知覚過敏の日


 ~ 七月二十五日(月) 知覚過敏の日 ~

 ※一瀉千里いっしゃせんり

  もともとは水の流れが速いこと。

  そこから、喋りは早いことや

  物事が速やかに片付くたとえに。




 俺にしては。

 大胆な決断をしたんだ。


 だというのに。

 なにも成すことなく。


 夏休み突入。



 ――俺は高校三年生。

 都内有名私立大を目指す受験生。


 どれだけ時間が取れなくとも。

 最後の夏休みをこいつと恋人として過ごしたい。


 そんな願いは。

 もはや絶たれてしまったのだ。


 今更秋乃を口説くために労力を費やす暇もなし。

 そう、俺は高校三年生。


 受験生の夏休みとくれば。

 もちろん。


「なぜ勝手にシフト入れた……!」

「ここの所まるで仕事してなかったから……。お金ないかなって……」


 仕事してなかったのは。

 お前を口説こうと必死になっていたせい。


 そんな俺の想いも分からず。

 そして受験生の夏休みというものをまったく理解していないこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 今日も慣れ親しんだお隣りさん。

 二つ並んだこのレジは。


 駅前から少しだけ離れた所に建つ。

 個人経営ハンバーガーショップ。


 ワンコ・バーガーの注文窓口だ。


「で、ではお客様……。ご注文は勉強時間でよろしかったでしょうか?」

「その通り」

「五千円になります……」

「日当やろがい」


 ぴっ


「なんだそのバーコード」

「勉強時間、一時間分です。お持ち帰りになりますか?」

「ノーの場合は店内で勉強なのか?」

「騒がしくて、まるで頭に入らなそう……」

「だったら紙袋を出すな何を入れる気だ!」



 週末、理由は分からないけど。

 随分と不機嫌にさせたのだが。


 土曜日、家の前であった時にはいつも通り。

 嬉しい反面、なんで機嫌を損ねたのか分からずじまい。


 ヒントはあの落下未遂事件の中に隠されているわけだが。

 三日三晩考え続けたのにまるで答えが出ない。


「受験舐めるな! 勉強しろ!」

「ひうっ!? が、学年主席と次席だから大丈夫……」

「ああ、そんなビクビクすんな。その次席の方に叫んだだけだから」


 勉強教え続けた方が次席とか。

 世の不条理を感じずにはいられない。


 だからこうして。

 俺は客が誰も入って来ないレジの前で。


 秋乃が機嫌を損ねた理由を。

 さらに推理し続けながら。


 腹立たしい事実から逃避しているわけなんだが。


「何やってるんだ! お前らも外に出て来い!」

「とうとうサボってるのがバレたか」

「外、暑いからいやだよね……」

「暑い中だから売れるんだよ、このフローズンヨーグルトバーガー!」

「いらっしゃいませぇ! 冷たいデザート感覚のハンバーガー、店頭で販売中ですぅ!」

「おふざけ商品かと思って試食したらほんとにおいしい。買って欲しい」


 かことみらいのタイムマシンコンビを伴って。

 店頭販売をするカンナさん。


 それもそのはず。

 現在、工事の音がガンガン響く店内では。


 落ち着いて飯なんか食えないからな。


「よし、できたぞ」

「さすが。訳の分からんもの作らせたら天下一だな」


 先週末も顔を合わせた。

 工務店のお兄さんが店内に入ってテーブル席で一休み。


 そして、俺が出したアイスコーヒーに口を付けると。


「どうせ夏休み明けには、訳の分からん発注をさせたら天下一のお前らから文化祭用のどでかい工事することになるんだ。今から予行練習だよ」

「三年だぞ? そんな発注しねえと」

「しないのか?」

「思いたい」

「なるほど。資材をかき集めておこう」


 朝からとんてんかんてんと。

 お兄さんが指揮する工事部隊が作っていたもの。


 完成とあらば見ておこう。

 俺は、秋乃を伴って外に出てみると。


「……すげえな」

「ほんと……」


 三階建てのワンコ・バーガー。

 その建物の周りに巻き付くように。


 半透明のパイプが上から下へぐるんぐるん。


 パイプの出口から流れ出した水は。

 見覚えのある、井戸くらいのサイズのプールに流れ込む。


「そうめん流し機の使いまわし……」

