40話 一蓮托生①
「
「ねぇ、結城くん。私が来た日に、ここで言ったこと覚えてる?」
夜の散歩に出た帰りの玄関前、彪香は俺のバイクを撫でながら聞いてきた。逆光でその表情までは伺えないが、声色からなんとなく悲しそうな顔をしているのは分かった。彼女がこの家に来てからもう一年以上経つのだからそれくらいは分かる。
この一年間で彼女はなんだか大人っぽくなった。俺も、自分では何が変わったのかは分からないが、周りから「大人になった」と言われることが増えた。それもこれも、あの日彪香を助け、うちに迎え入れるという決断をした結果だというのは疑いようもない事実だ。だから当然その日のことは何度も思い出すし、鮮明に覚えている。ここで言ったのは——『次、私が家出したくなったらこのバイク乗せてよ。二人乗りでさ、海とか行こう?』だ。忘れるわけがない。臆病な俺はいつだってその日が来るんじゃないかと怯えていたのだ。そしてそれは今現実となって目の前に横たわっている。
「……当然」
「さすが、じゃあ私が言いたいことも分かっちゃうかな」
彪香は冗談交じりな口調でそう言った。分かるに決まっている。だって俺も同じことを考えていたのだから。とにかく今はどこか遠くで現実から逃げたい。
「……海、海か~鎌倉とかか?」
「んー、なるべく遠くにって思ったけど……でもそっか、明日も普通に学校あるんだよね」
他人事のようにそう言った彼女の言葉に上手く返事が出来なった。明日の話はまだしたくなかった。明日が、彪香と俺たち家族が一緒に過ごす最後の日だ。
「とりあえず出発して考えるのもアリだけど」
「いいじゃん。そうしよ」
バイクの雨よけカバーを外し、いつも通りの連続動作で出発準備を整える。今回は自分一人ではないから念入りに点検をした。後ろからいちいち「おー」とか「へー」とか言われるのは、かなりやりにくさがあったが嫌な気はしなかった。
一応二人乗りもできるバイクであることがバレてから、何度か乗せてくれとせがまれたが頑なにそれは拒否していた。当然事故を起こしたら……という不安がその理由の大部分を占めていたが、もう一つの密かな理由は「彪香を後ろに乗せるのはプロポーズをしてから」という考えがあったからだ。半分は冗談だったが、それくらい他人の命を背負う行為として慎重になっていたのだ。だが、今はその信念を無視してでも彪香の願いを叶えてやりたかった。それが何もできない子どもの俺が彼女に示せる精一杯の誠意だった。
「ほら、試しに跨ってみ。手支えてるから」
「え、いいの? よいっしょ、おお……これがバイクの座り心地かぁ、微妙だ」
「ふはは、数時間後貴様の尻は未知の痛みに襲われていると予言しよう」
「何それセクハラ?」
彼女はバイクのカバーを外したところからずっと子どものように目を輝かせて楽しそうにしている。それだけ乗りたかったのだろう。この一年でこの笑顔を何度も見てきたが、その度に愛おしさが増している。ちょっと前にそのことを蝶野と天道に言ったら呆れられながら『重い』と言われたのを思い出す。その時は大げさな、と思っていたが今は確かにそれが重苦しさに直結していた。
「ちょっと待ってて、ヘルメットとか色々取ってくる。絶対何もいじらないように」
「分かってるって、信用ないなぁ」
耐えきれない苦しさを誤魔化すように玄関の扉を開けて家の中に入った。もちろんちゃんと目的があるのも本当だが、呼吸を整える時間が必要なのもまた間違いなかった。玄関の扉に寄り掛かり目を閉じて一度大きく深呼吸をする。——ほんの少しの気休めだがしないよりはマシだ。目を開くと、ちょうどリビングから椅子を引く音と二人の足音が聞こえてきた。
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