新聞配達の日
~ 七月十四日(木) 新聞配達の日 ~
※
師匠から弟子へ、思想や技を
受け継いでいくこと
結局昨日。
凜々花に泣きつかれて。
一時間ほど勉強をみてやった後。
自分の勉強をしていたら。
空が白み始めて来た。
布団に入ったところで。
秋乃のことばっかり考える事だろう。
俺は寝るのを諦めて。
トレーニングがてら、近所の山から日の出でも拝もうかと秋乃の家の方向へ向かっていると。
「あれ? おはようございます……」
「あらおはよう。でもダメよ?」
「え? なにが?」
「舞浜さんとこに夜這いに来るならもうちょっと早く起きないと」
「どんな挨拶だ」
事あるごとに、笑えないおばさんギャグで秋乃との仲を煽る。
花屋の綺麗なおばさんが、店の前を掃除しているところに出くわした。
「あんた男の子なんだから。時には強引にいかないと」
「犯罪だそんなの」
「犯罪と強引の境界線って、どこにあるか知ってる?」
「……それはぜひ知っておきたい。教えてくれ」
「イケメンにはそれが無いの」
「じゃあ俺なら?」
「あんたにも無いんじゃない? 逆の方で」
くそう、早朝からケタケタ笑いやがって。
でもどういう訳か、この人には逆らえないんだよな、俺。
身にまとうオーラのせいなのか。
年齢を感じさせない美貌のせいなのか。
「そんなあんたにこれあげとくわよ」
「なにこれ?」
「婚姻届け」
「はあ!? いやなんで持ち歩いてんだよこんなもん!」
「年頃の娘を持つ親なら誰でも持ってるわよ」
「そんなわけあるか! ああ、いらねえからカーボン紙まで渡そうとすんじゃねえ!」
なにそれ、上に別の紙おいて名前書かせろって事!?
俺にも境界線分かるわ!
これはアウト!
それに俺は秋乃と付き合いたいだけで。
結婚したいわけじゃねえ!
呆れたおばさんの冗談には。
いつも翻弄されっぱなし。
でも、親父はしょっちゅうここに来ては。
凜々花との向き合い方についておばさんに教えを乞うて、先生とか呼んでるし。
凜々花も大好きなようで。
ちょいちょい店の手伝いをしているらしい。
ならば、おばさんの本性は。
頼れる人だと推測される。
ここはひとつ。
膝を折って教えを乞うてみようじゃないか。
「……強引なのは無しで。女の子を口説くにはどういう手が有効か教えてくれない?」
「最近身近であった実例でも教えてあげようか?」
「是非」
「できちゃった婚」
「だからそういうのじゃなく! 例えば、おばさんはどう口説かれたの!?」
俺が大声をあげると同時に。
自転車のブレーキ音がギギギと上がる。
どうやら新聞配達員さんを驚かせてしまったらしい。
おばさんは苦笑いしながら新聞を受け取って。
何でもないから気にしないでとフォローしてくれたんだけど。
いやはや恥ずかしい。
そんな俺を見据えて。
おばさんはため息を一つ吐くと。
「新聞配達してたのよ」
「え? おばさんが?」
「ううん? あたしの旦那さん」
そう言いながら、お店のシャッターをあげて。
レジの裏から丸椅子を引っ張り出して来る。
そして。
「いやいやいやいや! 今、四時だよ!?」
缶ビールの蓋を開けて美味しそうに飲みながら。
椅子に腰かけて昔話を始めたのだった。
「結婚するちょっと前にね? あたしが暮らしてた東京に、二か月ぐらい住んでいたことがあったの」
「旦那さんが?」
「そう。新聞配達のバイトしながら」
そう話すおばさんの目は優しくて。
普段のいたずらっ子はどこへやら。
「食事でもどうですかって、七時って言うから行ったのよ、築地」
「豊洲の前の東京中央卸売市場?」
「あら詳しいのね」
「そんなとこでデート?」
「最悪だったわ、生臭くて」
「ですよね」
近所に住んでいたとしても。
デートに誘う場所じゃないと思うんだけどな。
例えば、夫婦になってからとか。
友達同士なら楽しそうだけど。
「でも、ここからがミステリー」
「ほう?」
「待ち合わせた場所からタクシーに乗って、月島の割烹料亭でご飯を食べたのよ」
「……お二人の住まいの間くらいが築地だったとか?」
「真逆」
「え? どうしてだろ」
急に本題がすげ替わった気がするけど。
でも、話が面白過ぎて前のめり。
「美味しいお店だったけど……、彼、なんだか疲れててね?」
「ふむふむ」
「しかも、何度も足を運んでる美味しい店だって言ってたのに、高級料亭なんておかしいでしょ?」
「旦那さん、お金持ちとか?」
「その頃からお花屋よ。しかもお店休んで新聞配達」
「なるほど。……すげえ面白いんで、推理タイム貰っていい?」
「あら新鮮! あたしの周りにはすぐ答え教えろって人ばっかりだから!」
そんなのもったいない。
こんな面白いミステリーなかなかないぞ?
話の流れから、見栄を張ったってわけじゃなさそうだし。
だとしたらどうしてだろう。
俺はいくつもの可能性を考えてみたんだけど。
どれもしっくりこない。
悔しいけど……。
「むむ。ヒントをくれ」
「あたし、こんな店に何度も来てるはず無いでしょって首根っこ掴んで問い詰めたのよ」
おばさん、それなり小柄なのに。
よっぽど小さな旦那様なんだろうな。
「でね? ここからがヒントなんだけど」
「うん」
「待ち合わせたのは七時」
「そうだったな」
「彼、新聞配達員」
「うん。…………あ! 分かった!」
いや、そうか悔しいな!
もっと考えれば解けた謎だった!
でも……。
「誘う!? 朝!」
朝から昼までしか営業してない。
そんなお店に誘った訳か!
「ほんと。間違えるなって方が無理でしょ」
「連絡しようがあったでしょうに!」
「あのひと、携帯持たずに家を出たらしくて」
携帯持ってなかった?
だったら適当な時間で切り上げて。
家に帰って電話をすれば…………っ!
「いやまさか!」
「お? すごい。最後のミステリー、解けたみたいね」
「家にも帰らず、十二時間待ってたって事!?」
「もしあたしが到着した時にいなかったら叱られるって思ったんだって!」
「なんだそれ!?」
「あはははは! かっこ悪いでしょ?」
俺は同意しようとしたんだが。
ここの所、耳に馴染んだ言葉にそれを遮られた。
「いや、どうなんだろう。かっこ悪いのが、かっこいい」
「あらら。凄いわね、女心分かってるじゃない」
「ただの偶然なんだけど、やっぱそういうもの?」
分からないで言ってたの?
おばさんはそう言いながら立ち上がると。
ビールを一気に飲み干して。
そして楽しそうに話を締めてくれたのだ。
「その次の日に、市場の外れにあるせまっ苦しいお店で海鮮丼食べたのよ」
「どうでした?」
「悔しいけどね。これがワンコインでばかうま!」
幕と同時に朝日が上がる。
旭光が辺りを眩しく輝かせる中。
おばさんの笑顔は、他のなによりも輝いていたのだった。
~´∀`~´∀`~´∀`~
「すいません。美味しくない……、です」
「だよなあ!!!」
どうして俺はこんなことをしようと思ったのか。
冷静になってみれば意味が分からない。
俺の隣で。
ワンコインの食材で作った海鮮丼を。
渋々と口に運ぶ秋乃を。
今日も口説くことなんてできない俺なのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます