14話 朝花の露①

 外はすがすがしい朝だ。小鳥は歌い、花々は咲き乱れる。こんな素晴らしい日こそ、私みたいな愚か者は——布団に顔を埋めて猛省するに限る。


「う〜! 何が『おやすみの挨拶♡』! 昨日の私ほんと浮かれすぎ! も〜!う〜!!」


 早朝、なにかの物音で目を覚ました。急拵えのこの部屋には時計がなく、具体的な時間は分からないが外から漂う空気が早朝だった。初めは眠気に誘われるままに二度寝しようとしたが、昨日の失態が脳裏を過ぎると昨夜一度は収まったはずの激しい自己嫌悪と羞恥心が再び湧き上がり、寝るに寝れない状態になってしまった。とりあえず一通り悶絶して発散すると腹の虫が鳴いた。

 ——お腹空いた……でも万が一下で結城くんと鉢合わせたら気まずい……でもお腹空いた……というか朝食をねだるのがなんか申し訳ないというか、大丈夫かな。

 そもそもの問題として、私自身が微妙な立場にいることを思い出す。結城くんには面と向かって家にいることを許された(?)が、他の人が本当はどう思っているのかを聞いていない。先生はそもそも誘ってくれた人だし、昨日帰ってきた時も家族の一員として接してくれていた。——では、お母さんは?


「結城くん曰くいい子って言ってくれてたらしいし、確かに沢山話しかけてくれたけど、昨日の私に気に入られる要素あったかな……? お粥食べて笑ってた記憶しかないけど」


 そんな自問自答を繰り返していると突然部屋のドアをノックする音がした。続いて先生の声がする。


彪香ひょうか〜、起きてるなら朝ごはん一緒に食べましょ」

「え、あっ、はーい」


 起きてるのがバレたということは声が漏れていたのだろうか。いや、そんなに大声を出していた訳では無いし、内容までは聞かれていないだろう、本当に?……そんな不安を胸にしまい込んで、誘われるまま部屋を出ると既に出掛ける準備が整った先生が出迎えてくれる。


「おはよう。あんまり眠れなかった? 熱は……ないわね。頭痛は?」

「え、えっと、昨日よりは痛く無いです……あの、聞こえてました?」

「ん~?」


 ——良かった、聞こえていなかったみたいだ。一先ずホッと胸をなでおろした。

 安心したそのとき、先生が「ところで」と言ってニヤニヤとした笑顔を浮かべた。

 

「おやすみの挨拶ってやつ……今夜私にもやって欲しいな~」

「〜〜〜〜ッ!!」


 あまりの恥ずかしさに声にならない声を上げてしまう。多分顔は耳まで真っ赤だ。

 先生はそんな私を見て心底楽しそうに笑っている。


「ごめんなさいね、言ってなかったけどちょっと壁薄いのよここ。凄い悶えてる声が下まで聞こえてたからつい……ふふふっ、ほらほら冷めないうちに朝ごはん食べましょ」

「はい……もう最悪……」


 楽しそうな先生とこの世の終わりのような顔をした私の2人で並んで階段を降りる。

 リビングに入るとトーストとバターのいい香りが漂ってきた。さっきまでの最悪な気分も忘れて思わずうっとりと頬が綻んでしまう。テーブルの上にはトースト、サラダにスープ、それにスクランブルエッグが3人分並べられていた。漫画で見るような理想の朝食だ。さらにキッチンに入っていた先生が長細いガラスのコップに牛乳を注いで持ってきてくれた。何でもやって貰いっぱなしで申し訳なさが沸きあがるが、今はそれ以上に目の前の光景に心を奪われていた。

 昨日と同じ席に座る。間近でよく見るとスクランブルエッグには細かく切ったハムが入っていた。嬉しいサプライズに自然と口角が上がってしまう。

 

「……あれ、お母さんと結城くんは?」

「叔母さまは九時か十時くらいに起きてくると思うわ。仕事は夕方からだから無理に起こさなくて大丈夫よ」

「わかりました……ちなみに仕事って?」

「スナックのママ。それっぽいでしょ」

「あ~、っぽいかも」


 あの明るさとおしゃべりでしかも聞き上手だった。見た目も凄く若々しいし、凄く雰囲気どおりな感じだ。さっき浮かんだ小さな不安が一端は引っ込む。あくまで先延ばしになっただけだしきっと大丈夫だとは思うが。


「で、結城はもうとっくに出たわよ、新聞配達」


 それを聞いてやっと思い至ったが、自分が目を覚ましたのは玄関が閉まる音だったのだ。あの時結城くんが家を出ていたのか。時計を見ると今の時刻は六時半を一指している。体感だが玄関の音は一時間以上前に鳴っていたから、五頃にはもう家を出ていたことになる。


「……なに『やっちゃった〜』って顔してるの?」

「いえ、まさかそんなに早いと思わなかったので、しかも先生も併せて早起きしてたんですよね。ほんと二人とも夜遅くまで起こしちゃって申し訳なかったな……と」


 自分の身勝手な行動で沢山迷惑をかけてしまっていた事を再認識して自責の念に苛まれていることを伝えると、先生は牛乳のコップを傾けながらイヤイヤと手を振った。それは「気にしないで」というニュアンスだろうか。


「まぁ話は後にして食べましょ」

「ああ、そうですね。ごめんなさい」

 「「いただきます」」

 

 とは言ってもこんなに品数のある朝食は本当に久しぶりで何から手をつけたものか悩んでしまう。行き場の定まらない手をゆらゆらさせながら先生の方をちらりと伺うと、先生はトーストをひと口頬張りながら私にも「どうぞ」と手で促してくる。

 先生と同じようにトーストにバターを広げて——こんなにバター乗せていいの?——ひと口。


「ん〜ッ! なにこれおいひぃ〜〜〜」

「昨日から思ってたけど、彪香ってほんとにその……美味しそうに食べるわね」

「え……だってほんとに美味しいので」


 美味しいものは美味しいのだから当たり前だろう。先生はそんな私の主張を聞いて「まぁそうなんだけどさ」と呆れたような、というよりは微笑ましいといったように笑った。


「あら、このスクランブルエッグ美味しいわ。また腕上げたわね、結城のやつ」

「えっ、これ結城くんが作ったんですか?」

「そ。私がやるからたまにはゆっくりしろって言ったんだけど『俺の目が黒いうちはサキ姉に料理はさせない』とか『1人分も4人分も変わらない』って聞きゃしない……私は温め直しただけよ」


 てっきり先生が作ったのだと思いこんでいた。むしろ料理が得意ではないらしい。あんまりな言いように苦笑をもらすと、先生は「まぁ確かに私にはこんなの作れないんだけどさ」とキッパリ否定してサラダの真ん中に陣取っていたミニトマトを口に放り込む。その口ぶりからは諦めというか、達観したものを感じる。

 改めて食卓を見渡す。早朝、学校へ行く前にアルバイトをしているだけでも私には信じられない事だったのに、さらに料理まで。それも一朝一夕のクオリティではない。聞けば他にもいくつかの家事は結城くんがやっているという。何が彼をそうさせているのだろうと少し気になったが、今は食事に集中することにした。

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