菜っ葉の日


 ~ 七月二十八日(木) 菜っ葉の日 ~

 ※滞言滞句たいげんたいく

  言葉にばかりこだわって、

  事の真意が分からないこと。

  作者注釈:耳が大激痛




 バイト中も、意識して接触を避け。

 名前を呼ぶ機会も減らしてしのぎ切った今日。


 だというのに。


 お出掛け用の買い物をしたいから、俺に付き合って欲しいと。


 俺ではなく凜々花に言った策士は。

 舞浜まいはま秋乃あきの


「天才かよ」

「な、なんでか断られる気がして……」


 仰る通り。

 ギャップを狙っている俺は、凜々花に言われなければ断るつもりだった。


 今日はバイトが終わったら顔を会わせないつもりで。

 クイズ研究会の合宿にゲストでお邪魔することにしていたんだが。


「か、買い物付き合ってくれてよかった……」


 びっくりするほど不安顔。


 ここまで不安にさせるつもりじゃなかったから。

 凜々花を頼ってくれて良かったよ。


 ……しかし。


 ほんとに不安だったんだな、お前。

 まさか他にも増援頼んでるとは思わなかったぜ。


「秋乃ちゃん! ご飯の前に行っとかないと!」

「それはもちろん……」

「あたしも秋乃ちゃんと水着買いに行くから、ゆーとは選ぶの手伝いなさい!」

「舞浜と一緒に行くんなら付き合えねえよ」

「秋乃ちゃんと一緒じゃなければいいの?」

「そりゃあ、のっぺ……、他の奴の目が無ければ構わんぞ?」

「誰がのっぺらぼうだ!!!」


 こんなこと言っちゃ失礼だけど。

 俺だって同じ気持ち。


 きけ子の水着を選んでやることに罪悪感はねえけど。


 秋乃と一緒だと、店に入るなり通報されても言い返す言葉が無い。


「成長してるわよこれでも! パラガスのレーザー式標高計には見えてるわよね!?」

「え~? 球が反射する高さを求める問だ…………、確かに成長してるんじゃね~?」

「だれが『ただし反射板に摩擦は無いものとする』よ!」



 大騒ぎにもほどがある。

 秋乃には悪いが、増援部隊から離れて歩こう。


 でも、こいつだけは。

 秋乃の気持ちを理解できるようで。


「ゆ、唯一の味方……」

「あっは! 僕は王子様だからね! ケンカでもしてるの?」

「お、王子くんがいないと、会話もままならなかった……」

「そんな事ねえだろ」


 むしろ二人きりなら……。

 いや、確かに。


 二人きりだったら、意識して無口になっていたかもしれん。


「で、でも、これ買ってるときも怒られた……」

「お出かけに必要なのか?」


 確かにそうだけどと。

 しょげるこいつが手にしたスイスチャード。


 珍しい野菜を見つけたと大喜びで買うのも半ば納得の。

 一言で言えばカラフルなホウレンソウ。


 とはいえそんなに気に入ったんなら。


「名前も何も覚えようとしないとは……」

「だって、説明が長くて……。でも、要点は押さえた……」

「ほう? ではそれは何という名前で、どんな植物でしょうか?」

「菜っ葉という名前で、学生をぶつ……」

「いたいいたい! どんな職ぶつとは聞いてない!」


 公衆の面前で。

 菜っ葉で叩かれるという屈辱。


 それを見て、止めるかと思っていた王子くんまで笑う始末。


「こら。この暴挙を傍観か?」

「あっは! これは、秋乃ちゃんが保坂ちゃんのこと笑わせようとしてやってるだけだからね!」

「まあ、そうなんだろうけども」


 改めて言われるまでも無い。

 秋乃の気持ちは分かってるつもり。


 でもそれは、いつも俺が秋乃を笑わせようとしてる事への礼に過ぎないわけで。


 礼だったとしたら、こういうどつき漫才みたいなのは御免だ。


「そんじゃ、行くのか? 水着売り場」

「さんせーい!」

「腹減ったけど、メシは水着の後だな」

「当然なのよん!」


 いつまでも秋乃にぽかぽかやられている俺を放置して。

 きけ子たちはエスカレーターで上に向かおうとした。


 すると。


「う、上までならエスカレーターで行った方が……」


 秋乃がみんなに声をかけたんだが。

 それってまさか。


