スイカの日


 ~ 七月二十七日(水) スイカの日 ~

 ※一粒万倍いちりゅうまんばい

  1.少しのものから多くの利益があがる

  2.少しの物でも粗末にしてはいけない

  3.一つの善い行いが沢山の幸せをもたらす




 スイカを見ると思い出す。


 蝉時雨とギンヤンマと。

 そして、婆ちゃんに泣いて怒ったあの日のことを。

 


 夏の日差しが。

 眩しい、痛い。


 そんなことも理解できない程度に。

 未だ夏と冬とを数えるほどしか経験していなかった頃の俺は。


 遠くの田んぼまで見渡せる縁側に。

 汗も拭かずに、眩しい日差しに包まれて。


 足をぶらつかせながらスイカを齧っていると。

 婆ちゃんが、大丈夫かいと声をかけて来た。


 子供にとっての昨日の出来事。

 言われなければ忘れていた悲しい事件。



 里帰りの直前、爺ちゃんが腰を痛めたらしく。

 ちょうど車で来てもらって助かったと。

 町まで必要な物を買いに出る事になった。


 急な土砂降りが止んだばかりの午後。

 車で街まで行って大人たちが買い物をしている間。


 俺は、道端で凜々花と一緒に。

 水たまりで遊んでいたんだ。


 するとすぐ目の前を通った男の人が。

 水たまりに財布を落としたから。


 慌てて拾って、落としましたよと渡してやったら。


 俺が水たまりで跳ね上げた水を浴びたその人は怒り出して。

 しまいには、入っていた金が足りないと怒鳴られた。



「ばあちゃん、ウソ言った?」

「ばあは、ウソはよう言わん」

「だって、いいことしたらいいことが返って来るって言ったよ?」


 今の俺にはよく分かる。

 子供の質問は難問ばかり。


 でも、婆ちゃんはこともなげに。

 どうしてそうなったのか教えてくれたんだ。


「あんな? いいことは、すぐにけえってくるんじゃねえのん」

「そうなんだ」

「さっき、おめさんの好きな銀トンボがそこさ辻、通ったろ?」

「ギンヤンマだよ」

「それ、嬉しかったじゃろ」

「うん!」

「きっと一週間くれえ前に、立哉ちゃんが誰かに親切にしたからけえってきたんじゃのう」


 そうなんだ。


 じゃあ、昨日の親切も。

 そのうち返って来るのかな?


 俺は納得しながら、それを楽しみにスイカを齧ると。

 重みの無い手が頭に乗せられた。


「じいちゃん、平気なの?」

「ばあの方が平気じゃねえのん。おむつ換えとか、駄賃もらわにゃやってけねえ」

「ぼくがやろうか?」

「そうな。そうして、人様に親切にしてりゃええのん。そうすりゃ……。スイカ、うめえか?」

「すげえ美味しい!」

「ほほ。そんスイカ、あのかちんきの兄ちゃんが今朝来ての? スイカ代だって言うて、ぎょうさんお金置いてった」


 え? そうなの?


 じゃあ、ほんとに良いことしたのが返って来たんだ。

 ばあちゃんの教えてくれたことはウソじゃない。


 ……でも。


「スイカって、そんなに高いの?」

「うんにゃ? てえしたこたねえ」

「じゃあ、残ったお金は?」

「ばあの懐にはいっちょるけんど?」


 なんで婆ちゃんが貰うんだ。

 それは、昨日親切をした僕に返って来たんだろ?


 さすがに眉根を寄せた俺に。

 婆ちゃんは、さも当然とばかりにこう言ったのだった。



「ばあちゃんのが先じゃろがよ。トイレでぎっくり腰しよった爺のケツ拭ってやったんはおとついじゃ」



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



 秋乃のご機嫌とかけて。

 群馬と栃木の昔の呼び名と説く。


「……ほう。そのこころは?」

「上になったり下になったり」

「……ばか者。下野の方が栃木だ」


 上総下総。

 豊前豊後。

 備前備中備後。


 なぜか苦手で未だにどれがどこやら覚えていない俺を。

 呆れながらたしなめるのは、舞浜春姫ちゃん。


 アップに結った金髪に。

 うなじも眩しい浴衣姿。


 稜線淡い水彩画タッチの花柄は。

 主人から焼き肉と焼きそばと、メロンとスイカを奪い去る。


「……なぜ汚れる心配のあるものばかり並べた」

「偶然だよ。でも似合ってるよ、春姫ちゃん」

「……この。私は気が済むまで文句を言いたいんだ。言えなくさせてなんとする」


 どうしてだろう。

 婆ちゃんとしゃべっている時の自分を思い出したのは。


 ひょっとしたら、縁側風に並んでみんなが齧るこのスイカが。

 あの事件のことを思い出させたせいなのかもしれない。



 縁側はないけど。

 リビングのサッシを外して座るご近所メンバー。


 辺りはすっかり日が落ちてるから。

 家の中が虫だらけになること必定だけど。


「風情があっていいなあおい!」

「そう思ってたのに。カンナさんのでかい声のせいで台無しだ」

「なんだとコラ!」


 そう。

 我が家にとって一番のご近所さん。


 カンナさんと店長も。

 今日はバーベキューから参加してる。


「どうして今日は早じまいしたんだ?」

「なんとなくだ。それよりお前、あいつどうしたんだ?」

「昨日怒らせちまってな」


 カンナさんがあごでしゃくる先。

 一人でバーベキューセットの後片づけをしてるのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 一応、普通の受け答えはしてくれるけど。

