第6話 片付け
起きた時にはもうすでにヴォルフはいなかった。
おそらく仕事に行ったのだろう。
昨日のマンサの言葉の意味がようやくわかってきた。
「とりあえず部屋を片付けようかな」
掃除用具を探しに部屋を出る。
あの臭気を放つ壺もなんとかしなくてはならない。
昨日の事を思い出し、うんざりした顔でとりあえず箒とはたきを探した。
ついでに水の入った鍋を見つけたので水をすぐには飲み込まず口にすすいでみる。
大丈夫なのを確認してから水を少量飲み込んだ。
箒を見つけたので部屋の床と埃まみれの家具をふきはじめた。
窓を開け換気する。外を見渡すと昨日話しかけてくれた女性がいた。
「マンサさーん」
手を振って挨拶すると、こちらを見たマンサが慌てて家に来てくれた。
「あんた、何やってんの?」
家に入ってきたマンサはニマに聞いてくる。
「起きたらヴォルフさんがもういなかったので部屋を片付けようと思いまして、窓を開けたらマンサさんを見つけたのでご挨拶しました」
ニマがニッコリ微笑んでそう言うとマンサは呆れた顔で溜息をついた。
「やっぱりねぇ、昨日言った通りだろ?アイツ気がきかないからゃんと言っておきなさい?そうしないと苦労するよ?」
やっぱりマンサは良い人だ。美人だし、そう言えば肝心の事を聞いておこうと思い出して、もじもじしながらマンサに尋ねた。
「あの……女性にこんな事尋ねるのは気が引けるのですけど……
ニマが照れながらそう言うとマンサが笑いながら答えた。
「あっはっはっ、こんな家に厠なんてないよ。そこに壺があるだろう?そこでよう足せば良いのさ」
マンサが腹を抱えて笑いながらそう答えた。
「いや、昨日の夜に気がついてしたんですけど、ヴォルフさんも寝ていて聞けなかったんです。昨日は小水だけだったのでよかったんですけどちょっと、次は……」
マンサがやっと気がついたようで答えてくれた。
「あぁ!そうだね、拭くもんがないとむず痒くなっちまうからね。壺の近くに木べらか棒があるだろ?木べらできれいにするか、棒に服の切れ端や木綿の屑など巻きつけてふくんだよ。アイツそんな大事なこと忘れるなんて、今晩酒に水足してやろうかしら」
そう言って怒ったマンサはお尻ふきのやり方を教えてくれた。
「そういやアイツも小さい頃に両親が亡くなってね。しばらく家から出てこなかったんだよ。心配になって家に来たら家中臭いわ、水は腐ってるわ、しかも熱出して寝込んでるわで大変だったんだ。慌てて私の両親呼んで肥壺の中身捨ててきてもらって井戸から新しい水汲んで、一週間ぐらい看病してやったんだよ」
そう遠い目をしながら懐かしそうにマンサは語り出した。
「マンサさんはヴォルフさんと結婚しないんですか?」
ニマがそう言うと、マンサは思わず吹き出した。
「な、何を、言ってるのかしら。私がなんであの男と結婚しなくちゃいけないの?」
慌てて取り繕うマンサにニマが温い眼差しをおくる。
「だつて、ヴォルフさんの事好きじゃないんですか?」
「いや、まあ、アイツが私と結婚したいのなら、まあ、そうね、土下座して泣いて頼んできたら考えてやっても良いかしら、ね」
思わず吹き出しそうになったニマは笑いそうになるのを堪えて答える。
「マンサさんがいたらこの家も賑やかになると思います。ヴォルフさんも幸せになりそう」
マンサは苦い顔をして溜息を吐いた。
「アイツ鈍いのよ。それに小さい頃は恥ずかしくて言えなかったのよ。大人になったらいつも酒場であんなやり取りばっかりでしょ?アイツの気持ちもわからないし。こっちも考えるだけ無駄だから、もう、なんでこんな事言ってるのかしら」
マンサは恥ずかしそうに答える。このまま本人に言えばもうイチコロだろうに。ニマも苦笑いする。
「で、お嬢さんはいつまでこの家にいるの?」
今度はニマの顔から表情が抜け落ちる。
「な、なんの、ことですか?」
「いや、男の子みたいな格好してるけどあんた女の子でしょ?ヴォルフは小さい子には手を出すことないでしょうけど、さすがにずっと暮らすとなると大変よ?なんで言わなかったの?」
ニマが困った顔をしてどう答えてよいものかと考えている。
「その……実は……ハァ……やっぱり隠すのは難しいですね。これは誰にも言わないで欲しいのですけど……」
こんどは真剣な表情をしたニマが答えた。