「さ、さすがにかなり違うよ? あんなに上まで水をくみ上げるの、大変だから……」


 一口サイズにそうめんをより分ける機構の方が大変そうに想う俺だったが。


 この天才科学者に意見なんておこがましい。


 そんな秋乃とお兄さんの合作に。

 ずらりと並ぶ水着の人々。


「異常な光景……」

「じゃあ最初に、関係者が試しで滑ってくれ」

「はいっ!」

「言うと思ったけど。危なくねえか?」


 元気よく手をあげた後。

 いそいそと服を脱いで、中に着ていた水着を披露した秋乃に問いかけると。


「大丈夫……。ですよね、カンナさん?」

「もちろんだ! 飲食店で事故なんか起こした日にゃ大事だからな?」


 いや。


「ウォータースライダーの時点で一発レッドカードだろがよ」

「これ、ウォータースライダーじゃないよ?」

「…………は?」

「そうだぜ! こいつはウォータースライダーじゃねえ!」


 ええと。

 じゃあこれは何なのか説明してくれよ。


 そう突っ込もうとした俺が。

 ふと、違和感に気が付いた。


 普段なら有頂天になって階段を駆け上るであろう。

 そんな秋乃が、どこか不機嫌そうに見える。


「じゃあ、行って来る……、ね?」

「おい、お前体調でも悪いんじゃねえのか?」

「いたって健康……」

「いやいや! 待てって秋乃!」

「…………お?」

「お?」

「ううん? こっちの話……」


 あれ?

 なんだよ、勘違いだったか?


 機嫌よさそうじゃないの。


 鼻歌うたいながら階段を駆け上って。

 躊躇なくパイプに飛び込んだ秋乃。


 そのきゃーきゃーはしゃぐ声が。


 建物の右から左へ流れながら。

 どんどん近付いて来る。


 なんだろう、さっきの反応。

 週末にあった不機嫌と関係あるのかな。


 共通点といえば……。


「いや待て! そんな場合じゃねえ!」


 出口の先に置かれたプール。

 井戸くらいのサイズしかないわけで。


 そんな勢いで降りてきたら。

 飛び出しちまう!


 俺は慌てて井戸の縁に立って。

 勢いよく飛び出して来るであろう秋乃を受け止めるべく立ち塞がったんだが。


「ぶひゃっ!?」


 ……勢いよく俺に飛び掛かって来たのは。

 秋乃が巻き上げた水しぶきだけ。


「おお……。ブレーキ機能も完璧……」

「そんな機能付いてるなら先に言え! おかげでびっしょりだ!」

「でも、この機能が付いてないと」

「普通はウォータースライダーにブレーキなんかねえだろ」

「ううん? だからこれはウォータースライダーじゃなくて……」

「へいらっしゃい!」


 パイプの水流に浸かったままの秋乃のすぐ横。

 店の窓から顔を出したカンナさんが。


 フローズンヨーグルトバーガーを秋乃に差し出してるんだけど。


「……ドライブスルー」

「うはははははははははははは!!! 商品受け取るなり徒歩!」


 なんてバカバカしい!

 でもそれ、どうやってお客さんはお金払うんだよ!


 あまりのことに頭を抱えた俺に。

 秋乃がバーガーを手渡して来る。


 なんだよ、自分で食わねえの?

 おまえ……。


「フローズンヨーグルト、好きだったろ?」

「そうでもない……」

「いやウソつけ。食べろよ」


 ふるふる


「…………なんで? 食べなって」


 ふるふる


「まさかお前。…………虫歯?」

「違うのただの知覚過敏なの」


 いや、誤魔化しても無駄。

 そういや、歯医者苦手って言ってたな。


「試しに食ってみろ」

「た、立哉君は知覚過敏の辛さを知らないからそういうことを言う」

「誤魔化すなって。ほれ食ってみろって」

「えい」

「つめたっ!? 何の真似だ! 水かけるんじゃねえよ、秋乃!」


 ムキになって怒った俺に。

 どういう訳か、機嫌良さそうにしたこいつが。


 嬉しそうに微笑みながら。

 話にオチを付けたのだった。


「それが知覚過敏」

「うはははははははははははは!!! やかましいわ、歯医者行くぞ!」


 そして、苦手な歯医者に連れて行く間も。

 こいつはずっと、上機嫌でいたのだった。



 ……どうして?

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