ニジマス人間

春雷

ニジマス人間

 ニジマス人間は電気を食べる。

「オイシー」

 これは彼が唯一喋れる日本語だ。

 ニジマス人間は隙があればすぐにコンセントから電気を摂取する。

「オイシー、オイシー」

「おい、食べすぎるなよ」僕はいつも注意する。

「オイシー」

「まあ、いいけどよ」

 ニジマス人間と出会ったのは、2年前だ。場所はとある高速のサービスエリア。当時、僕は一人旅をしていた。大した旅ではない。僕の住んでいる周囲の地域ををバイクであちこち周る程度だ。その帰り、僕はサービスエリアで休憩していたのだ。用を足し、トイレから出ると、小学生の笑い声がした。嫌な笑い声だった。嗜虐的な笑い声。その笑い声がする方向へ行ってみると、ニジマス人間が虐められていたのだ。彼は小学生に殴られたり、蹴られたりしていた。

「やめろよ、やめろよ!」

 僕は5人の小学生の輪に割って入り、ニジマス人間を助け出した。その時彼は僕に「オイシー」とだけ言った。それしか話せないのだ。礼を言えなくても仕方がない。

 僕はニジマス人間を連れて帰ることにした。彼には行き場がないのだ。

「オイシー」

 それから僕は彼と一緒に暮らしている。僕は彼が好きだ。


 それから、2年が経った。

 ニジマス人間は、なかなか物覚えが悪く、まだ僕のことを敵と認識している節があって、僕が眠っている時に攻撃をしかけてくることがある。

「ぐあ」

 一度お腹に穴が開いて、入院したこともある。入院したことで僕は会社をクビになった。その時の傷はまだ残っている。

 それでも僕は彼が好きだ。

「オイシ―」

 

 僕は幼少期、友達がいなかった。何故だろう。周囲に馴染むことができなかったのだ。僕の弟は僕とは対照的で、何でもスマートにこなせたし、人望も厚かった。僕はそんな彼が羨ましかった。賢くて、スポーツもできて、見た目もさわやかで、みんなに人気があって、面白くて、すごくて、僕なんかとは全然比べ物にならない。両親はこんな僕をすぐに見捨ててしまっていて、弟に期待をしていた。

 そんなことを思い出していたのは、なかなか寝付けなかったからだ。仕方がないので、僕は横で寝ているニジマス人間に話しかけた。外では飲んだくれの声が反響している。

「ニジマス人間、僕はさ、みんなとは違うらしいんだ。もちろん悪い意味で。愚鈍でさ、馬鹿でさ、何の才能もない、使えない人間なんだ。ねえ、君は辛くなることはない?」

「オイシ―」

「……そうか」

 

 春。僕はこの季節が嫌いだ。何もかも新しくなって、古いものをすべて払いのけるような、そんな季節。どこまで行っても変われない僕にとっては、自分自身を否定されているようで腹が立つ。嫌いだ。春だけじゃない。あらゆるものが嫌いだ。

 今日は朝から頭痛が酷い。痛みで何も考えられない。くらくらする。仕事に行かなきゃいけないのに。

 やってもやっても終わらない仕事。時給は全然上がらないし、僕はいつまで経っても社員になれないし、サービス残業は増える一方だ。もうやってられない。でもこの仕事にしがみついているしかない。それがどんなに酷い環境であっても。僕にはもう後がないのだ。こんな僕を雇ってくれる会社なんて、もうないだろう。いい歳だし。

 同級生はみな出世している。誰かが結婚したという噂もよく聞く。僕だけが一人取り残されている。どうしてだろう。どうしてうまくいかないのだろう。

 僕は駅のホームで、大勢の人と一緒に電車を待っていた。みなポーカーフェイスだ。僕は線路を眺める。

 いっそ飛び降りてしまおうか。

 そんな考えが頭に浮かぶ。

 ゆらり、一歩踏み出した。

 ああ、ここを飛び降りればこんな苦しい思いも……


「オイシ―」


 プシュー。

 ドアが開き、人が行ったり来たりする。僕は立ちすくんでいる。まるで映画のワンシーン。

 彼の声が聞こえた気がした。気のせいかもしれない。いや、気のせいだ。でもその声が、僕を救ってくれたのだ。

 僕は電車に乗り込んだ。


 これは後で知った話だ。

 弟は事故で亡くなった。落雷による事故だ。公園で恋人とピクニックをしていた時に、雷が直撃したのだと言う。この事故は新聞などでそれなりに大きく取り上げられたので、僕はそこで弟の死を知ることになった。両親は僕にこのことを伝えなかった。

 弟の墓参りをするため、僕は父に勘当されて以来、一度も立ち寄ったことのない実家に行った。

 父と母は僕に冷たかった。ほとんど会話はなく、僕は彼らに睨まれ続けた。

「どうしてこいつが生き残ってしまったのだ」

 きっと父と母はそう思ったことだろう。


 仕事が終わったのは夜中の2時だった。

 僕は歩いて家に帰った。頭痛は薬を飲んでも治らなかった。何もかもがもうよくわからなかった。死にたいという気持ちを抱えながら、それでも歩いていたのは、家には僕の帰りを待っているニジマス人間がいるからだ。帰り道、色んな酔っ払いを見た。この世には実に様々な酔っぱらいがいるものだ。彼らを見るのが嫌で、僕は空を見上げた。空には月がかかっていた。月明りは妖艶で、見ているだけで狂ってしまいそうだった。

「ただいま」

 帰ったのは4時だった。

「おーい、どこいるんだ?」僕は部屋の明かりを点け、ニジマス人間を呼んだ。

 返事がない。眠っているのだろうか。そりゃそうか。

 冷蔵庫から缶ビールを取り出した。開けると、プシュという小気味よい音が響いた。一気に飲み干す。喉を伝う冷たい炭酸が心地よい刺激を僕に与える。

「もう眠るか」

 僕はベッドに倒れ込んだ。ベッドにニジマス人間はいなかった。どこへ行ったのだろう。


 翌朝。僕は8度目のアラームで飛び起きた。携帯のアラームを止め、時間を見る。危ない。遅刻ではない。余裕を持って何個もアラームをセットしておいてよかった。身体を起こす。そしてそのまま携帯でニュース記事を読む。昨日はニュースを見る暇もなかった。どんなニュースがあったのかなあ。そんな風に呑気に画面を見つめていた。するとある記事が僕の眼に飛び込んできた。僕は驚きで思わず携帯を投げた。その記事にはこうあった。

「○○ビル、突然崩壊。落雷が原因か」

 そう、僕の働いている会社のビルが崩壊していたのだ。

 そのビルは突然崩壊したと言う。早朝に崩壊したらしい。原因はまだわかっていないが、その記事にはたまたまビルの近くを走っていた人の証言が載っていた。「頭部が魚の人がビルを殴っていました」。その後大きな雷が落ち、ビルが崩壊したと言う。しかしその話は荒唐無稽に過ぎ、記事では見間違いだと結論付けられていた。オカルト系の記事ではこのことを大きく取り上げ、盛り上がっていたが、結局はフィクション的なものとして捉えられていた。

「恩返しのつもりか?」

 ニジマス人間はまだ帰ってこない。どこかで電気でも食べているのだろう。

 再び頭が痛んだ。

 それでも僕は彼が好きだ。

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ニジマス人間 春雷 @syunrai3333

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