夏風呂の日


 ~ 七月二十六日(火) 夏風呂の日 ~

 ※流汗淋漓りゅうかんりんり

  汗がだらだら流れ落ちる様子




 ぬるめのお風呂にのんびりゆっくり浸かるという贅沢。


 そんな贅沢が許されるのは。

 お金持ちより上と言われる。


 時間持ち階級の皆さんだけ。


「日の高いうちから風呂とは。なんて贅沢な」

 

 人があくせく働く姿を見下ろして。

 空中露天風呂から高笑い。


 よっぽど気持ちのいい体験なのだろう。

 水着着用という枷があってもなお余りある幸せが、彼らの財布から紐を抜き去ってしまうのだった。


「アイスコーヒーとフローズンヨーグルトバーガーちょうだい?」

「こっちは新香と日本酒じゃ!」

「へいへい待っててくれよ!」


 お酒は高校生に取り扱わせたくない。

 そんなこの人のこだわりが。

 自分自身を締め付ける。


「二階、カンナさんだけだと大変そうだな」

「お酒の販売許可があるからって、もはやハンバーガー屋さんじゃないと思うの……」


 大忙しのカンナさんが抜けた一階。

 当然その分こちらも大変になると思っていたんだが。


 意外や、二人で三人分の仕事をこなすタイムマシンコンビと。

 言わずと知れた有能二年トリオがフルでシフトに入っているせいで。


「どうだ? 終わったか?」

「あ、あと一カ所……。ここ、歪んでるよね?」


 今日は設計技師役の。

 舞浜まいはま秋乃あきのはともかく。


 俺もこうして。

 暇を持て余もとい。


 店の外で、炎天下の中。

 お仕事をこなすことができるという訳だ。


「確かに下がってるな。おにいさん、秋乃がいるとこに支柱追加できる?」

「任せとけ」


 昨日のウォータースライダー。

 もとい、ドライブスルーは。


 リピート客が商品を買わないというしごく当たり前な理由で即改造。


 半分に切ったパイプにお湯を張って。

 下界見下ろし露天風呂へと姿を変えていたのであった。


「どうだこんなもんで?」

「いいかも……。や、やっと完成……」

「完成前から営業は開始されてたけどな」

「あちいの……」

「お嬢ちゃんも汗びっしょりだな。俺も汗を流したいとこだが」


 そういうことなら風呂を貸そうと。

 思った所へ、お兄さんは手を叩く。


「おお、あそこ行ってくるか」

「あてでもあるんですか?」

「嫁さんの実家が駅向こうにあってな。着替えとロックンロールが手に入る」

「ロックンロール?」

「そして近所に今にもつぶれそうな大衆浴場があってな? そこで演歌と極楽気分が手に入るんだ」

「た、大衆浴場!? はい! 行ってみたいです!」


 おいおいおい。

 仕事中だよなに言ってるの。


 でも、秋乃は急に止まらない。

 初体験という興奮に胸を躍らせ……?


 ちょっと待て。


「お前、スーパー銭湯には何度も行ったことあるだろうが」

「大衆浴場と銭湯は違う……」

「ちがかねえ!」

「いや、そうでもねえぞ? 今時、天井に達することのない壁一枚越しに男女の湯船が存在する大衆浴場なんて他にねえ」

「す、すぐ着換え取ってきます!」

「うわまじか」


 しょうがねえヤツだと頭を抱えてる場合じゃねえな。


 保護者としては、ついて行くより他になし。


 仕方が無いから、カンナさんには工事の手伝いのためにお兄さんの指示に従いますとだけ伝言してもらって。


 俺も風呂セットと着換えを持って。

 古い銭湯とやらへ出かけることにしたのだった。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



「……うるさい。はしゃぎすぎ」


 恥ずかしい。

 みっともない。


 でも。


「来てみたかったの! すごい、立哉君といるとなんでも夢が叶う!」


 そう言われるでは仕方なし。


 俺は、お兄さんが合流するまでの間。

 銭湯の前で子守をする羽目になっているんだが。


 いくら子供だと言っても。

 こいつを男湯に連れて入ったら大パニックになるだろうな。


 いや。


 目の前で服脱がれた日にゃ。

 俺の頭がパニック起こすか。


「すごいすごい! ばんざいってするんだよね?」

「服を脱がせって言ってるの!?」

「フルーツ牛乳のお金を払うとこ……」

「ばんだいだ! ああびっくりした!」


 変な覚え方しやがって!

 めちゃめちゃ驚いたわ!


