勉強会

 6時に店舗のシャッターをおろし、美紗は今日も無事に終わった安堵感に包まれていた。薬歴記入はいつも通り残っているが、今日は7時半から病院主催の勉強会なので、残業して薬歴記入することに対して抵抗感はない。

 店長は管理職ということで、残業代はつかないのでダラダラと薬歴記入を終わらせて、勉強会が行われる病院の会議室に向かった。

 月に1回程度行われる病院主催の勉強会には、自分の自己研鑽のためが半分、あとの半分は病院とのお付き合いで参加している。もちろん、自己研鑽ということで何の手当も会社からはでない。

 それでも最新の医療知識を得られるとともに治療方針など処方元の医師の考え方がわかり、患者さんに説明する時に役立つので毎月参加はしている。

 

会議室に入ると、同期でエリアマネージャーやっている川口君も来ていた。手招きしていたので、隣に座ることにした。

「川口君も来ていたの?めずらしい。」

「一応このエリアのマネージャーだしね。たまにはね。ところで、秋山さんの店舗に薬剤師1名いれてもいい?」

「人増やしてくれるの?」

「11月からの中途採用で今本部で研修中だけど、それが終わる来週から店舗配属なんだけど、秋山さんの店でお願いしたいけどいいかな?」

「人が増えるならうれしいけど、こんないい話持ち込んでくるって何かあるの?」

「やっぱり気づいた。その代わりに在宅お願いしたいんだけど。」

「それで、大島病院に来てたんだ。」

 患者さん宅に薬を配達するだけではなく、生活環境も含めた服薬指導を行い、ケアマネージャーなど他の職種との連携を求めらる在宅業務は正直負担だ。

 それでも一人薬剤師が増えるのって嬉しい。どうしようかなと考えてしまう。

「ちなみに、その薬剤師って何年目?」

「まだ2年目。新卒で入った会社を1年半でやめたみたい。」

 短期間で辞めたことは気になったが、今は猫の手も借りたい状況なので、この話を受けることにした。


 翌週の月曜日美紗はいつもより早く店舗についたが、店舗の前に若い男性が一人立っていた。

「おはようございます。今日から配属の松本さん?」

「今日からお世話になります、松本清一です。よろしくお願いします。」

 部活の学生のような元気な挨拶が返ってきた。新卒で入った会社を1年半で辞めてきたということもあり、どんな人かなと少し心配していたがこの元気な挨拶をみると大丈夫そうだ。


 まだ初日ということで松本君には、調剤室での調剤業務を中心にしてもらった。初めてにしては仕事は速いし、調剤ミスも少なく、いい人が来てくれたと思った。

 12時を過ぎて昼のピークが落ち着き始めたころ、松本さんに昼休憩に行くように伝えた。15分後、松本さんがもどってきたので、

「まだ昼休み中だよね。何か用事があった?」

美紗が尋ねてみると、

「昼休憩って、1時間とってもいいんですか?前の職場だと社会人の常識って言われて15分以上とったら怒られていたんで。」

 松本さんは嬉しそうな顔で休憩室に戻っていた。


 その日も無事に6時に閉店したところで、

「松本さん、お疲れ様。私たちは薬歴があるから先に帰っていいよ。30分もかからないから気にしないで。」

「えっもう帰っていいんですか?」

「前の職場どうだったの?」

「薬歴など自分の作業終わっても全員終わる前帰れなかったので、だいたい8時過ぎまで残っていましたね。」

「それって、残業代すごいことにならない?」

「みなし残業代があるからって、残業代でないことになっていました。」

 この業界は個人店や中小企業が多いため、労働基準法を守る意識の低いブラックな会社が多いが、松本さんの前の会社はそうとうブラックだったみたいだ。1年半でやめた理由は聞かなくてもわかった。


 土曜日の午前中の仕事を終えて、翔ちゃんの家で手作りのバナナケーキと紅茶でアフタヌーンティーを楽しんでいる。

「今週も疲れたね。」

「松本さん来てくれて、楽になりましたね。3人いるとだいぶん違いますね。」

「それにしても、松本さんの前の会社かなりブラックだね。」

「休みも日曜、祝日以外ほとんどなかったみたいですしね。7時に家について、ニュースセブン観れたって喜んでましたね。」

「それで残業代固定って可愛そうだね。それで文句を言ったら、お金にこだわるのは、医療人として恥ずかしいってあんまりだよね。」

 薬剤師といえども労働者。それもあまり高給取りではないのに、業界として賃金について言及できる雰囲気ではない。


 そんなことを話しながら、翔ちゃんを見ている。メイクを教えてから一ヶ月ちょっとで、だいぶん上手くなってきた。

以前はギリギリ女の子に見えるレベルだったが、最近は普通の女の子として見える程度にはなってきた。

「美紗、私の顔ずっと見てない?」

「最近かわいくなったなと思って。毎日メイクの練習してるの?」

「仕事で疲れ果てない限り、毎日練習はしていますね。毎日鏡で自分の顔見てるときれいになれるって本当ですね。そういえば、来週の松本さんの歓迎会、清田さんからスカート履いてきてってお願いされたけど、どうしましょうか?」

「松本さんもいるけど、女の子で出勤する時もあるしカミングアウトもかねて、スカートでいいんじゃない。」

 翔ちゃんをみて、松本さんがどんな反応するのか楽しみになった。


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