41話 一蓮托生②
「母さん、サキ姉……」
少しやつれ気味の二人の顔を見るともやもやと自分でも訳の分からない感情が頭を掻きまわした。ここ数日、
『彪香は私の娘だ。今まで保護してくれたことは感謝するが、これから彪香は私のために社交の場に出て貰う。君たちには二度と娘と接触させることはない。謝礼は相応の額払う。別れを惜しむ時間も与えよう、一週間後の今日迎えをよこす』
突然現れてこちらの反論を聞きもせずに去っていった成金趣味な男。少し調べるといくつかの上場企業を経営する本物の富豪で、文字通り済む世界の違う存在だった。アレが彪香の父だとはとても思えなかったが、そいつが後日寄越した秘書風の男が持ってきた書類は戸籍だのDNA鑑定結果だの、笛吹彪香が確かにその男の実の父親である証拠だった。母さんとサキ姉は持てる力と権利をもって全力で笛吹彪香の保護権を主張した。
だが結局は実の父親を超えるほどの保護理由が出せず、彪香の引き渡しが決まってしまった。日取りは、明日だ。
彪香のことは二人にだって、誰にだってどうしようも出来なかったことなのは分かっている。本当に何もできなかった俺が外から二人を非難することはお門違いも甚だしい。俺たちは確かに全員が彼女を大切に思っていたし、同じ家の成員として接していたが、『本物の家族』が現れてしまえば、その関係は酷く脆かった。ただそれだけのことなのだから。
「言わなくても何となく分かるわよ、一応言っておくけど止めたりはしないわよ」
「うん。急でごめん……あと、重ねてごめんなんだけど母さん。ちょっとお金貸してもらってもいい? 念のため」
「もう、必要だと思ってもう居れてあるわよ。ほら……事故には気を付けてね」
「なんでもお見通しか……二人とも本当に、いつもありがとう」
母さんから財布やらが入ったショルダーポーチを受け取り、まるで今生の別れのような挨拶をした。正直、今から自分が行きつく先は分からない。今ならば彪香の為なら衝動に任せて何でもしてしまいそうな恐ろしさを自分から感じていた。
面と向かってこうやってお礼を言ったのはいつ以来だろうか。小学生か、もしかしたら保育園のころまで遡るかもしれない。家族だから、きっと伝わっているだろうという根拠のない自信を盾にして、恥ずかしさを言い訳にして、感謝の言葉を直接伝えることをおろそかにしてしまっていたことを今更ながらに後悔していた。
「——私たちこそ、本当に結城にいつも助けられてた。きっと貴方が思っている以上に。でもやっぱり彪香の為に何かしているときの貴方が一番素敵よ。だから、そうね、やっぱり必ず帰ってきなさい。別に一生の別れじゃないんだから。いつになったって良い。いつかまた全員で一緒にご飯を食べるの。分かった?」
「お母さんたちは昨日彪香ちゃんとたくさんお話できたから、今日は水を差さない。結城に譲るわ。彪香ちゃんは私の一番の親友なんだから、ちゃんと無事にエスコートすること。いつまでもそんな辛気臭い顔してちゃダメよ。思い出は楽しい方がいいんだから、笑って!」
「うん……そうだね」
二人からの言葉は本当に温かくて、思わず溢れ出そうになる涙をこらえるのに必死だった。二人の言う通りだ。これが一生の別れというわけではない。今まで彪香と過ごしてきたこの日々を嫌な思い出で終わらせたくはない。最後の最後の、本当に最後の瞬間までいつも通りで居よう。二人のおかげで決意を固めることが出来た。——そして彼女にどうしても伝えたいことも決まった。
「じゃあ、行ってきます」
バイクのキーを手に取り、いつものヘルメットは手に持った。そして普段は玄関に掛けてあったじいちゃんのヘルメットを被り、二人に挨拶をする。とはいっても彪香に変な気を遣わせないように二人はもうリビングへ戻っていた。
玄関を開けると、バイクに跨って足をブラブラと揺らす彪香がこちらを向いた。俺の姿を見てパッと微笑む彼女を見て、また胸に苦しさが襲ってくるが、今はそれに気づかないふりをして精一杯の笑顔を返した。
「わっ……」
「じゃあ、行くか。ちゃんと掴まっててな」
「えへへ、うん。離さないよ」
彪香の小さな頭にポンとヘルメットを被せる。生命力に溢れた酔芙蓉はこれくらいでは何ともないのを知っているからできることだ。
いつも通りバイクに乗る。毎朝のように繰り返してきたルーティンワーク、しかし今日はいつもとは全く状況も心境も違う。今自分たちにできる精一杯の現実逃避が実行に移された。七月四日、二十二時三十四分、天候は晴れ。微風が心地よく肌を撫でる。
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