「実は私、王国の神殿でなぜか勇者の称号を与えられまして……女の身でありながら勇者として戦う事に両親が反対をしまして、王国から抜け出す計画をしていました。でも途中で魔物と賊に襲われて……ここに保護されたんです。兄は事情を知っていますので、王国に戻るのであれば私はもう勇者としての道を歩むしかないのだと思ってます。たぶん……これも神から定められた運命なんだと思います」
今度はマンサが聞いてはならない事を聞いてしまった事に後悔する。
「いや、……そんな事情があるとは思わなかったよ。悪かったね。聞いちまったからには秘密を守ることを誓うよ。ただ、アンタのことが心配だったんだ」
「心配なのはヴォルフさんの事では?」
ニマが、そう答えるとマンサは顔を赤くした。
「もう、よしとくれ。まあ、なんか困ったことがあるなら力になるよ。その勇者のことは何にも力にはなれないけどね。ここに住んでいる間だけでも助けられるものは助けてあげる」
そう言ってマンサは食事の手伝いをしてくれた。食材はマンサが家から持ってきてくれ、機能していない台所に向かって料理をしてくれた。暖炉がなかったので薪に火をつけ鍋を沸かし、肉と野菜を入れスープをつくってくれた。ニマは嬉しそうにマンサの料理をしている姿を眺める。
「あんたは料理しないの?」
「恥ずかしながら私、料理をしたことが無くて……ただ必要だとは思うので教えていただけませんか?」
マンサはくすりと笑いながら頷く。
「まあ、時々ならこうやって台所の使い方と料理を教えてあげるよ。王国に帰るにもまだまだ時間はあるんだろう?」と優しい顔をして答えてくれた。
「ありがとうございます」
ニマも嬉しそうに答えた。
お昼ご飯は二人で食べて午後は部屋の片付けと夕食の準備をした。
マンサが置いていってくれた野菜と肉、硬いパンのおかげで今日も食事には困らなさそうだ。
夜にはヴォルフが帰ってきた。
「いやあ、すまない。お前のこと忘れて仕事に行っちまった。昼飯は取れなかっただろ?いまから夕飯食べに行くか」
ヴォルフがそう言うと、
「いいえ、マンサさんのおかげでお昼ご飯には困らなかったです。あと、夕食の材料も置いていって作り方も教えてくれました。おかげでこんなに作ることができました」
そう言ってニマはテーブルの上に作った料理を見せた。
「うぉお、すげえ!家で食事するなんて久しぶりだ!」
そう言ってどかどかと椅子に座り、おもむろに食べ始めた。
ニマも合わせて食事を取った。
「あのヴォルフさん、食事中すみませんが、後で肥壺の中身を捨ててもらっても良いですか?わたしには重たくて運べないものですから」
ニマの発言に、そういえばといった顔をしてヴォルフは答えた。
「そういえば捨てに行ってなかったな。今日はもう暗いし、明日の朝一に捨てておくわ。すまねえな」
ガシガシと髪をかきながらヴォルフはスープを飲み干す。
「そういやマンサが手伝ってくれたんだよな。どうして来たんだ?」
「朝に掃除をしようと思って窓を開けたらマンサさんと会いまして、挨拶したら家まで来てくれたんです。それでいろいろ教えてくださいました」
ニッコリとニマが答える。
「そうか、すまんかった。少し寝坊して慌てて仕事に行ったんだ。お前の事忘れてたよ。仕事場で上司に叱られてな。いつもより丁寧に鍛錬させられた。おかげで疲れちまったよ」
そう言って食事を食べ終えたヴォルフはソファに移動し。どすんと横になって大きな体を沈めた。
「汗をかいたのでは?体をふくのであればタライに水を入れましょうか?」
ニマがそう言うと、
「いや、オレはいい。お前が使いたいなら使ってくれ。おれはもう寝る」
そう言ってヴォルフは部屋に行ってしまった。
ニマにとってはあまり話をすると女であることや勇者であることを話さなくてはならないため、彼女にとっては会話が少ない方がありがたい。
少なくとも迎えがくるまでは騙し通せそうだと思った。マンサにはすぐバレてしまったが、ヴォルフであれば黙っていればバレないだろうと思った。
その夜、ニマは初めてあの棒を使った。こんどは息を止めてから蓋を開け、息を止めて用を済ませた。
はっきり言って棒の感触が気持ち悪いものだったがこれもしばらく我慢するしかなかった。
ニマの試練は続く。
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