「え? だからエスカレーターで行くのよん?」

「エスカレーターはあっち……。あ」

「うはははははははははははは!!! エレベーターと間違えやがった!」

「わ、わざと……」


 ぎゃははと笑う三人組は。

 いつものネタだと思ったようだけど。


 俺と王子くんだけは気づいてる。

 秋乃の耳は、日焼け止めを忘れたほどまっかっか。


「やれやれ。言い間違えるか?」

「じゃあ立哉君、言ってみて? あっちのは?」

「エレベーター」

「違います。エレヴェーター」

「やかましい。そんな発音で外人さんに伝わるもんか」


 英語で仕事するお袋に言わせれば。

 日本人同士でしゃべる時に、Vの発音するのはナンセンス。


 そもそも、まともに発音できていないから。

 聞いていて恥ずかしくなることもよくあるらしい。


「じゃあ、立哉君にはできるの? その発音」

「もちろん」

「バイオリン」

「ヴァイオリン」

「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」

「なにそれ」

「バッハのフルネーム」


 知らんがな。

 でも、今関係あるのはVの発音だけだろう。


「ヨハン・ゼバスティアン・ヴァッハ」

「VじゃなくてBなのに?」

「引っ掛け問題じゃねえか!!!」


 二階に着いた乗り換え場所で。

 みんなが足を止めて大笑い。


 迷惑だから早く上に向かえ。

 それに羨ましいとか言うな。


 これは笑わせようとしてるんじゃない。

 笑いものにしようとしてるだけだ。


「もう引っ掛け問題には騙されん」

「じゃあ今度は、あたしの発音チェックして?」

「いいぞ?」

「これは、ヴェジタボー」


 そうな。

 いいところに菜っ葉持ってたな。


「うん、いい発音だ」

「夏休みは、ヴァケイション?」

「上手いじゃねえか」


 もちろん、俺の褒め言葉は本意じゃない。

 だって意識は、どこで騙して来るか、そこだけに集中してるからな。


 そして、秋乃の口端がすこうし上がる。

 次で仕掛けてくる気だな?


「今乗ってるのは、エヴェレーター」

「引っかからんぞ。エスカレーターだ」


 油断していなかったとはいえ。

 さすがにそんな手に引っ掛かるほどヘボじゃない。


「じゃあ、あっちのがエヴゥレーター?」

「急に発音下手くそだな」

「あっちのがエヴイレーター?」

「エヴェレーターだ。…………どうした?」


 なんでそんなにニヤニヤしてる?

 みんなも腹抱えて笑って。

 三階の降り口でうずくまって。


 他の客に迷惑だろうが。

 一体何を笑って…………。




 あ。




「立哉君。エベレーター?」

「気付かんかった!!!」


 ああもう!

 お前はどうしてそう、下らんことにかけては天才なんだよ!


 そして今日は俺を笑わせるわけじゃなく。

 俺が、お前の言い間違えを笑ったから。


 そのお礼参りってわけだな?


 やれやれ、こういう遊びじゃ一生勝てそうにねえ。

 だったら素敵なお礼だけもらえるように。

 せいぜい親切にしてやろう。


「た、立哉君が意地悪したから……」

「ああ分かってる」

「明日の行き先も教えてくれないし……」

「あっは! それはサプライズにしたかったんじゃないのかな?」


 王子くんの指摘は正解だ。

 でも、そのことで秋乃を不安にさせたのもまた真実。


「しょうがねえな、教えてやる」

「ほんと?」

「でも後ろの三人は絶対来るな」

「…………三人?」

「あっは! じゃあボクは行っちゃうよ?」

「そりゃ止めるわけにもいかんだろ」

「え?」


 だってさ。

 俺たちが行くのは。


「明日出かけるのは……」

「ど、どこ?」

「王子くんち」

「ぼくんち!?」


 この情報開示に。

 秋乃は不安が一気に解消したようだ。



 ……だって、不安なんか感じてる暇が無いほどに。

 不可解極まりない謎を提示したわけだからな。


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