 ご機嫌は朝から最底値。


 もちろん、昨日の一件で対処方法は分かるんだ。


 でも、一晩寝ずに考えたけど。

 大声で名前を呼ぶシチュエーションなんてすぐに整える事が出来るはずもない。


 しかも、そんな事ばっかり考えてたせいで。


「あ、きー。……その網は水道のとこ置いといて。俺がやるから」

「うん」

「あ……。麦茶いる?」

「いらない」


 ご覧の通り。

 普通に名前を呼ぶことすらままならなくなってしまった俺だったりするわけだ。


「やれやれ、ケンカの仕方が下手な連中だな!」

「カンナさんにそう言われてもな」

「大人なあたしが、その辺教えてやろうか?」

「…………ふむ。そういうことなら、ちょっとこっちに来てくれ」

「なんだよ男らしくねえ奴だな。こそこそしやがって」


 そう文句を付けながらも。

 縁側から立ち上がって、駐車場の隅までついて来てくれたカンナさんに。


 この一ヶ月、誰も答えを出せなかった質問をぶつけてみる事にしたんだが。


「あのさ。告白して一発OKもらえるワザとかねえ?」

「あるぜ?」

「即答されると逆に信憑性ねえけど……。教えてくれ」

「そんなもん、大声で名前を呼んでから告白すりゃ一発ころりよ!」


 ん?


「そのかっこ悪さがな? 最高にかっこいいわけだこれが!」

「まさかの総集編!!!」


 この話だけ見れば一ヶ月分の放送がまるわかり!

 でも、俺が見たいのは次の話なんだよ!


「どいつもこいつもそればっかり! そうじゃなくて、俺は具体的な方法を……」

「ああ、例えば初めて名前で呼んでくれた場所とか、相手にとって思い出の場所に行ってな?」

「お? マジか、初めての具体例!」

「そこでさっきのサプライズだ! これでOKしねえ女なんていねえぜ?」

「なるほど確かにグッとくる! でも、カンナさんって恋人今までいなかったんだろ?」

「ああ」

「じゃあ信憑性ねえじゃん」

「あるよ?」


 そう言いながら見せてくれた左手に。

 きらりと光る指輪が一つ。



 …………え?



 えええええええええええ!?



「ここっ、婚約指輪ぁ!? 誰とだよ!!!」

「店長に決まってんだろ。春に名古屋行った時からしてるけど、気付かなかったのか?」

「あんときか!!!」

「あんとき?」

「あ、いや、二人で出かけたって聞いたから……」


 あぶねえ、カンナさんは気づいて無かったんだった。


 しかしまさか、あのかくれんぼしてた時にそんなことが!


 じゃあ、工場夜景前にして。

 店長がでかい声でプロポーズしたの!?


「まじか」

「……でもさ。お前ら、付き合ってるんじゃなかったっけ?」

「カンナさんが爆笑した、あのおかしな状況のままだよ」

「そっか。……よし! 明後日、シフト外してやるから男らしく決めて来い!」

「いや急に決めるなそんなもん!」

「こういうのに『誰かのせいで』とか言い訳がねえと動きづらいだろ男子としては」

「そ……、そうな。いや、ありがとう」

「アテはあるのか?」


 アテ。

 思い出の場所って事か。


 そんなの、この二年間で。

 山ほどあって選びようもない。


 でも。

 一カ所にしぼるなら。


「…………そんなに、初めて名前で呼んだ場所ってやつは思い出に残るものか?」

「一生忘れねえ」

「じゃあ、アテってやつ、ある」


 カンナさんのせいで無理やりに。

 いや、こんな俺の背中をカンナさんが押してくれたおかげで。


 一人、バーベキュー台を磨く秋乃へと足を踏み出す。


 断られたらどうしよう。

 今の俺は、そんな気持ちすら湧いてこない、


 だって、一つ大きな勘違いをしてたことに。

 俺は気づくことが出来たんだから。


「秋乃」

「ん? 大丈夫、一人でできるよ……?」

「金曜、出かけるぞ」

「え?」

「まるっと一日空けときなさい」

「…………うん。どこに行くの?」


 そう、秋乃が怒った最近の出来事の内。

 一つだけ感じていた違和感。


 その正体も分かった俺に。

 負ける要素は見当たらない。


 だから…………。



「お前。それで暗がりに一人でいたのか」



 俺は、スイカの汁で服をびったびたにした秋乃に告白すべきかどうか。


 明後日までの間に、最後の脳内討論会を開始することになったのだった。

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