日本標準時制定記念日


 ~ 七月十三日(水)

   日本標準時制定記念日 ~

 ※造次顚沛ぞうじてんぱい

  非常に短い時間。

  または、一瞬もサボらず頑張ること。




 世の高校生の内。

 何割くらい存在するのだろう。


 つまり、試験期間だというのに。

 こうして勉強もせず。


 家事に勤しんでいる者が。


「いやあ、助かったよお兄ちゃん。今日は気圧の関係か、どうにも腰が痛くてね……」


 そんな日に、家中の時計を合わせようと思い立つとか。

 こいつはきっと、後者の方だろう。


 何の後者かと言えば。

 さっきの、家事の話に舞い戻る。


 すなわち、普段から勉強しているからわざわざ慌てる必要のない者と。


 一番の義務から逃げる事の言い訳を自分自身にするために。

 二番目の義務を行って誤魔化す者。


 ……まあ、親父にはテストなんかないだろうし。

 何かから逃げているってことは無いだろうけど。


「それにしたってどうしてこんなことを……」

「あはは……。なんか、急に気になっちゃってね?」


 保坂家は。

 どういう訳か、時計が好きな家系で。


 ちょっと他人には言い辛い話だが。

 家の中に、軽く二十個くらいの時計が存在する。


 自分が座る場所、どの場所にいても。

 時計が見えないと落ち着かない。


 爺ちゃん婆ちゃんから。

 いや、きっとその前から。


 連綿と受け継がれたDNA。


「いや。そんな昔に時計は無いか」

「え? 何か言ったかい?」


 そもそもいつ頃から時計という物があるのか。

 雑学王の俺でも知らない歴史。


 まあ、そんなことはともかく。


「置時計は全部直してきたんだけど、壁掛けが厳しくて……。イタタタタ」

「凜々花の部屋もか?」

「あそこはほら。ぼく、パスポート持ってないから」

「一番めちゃくちゃだろうにあそこが。……まあ、海外なら仕方ないか」


 とにかく、舞浜母による何かの魔術か。

 おあつらえ向きな状況に相成ったわけだ。


 でも、いくらなんでも親父に対して。

 告白が上手くいく技を教えろなんて、どう切り出したらいいんだ?


 俺は携帯の時計に合わせて。

 壁掛け時計の分針を合わせながら。


 上手い切り出し方を考えていたんだが……。


「あ、そうそう。ちょっと聞きたかったこ」

「ふひゃひゃひゃひゃ!」

「びっくりした! 凜々花ちゃん、どうしたの?」


 おいおいおい。

 俺のなけなしの勇気を返してくれ。


 脚立の上から見下ろした。

 そんな相手は……。


「こら凜々花。マンガ読んでる場合じゃねえだろ」

「いやあ! 息抜き息抜き!」

「凜々花ちゃん。ながら歩きは危ないよ?」

「全然平気だって。ほれ」


 二階から、恐らく同じ姿勢のまま。

 つまり単行本で視界を覆い尽くしたそのままで。


 こいつはソファーの背もたれ直前までこともなく歩くと。

 ぶつかる直前で大ジャンプ。


 空中で一回転して。

 見事に座席へあぐらで着地。


「凜々花。驚いたよ」

「でしょ?」

「未だに履いてたんだな、そのクマ」

「あったけえんだよ? おにいも使えば?」

「俺が履いたらラグビーボールになっちまうわ」

「そ、そんなことよりおにいちゃん。大丈夫なのかい?」


 そうだった。

 クマのことはこの際捨て置こう。


 親父の言う通り。

 そんなことしてる場合じゃねえだろ。


「こら。ちゃんと勉強しろお前は」

「へーきへーき! おにいも時計と戯れてるじゃん」

「俺は普段勉強してる」

「凜々花も普段から勉強してるし」

「……じゃあ、時計がいつごろから普及したのか言ってみろ」


 売り言葉に買い言葉。

 でも、ぺしゃんこにしてやれば部屋に戻るだろう。


 俺は、自分の知らないことを槍に変え。

 凜々花に突き付けてみたんだが。


 ……いやはや。

 まさかこんなことになるとは。


「不定時法が無くなったんが明治五年やろ? それまでは一時間の長さが毎日違ったから時計なんか作れなかったんちがうの?」

「ん? ……まあ、そう、だな?」


 え? なにそれ。

 全然知らないんだけど。


「あ、おにい。明治五年が一ヶ月短くなった話しようとしてたな? でも知ってっから驚かねえぜ?」

「そ、そう……、だよ? なんだ知ってたのか」


 しまったなんだこの状況。

 誤魔化し続けることできるのか?


 そんな俺の心境を知ってか知らずか。

 親父からの助け船がひょっこり顔を出す。


「凜々花ちゃん、それ面白そうだね。パパに話してくれるかい?」

「パパはなんも知らんのな! あんな? 日本の時刻って日の入りと日の出で区切って六分割してたんよ!」

「それは知ってるよ」


 知ってるの?

