ラーメンの日


 ~ 七月十一日(月) ラーメンの日 ~

 ※窮鳥入懐きゅうちょうにゅうかい

  窮地に陥った人が助けを求めてくること




 コイというものは。

 はじめ、テレビや人づての話で憧れを抱き。


 実際に体験したその時に。

 鮮烈な味に酔いしれる。


 そして誰もが。

 もっとコイをと追い求めるが。


 ある時期を境に。

 その繊細な味の魅力に気付いて。


 大人になった自分を認識するものである。




「…………うめえよ、おにい」

「おお! お前にこの雑味の無い繊細な鶏塩スープが分かる日が来るとは!」

「でもよう。テスト勉強中のお夜食っつったらインスタントラーメンが普通なんじゃねえ?」

「なんだよ気合い入れて作ったのに! もっと手放しで喜べ!」


 ラーメン。

 その奥深き見果てぬ森よ。


 誰しも最初はテレビや人づての話でその濃さに憧れて。

 実際に口にして鮮烈な味に酔いしれる。


 そして誰もが、もっと濃い味をと追い求めるが。


 ある時期を境に。

 その繊細な味の魅力に気付いて。


 大人になった自分を認識するものである。




 ……深夜の保坂家は。

 いつも、凜々花がテレビや漫画、あるいは動画を見て爆笑する声をBGMに俺が勉強するのが普段の絵柄なんだが。


 今日は、勉強する凜々花の横で俺が大騒ぎ。

 そんな非日常的な景色が伝えたのだろうか。


 こいつは麺をすすりながら俺を見上げると。

 肩をすくめて聞いてきた。


「で? なんか凜々花にお願い事?」

「なぜわかる」

「おにいが三時間以上かかる料理を作る時は要注意って、教科書に載ってるし」

「まさか俺の名が全国区」

「名前の後に、(?~?)って書いてあるんよ」

「生年が分からないのはともかく、没年に関しては断固文句を言いたい」

「はよう話してえな。勉強途中だから」

「ふむ」


 先週、パラガスにも聞いたんだ。

 毒を食らわば皿までと。

 凜々花にも聞いてみようと思い立ったのは土曜日のことだった。


 でも、そのための賄賂の方に夢中になって。

 ようやくおぜん立てが整った今。


 やっぱり妹に話すのは。

 どうなんだろうと我に返る。


「ねえ。はよう」

「あ……、ええと、だな」

「ほいほい」

「俺の知り合いがさ?」

「知り合い? 誰?」

「う」


 そうな。


 俺の知り合い。

 百パー、お前も知ってるからな。


「まあ、先輩だよ。今は大学生」

「おお珍しい。凜々花の知らん人か」

「その人が、好きな女性にどう告白したらいいのか教えてくれって俺に聞いて来てな?」

「そりゃ無理な話だぜ大将! おにいに告り方聞く人なんて、スミノエさんしかいねえ」

「だれスミノエさん」

「お向かいの常連のおばあちゃん」

「あのシェイクの飲み方聞いてきたばあちゃんか」


 ばあちゃん、お孫さんつれてきたことあるじゃん。

 少なくとも、告り方については俺より達人だ。


「やんれやんれ。おにい、とうとう告っちまうのか? きゅんバナなんか?」

「いやだから。俺の話じゃなくて……」

「そして困ったことに、おにいが告白してえ相手までまるわかりとか」

「うぐう……」

「もう米俵三つ重ねんさい」

「…………こちらが今回の年貢となります」


 床にひれ伏して教えを乞う。

 そんなポーズの俺に凜々花は足を組んで向き直る。


 腹立たしいが仕方ない。

 ここまで来たら何か掴んで帰ろうじゃないか。


「お前はさ。どうやって告白されたい?」

「そだね……。びっくりどっきりな感じがいいかな!」

「具体的に」

「男子が一人、吊り橋わたってたらワイヤーが一本切れてさ」

「告白してる場合じゃねえ」


 パラガスといい凜々花といい。

 人生で一度もお目にかからないようなシーンを前提にするんじゃない。


「傾いて揺れる橋の中腹から、男子はなんとかこっちの岸まで歩いてきたんだけど」

「あとちょっとだ頑張れ」

「すんでのとこで足を滑らせて真っ逆さま」

「ああ! 男子!」

「でもそこを救ったのがこの凜々花なんよ!」

「おお! えらいぞ凜々花!」

「男子の腕を掴んで宙ぶらりん。そこからぐいっと引っ張り上げたんさ!」

「よくアニメで見かけるけどさ。腕一本で五十キロ前後のもの持てるはずねえだろ」


 命がかかったら常識以上の力が出るのかもしれんけど。

 でも、俺はあのシーンだけはどうにも現実味が無くていただけない。


「からくも危機を脱した男子が地面に横たわってゼイゼイ言ってるとな?」

「おっとまだ続いてたのか」

「後ろの藪から、どっきり大成功のプラカードを持った人が飛び出してくるんさ」

「落っこちかけといてどっきりはねえだろ!」

「そしてADさんが『爆笑で』って書いたスケッチブックを出すと周りにいた屈強なおっさんたちが揃ってやられたーって大笑い」

「いたのか他の人! お前ら雁首並べてただ見てたの!?」

「で、ADさんがスケッチブックを凜々花に向けて、ページをめくるとな?」

「なにが書いてあるんだよ」

「付き合ってくださいって。凜々花はこれならOKすると思うな!」

「どっきり大成功!?」


 ああほんと。

 なんて時間の無駄。


 こいつの感性が普通じゃないって事。

 分かっていたはずなのに。


 でも、後悔と共に頭を抱えて。

 部屋をあとにしようとした俺に。


 凜々花は、こんな事を言い出した。


「つまりな? めちゃめちゃ変だけど一生懸命ってのが理想なんよ」

「……お?」

「わかんねえ? つまり……」

「いや分かる! 分かるぞ凜々花! そうか、かっこ悪いのにかっこいい!」

「そうそんな感じ」

「ああ……。なるほどな……」


 そうか、日常的じゃない変わった演出で。

 でも、一生懸命真剣に伝えればいいんだ。


 凜々花に聞いてよかったぜ。

 糸口をつかんだような気がする!


「パパもそんな感じだったんじゃねえかな?」


 ああ、そういえば。

 親父もその系統だろうなあ。


「どうやってお袋のこと口説いたんだろ、あのでくの坊」

「凜々花が想像するに、つり橋のワイヤーを全部切って……」

「殺意高いね」

「そんな状態でどうやってママの事助けたか聞かないと」

「ワイヤーはともかく、ほんとどうやったんだろうな」

「気になるならパパりんに聞いてみりゃいいじゃん」

「そんな恥ずかしい真似できるか。でも、大人に聞けばいいってのはナイスアイデア。盲点だったぜ」

「そんなら何でも教えてくれそうな頼れる人、おるやん」

「どなたよ」

「舞浜ちゃんのママりん」


 ……そのママりん。

 口説こうとしてる人のママりんなんだけど大丈夫?


「……おにい。勉強の邪魔した詫びに、ラーメンお代わり」

「しょうがねえな。麺の硬さとお味はどうしましょう」

「麺多め」

「硬さだ」

「醤油味で」

「……鶏塩だ」


 やはり天才は。

 凡人では考えもつかないことを言い出しやがる。


 俺は、この天才の言うことを信じたものか。

 一晩考えてみる事にした。

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