「さすがにそれは今は無くて、受付みたくなってる。……なんだその顔」

「………ばんざいと、ばんだい」

「うん」

「そんな勘違いするなんて。そんなにあたしがばんざーいってしてるのを脱がせたかったの?」

「おまえが勘違いしたんだからな!?」

「でも、今日は楽しみだから見逃してあげるね、おま坂わりさんこの哉ひとです君」

「見逃された心地がしない。公共の場で変な名前で呼ぶな」

「あ! えっと、それなんだけど……」


 会話の途中で秋乃が口をつぐむ。

 その視線の先にはお兄さん。


 こいつは何を言いかけたんだ?

 お兄さんがいると話せないような内容だったのか?


 考えながらも暖簾をくぐって。

 フロントでお金を払って右の湯へ。


 そして洗い場に足を踏み入れるなり。


「た、立哉君?」


 壁越しに。

 名前を呼ばれるという罰ゲーム。


 周りは爺さんばかりだから。

 嫌味な視線は無いけれど。


「立哉君?」


 恥ずかしいよ。

 返事なんかできるか。


「えっと……。まだ、入って来てないのかな……」


 できません。


「立哉君……」


 ああもう!

 そんなテンション下げられたら、俺が苛めてるみたいじゃねえか!


「いるよ。なんだよ」

「よ、良かった! あのね? お風呂、ちょっと長くなるから、ね?」

「構わんぞ」

「ホントに!?」


 ……え?

 なにその喜びよう。


「ちょっと長くなるから、待ってろって話じゃねえの?」

「ちょっと長くなるから、暇しないようにしりとりしたいなあって……」

「おバカなの!?」


 おにいさん、笑い転げて床に突っ伏しちゃったじゃねえの!


 ほんとに許してください!


「じゃあ、あたしから!」 

「ああ。温泉の『ん』から。はいどうぞ」

「い、意地悪……」


 他のお客さん、お年寄りばかりだから。

 にこにことしてくださっているけど。


 さすがに迷惑だろ。


「もう話すのはおしまい。いいな?」

「えっと……。その……」


 またぐずる子供のような声出しやがって。

 あれか? さっき入り口で言いかけてた件か?


「何をしたいのか分からんが、皆さんに迷惑だから。何か言いたいなら、一言だけな?」

「ほんと? じゃあ、ひとつだけ」

「はいどうぞ」

「んむくじあんだぎー」

「うはははははははははははは!!! 沖縄の食いもん出されたらしりとり終わらんわ!」


 ああもう、大声出させるな。

 もう絶対相手しない。


 その後も立哉君立哉君と。

 何度も声をかけられたけど全部無視。


 でも。

 さすがに脱衣所へ上がる前だ。


 しょうがねえから声をかけるか。


「あき…………。えっと」


 うわ。

 これ、すげえ恥ずかしい。


 とてもじゃねえけど名前なんか呼べねえぞ?

 どうしよう。


「その……。やべえ、どうしようかな」

「まず、話しかけたい人の名前を呼んで下さい」


 おお、秋乃の声だ、助かった。

 聞こえてるんなら話は早い。


「立哉です。先あがってるな?」


 一言だけ告げると。

 俺は秋乃に聞こえるように大きく音を立てて扉を開いた。


 そして、それなり涼しいながらも湿気で鬱陶しい脱衣所で待たされて。


 お兄さんを見送った後も。

 ずいぶんと待たされて。


「おかしいな。いくら何でも長風呂すぎでは?」


 鳴らない携帯を手に。

 暖簾をくぐって外へ出る。


 まさか、先に上がって待たせていたりしたら申し訳ない。

 せっかくご機嫌になったというのに点睛を欠くことになってしまう。


 でも、あまりにはしゃいでいたら置いて帰ろう。

 そう思っていたら、フロントのおにいさんから声をかけられて。



 メモ紙を渡された。



『立哉君は、立哉君があがるのを待っているようだったので、先に帰ります』



「うはははははははははははは!!! 話しかけたい相手の名前って確かに言われたけども!」


 ひとしきり大笑い。

 そして俺は、あることに気が付いた。


「えっと、これ書いてた女の子、不機嫌じゃありませんでした?」

「ああ、そんな感じだったぜ?」


 やっぱりか。


 ああ、なるほど。

 ここの所、急に機嫌が悪くなっていたのはそういうことだったのか。



 上から見るか下から見るか。


 不機嫌とご機嫌の。

 二通りに見えるだるまさん。


 ひっくり返るトリガーが。


「ようやく分かったぜ」


 俺は、銭湯を出て。

 未だ焼けつくような日差しを浴びながら。


 秋乃という難問の答えに至る方程式を。

 頭の中で組み立て始めたのだった。

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