 なんだこの親子。


「ほんで世界標準に合わせることにしたんだけどさ、日本ってば暦もずれててさ」

「ほうほう」

「だから明治五年の十二月三日が、明治六年の元日にワープしたんさ!」


 まじか。

 後でこっそり調べとこう。


「すごいねえ、凜々花ちゃん」

「凜々花、何でも知ってるぜ?」

「じゃあ、ぼくからも問題だ。日本の標準時刻を決めた人はだれか分かるかな?」

「徹子」

「……確かに、ぼくが物心ついた頃から決まった時刻に現れるけどさ」


 正しい知識も間違った知識も。

 凜々花はどっちも天才だ。


 俺はこいつの成長に驚きつつも。

 昔と変わらぬところに気付いてちょっと安心したところで。


「で?」

「ん?」

「勉強は」

「凜々花、今日はすこぶる快調でさ! 三教科の内二つは一時間も前に終わらせたんよ!」

「一教科残ってるって事? なに?」

「音楽。こいつに立ち向かうにはモチベが足らんで、唯一好きになれねえ教科なんだけど」


 ああ、分かる。

 作曲家の系譜だの楽器の名前だの。


 さすがにこの知識はいらないだろうと、脳が記憶を拒絶するんだよな。


「でも、覚えることはすくねえだろ? 一時間集中すれば覚えられるだろと思ってな? 今はモチベをあげてるところ」

「ほう。一時間」

「うん! 今、八十モチベまで溜めたから。九時になったら寝るまでバトルよ!」

「……今、十一時だが?」

「へ? ……八時半じゃね?」

「十一時」

「それは有り得ねえよ! だってそれがほんとなら、凜々花、もう寝てから一時間も経ってるじゃん!」

「お前の部屋の時計、止まってるんじゃねえの?」


 ここまで言われて、ようやく凜々花は。

 ソファーから見渡すことができる時計を三つほど確認すると。


 叫び声をあげながらマンガを放りだして。

 部屋へと走って行ったのだった。


「やれやれ……。寝不足のまま試験受けて大丈夫なのかね」

「あはは……。でも、凜々花ちゃんはママの子だから大丈夫。お仕事に関しては心配ないよ」


 親父の子だから心配なんだよ。

 いつもなら、そう突っ込むところだけど。


 偶然。

 いい話題が出て来たな。


「……あんなカタブツを、よく嫁に出来たな親父は」

「手厳しいねおにいちゃんは」

「どうやって口説いたんだ?」

「普通なことをしただけだよ」

「ウソをつけ。どんな技を使ったんだ?」

「ホントだよ。普通にご飯を食べて、夜景の綺麗なところで指輪を渡して」

「絶対ウソだ」


 だって、あのお袋だぞ?

 何か技を使ったに決まってる。


「かっこ悪いのにかっこいい」

「え? 何のはなしかな?」

「そんな特別感がなけりゃOKしねえだろと言っている」

「うーん……。ぼくなんかのアドバイスが響くかどうかわからないけどね?」

「いや聞こう」

「奇をてらわない。一般的。それが大事なんじゃないのかな」


 そんなことを照れくさそうに話して。

 キッチンへ逃げて行く親父。


 俺はその背中を見つめながら。

 腰痛のせいで丸めた背中を見つめながら。


 深く深く。

 得心を表すように頷いた。




 やっぱり。


 役に立たん。




 なんとしても真相を探ろう。

 その技を使わせてもらおう。


 俺はそう心に決めるとともに。

 でも、こんな親父にも。


 なにかお袋が惹かれたものがあったんじゃないかと考える。



 ……いつもお袋は。

 親の威厳を保つためだろうとは思うけど。

 親父のことを、世界一かっこいいと口にするし。


 ひょっとして、お袋を一番大切だと思って。

 そこから逃げずに、かっこ悪く。


 泥臭く熱心に口説いて。

 かっこいいと思わせたのではなかろうか。


「……なあ、親父」

「ん? なんだい?」


 お袋がいつも、親父をかっこいいという。

 その言葉が仮説に信憑性を与える。


 そう考えると。

 一番大切なお袋からは逃げない親父を。


 少し尊敬して。

 これ以上問い詰める事が出来なくなって。


 俺は、違う話題で誤魔化した。


「……なんで急に時計合わせなんて始めたんだよ」


 親父は、脚立に座る俺を見上げると。

 少しだけ寂しそうな表情を浮かべて。


 そして、俺が秋乃に対してどうアプローチするか。


 その決心をするに至る一言をつぶやいてくれたのだった。




「…………締め切り、明日の朝なんだ」




 よし。


 俺は絶対。



 奇をてらわない。

 一般的。



 そんな告白だけはぜってえしねえ。

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