帰宅

 翌朝、仕事のある美紗は翔ちゃんよりも先に起きて身支度を始めた。美紗も寝不足でもう少し寝ていたかったが、仕事があるので仕方ない。

 昨晩は一緒にベッドに入った後、触ってみたり、胸を押し当ててみたりして、翔ちゃんをその気にさせようとしたが、上手くいかなかった。そんなことをしていたので、寝る時間が遅くなってしまった。


 着替え終わった後、食パンとコーヒーの簡単な朝食をとっていると、翔ちゃんが起きてきた。

「おはようございます。寝坊してすみません。」

「食パンはまだあるから、自分で焼いて食べて。あとこれ合鍵。仕事行ってくるから、翔ちゃんはゆっくりしていって。」


 その日は、翔ちゃんが休みの代わりにエリアマネージャーがシフトに入っていたので、いつまでたっても人員補充してくれない恨みもあって、仕事をいっぱい押し付けてみた。

「秋山、人使いあら過ぎ。そんなことだから、三十過ぎても独身なんだぞ。」

 マネージャーが帰り際、捨て台詞を残して帰って行った。セクハラそのもののセリフだが、大学の同期ということもありお互い遠慮が無い。美紗も言い返す。

「高卒の事務さんに手出して、できちゃた結婚するよりは、マシだと思うけど。」

 以前も同じようなことを言われたが、翔ちゃんがいるので冗談として受け止められるぐらいの心の余裕ができてきた。


 あと半日4時間働けば今週が終わる、そんな終わりの見えた喜びを感じて部屋のドアを開けた時、部屋の電気が点いていることに気づいた。翔ちゃんが消し忘れて帰ったのかなと思っていたら、

「お疲れ様です。夕ご飯できていますけど、すぐに食べます?」

 昨日あげたチェック柄のスカートと黒のニットを着て、女の子になっていた翔ちゃんが部屋にいた。

「ウィッグとか、いったん家にとりに帰ったの?」

「それでついでに夕飯の買い物もしてきたから、作っておきました。」

 誰かがいる部屋に帰ってご飯もできている。実家にいたころは当たり前だったが、

大学入学と同時に一人暮らしを始めて、10年以上誰もいない部屋に帰るのをつづけていたのでそんな当たり前の喜びを忘れていた。


 翔ちゃんの作ってくれたビーフシチューとジャーマンポテトを頂く。平日の夜、仕事で疲れた体でご飯を作らなくてよくて、しかもこんなにおいしいものを頂けることに幸せを感じる。

「やっぱり翔ちゃんって女の子になりたかったの?女の子だったら、モテそうね。」

「バリバリ仕事って言うよりは、家の事やってる方が好きですね。女性だったら専業主婦って道もあると思いますけど、男だとなかなか難しいので、そういう意味では女の子にはなりたいですね。」

 可愛い服を着て、専業主婦でいい家庭をもちたい。女性だったら何も言われない生き方も、男に生まれたがゆえにできずにいる翔ちゃんを少し可哀そうに感じてきた。


 ご飯を食べ終わり、一緒にかたづけるためにキッチンにお皿を運ぶ。キッチンがいつもと違う。光輝いている。

「翔ちゃんが、キッチン掃除にしてくれたの?新品みたいにキレイ。」

「料理作るなら、きれいなキッチンで作りたいので、重曹とクエン酸で掃除しておきました。」

「翔ちゃん、きれい好きだよね。薬局も掃除をまめにしてくれるし、助かってる。」

「掃除っていいですよね。成果が目に見えるというか。薬剤師の仕事って目に見えないことが多いので、掃除すると気持ちがいいです。」

 たしかに、薬剤師の仕事は目に見えにくい。薬の取り揃えも間違えないのが当たり前だが、似た名前の薬、中身の量、カプセルや錠剤といった剤形など間違えが起こりやすい中で正確に集めるのは技術と知識がいる。

 薬剤師の仕事は通常、患者さんに正しく薬を渡して、薬の説明をして、副作用が出ていないかをチェックして、それを記録するために薬歴に記入する。終わった後に何かが残るわけではないので、成果を目にすることはない。

 掃除だとはっきりとここがキレイになったとわかるので、翔ちゃんの気持ちもわからないではない。


 片付けが終わった後、何気なしにテレビを見ながら一緒にコーヒーを飲んでいると、

「そろそろ帰りますね。明日も仕事だし。」

「今日も泊っていきなよ。」

「家に戻って、女の子の格好でこっちに来たから着替えがないんですよ。」

 翔ちゃんが言った女の子という言葉で、美紗はある考えが浮かんだ。浮かぶと同時に行動に移す。横に座っていた翔ちゃんの肩に手をあて、押し倒して唇を奪ってみた。

 男だから抵抗できたはずなのに、あっさり押し倒された。やっぱり女の子モードの翔ちゃんは、こちらから行くのを待っていたようだ。


 夜中トイレに行くため、美紗はベッドから起きた。横では翔ちゃんが寝ている。あんなに渋っていたのがウソみたいに、美紗を受け入れてくれて嬉しかった。

 トイレから戻り、横にねている翔ちゃんの頭を撫でてみる。昔付き合っていた人から同じことをやられて嬉しかったことを思い出す。あのとき実は起きていたが、撫でられるのが嬉しくて、寝たふりをしていた。翔ちゃんもひょっとして起きているかなと思ったが、確かめるのは無粋というものだろう。


 翌朝早くに起きた翔ちゃんは、

「着替えるために一旦家に帰りますね。」

「いいよ。服なら貸してあげるから、一緒に仕事に行こう。向こうでメイク落として白衣に着替えればいいから。」

 太陽薬局の制服は、白衣の上下なのでスカートで出勤しても着替えれば大丈夫だろう。早めに行けば清田さんは来ていないし、帰りはいつも清田さんの方が早いので問題ないだろう。


 提案に同意したみたいで、翔ちゃんはまたベッドに寝転がった。これでもう少し翔ちゃんと一緒に入れるようになった。




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