ努力をしてくれた。


「君の隣にいるのが、僕じゃない他のヤツじゃダメなんだ」


 どうした?期待していなかった返答に、大分キュンッとしたものだから、動揺した私は、『現状に流されて』ーー

「ミコトじゃない他のヤツが彼氏になっちゃダメなら、ミコトが私の彼氏に立候補するってこと?」

 少々高飛車な言葉だったが、私からの彼への誘導告白として受け取ってほしい。

「うん。立候補する」

「今日からよろしく」

 早々に合格点を与えた瞬間、私とミコトの関係が、”推し友”兼”恋人”になった。

 ずっと、夢で会うお兄さんが理想の人だった。

 なのに、こうもあっさりと交際に踏み切ることができたのは、きっとミコトにあのお兄さんの面影を投影してしまったからだ。

 今のところ重なる部分は、声色が優しいということぐらいしかないが、私の得体の知れない空虚を埋めてくれることを期待し、託してしまった結果がミコトとの交際なのだ。

 ままならないお兄さんへの想いをなんとかしたかった。

 言い方は悪いが、ミコトを利用し、ともに過ごすことで好機が訪れると信じたかったのだ。


 次の朝、早速にミコトが来夢と碧に交際のことを伝えた。

 ミコトはその時でさえも、浮世離れな報告をした。

「俺と依は今後、時をともにします」

 そんな一言だけで、来夢と碧は事態を飲み込めたらしく。

「おめでとう!で、いいのかな?『私には縁がない』って言ってたくせに、先越されちゃったな〜。ならばミコト、依をよろしくね!」

 ウインクをし、来夢らしい祝福だった。うなずくミコト。そして碧は。

「遠回しだけど、そういうことか。いいと思う。ミコトとなら。…依、初っ端しょっぱなに言った俺の言葉なんて気にしなくていいから」

 私的には、侮辱罪ぶじょくざいを課してもおかしくなかったあの言葉…。


『焦らない方がいい。あんたは交際には向いてなさそうだから』


 なのに、今回は意外な言葉だった。だから少しだけ、碧への嫌悪感が和らいでいった。

 だがそれは、この時限定だったとも知らずに、もうすぐ自分の見解の甘さを思い知ることとなる。

 近い未来を経ての結果論だが、やはり碧は良い人ではないのだーー。

 来夢も碧も、ミコトの決してストレートではない交際報告なのに、イコール付き合うというふうにすんなり理解したということは、恋愛上級者なのかもしれない。

 だからその後も、二人にあれこれ問いただされることなく、ごく普通に私とミコトを推し友兼、恋人同士として扱い始めたのだった。

「とりあえず帰ったら、ヤラカシママを説教だな」

「うちの母親もだけど、お赤飯炊くんじゃない?」

 母親が常識人ではなく、いい意味で親らしからぬ人だから、私の人生はますます面白くなりそうだ。

 説教の先には、些細ささいだけど、ちゃんと感謝もしますのでしからず。


 夢の中のお兄さんへーー


 突如として彼氏はできましたが、また夢でお逢いしましょう。


 泣くほど切なくなる夢の意味を、私はまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る