13話 明日に咲く花はどっちだ
「ねぇ、このバイクって結城くんの?」
「え、ああ、そうだけど」
家の前についたとき、唐突に笛吹がそう聞いてきた。その返事を聞いた彼女は「ふーん」とだけ言って玄関前の階段を跳ねるように上った。玄関先の人感センサー付きのライトがオレンジに彼女を照らす。彼女の花は相変わらず萎れているが、今の方が凛として美しく見えた。
「次、私が家出したくなったらこのバイク乗せてよ。二人乗りでさ、海とか行こう?」
「縁起でもないことを……。二人乗りは危ないからダメです。というか、もう遅いから静かにね」
「ケチ……はーい、お家ルールだね」
「常識だよ」
笛吹を追って家を出たときには想像も出来ないほど二人のやりとりは軽妙で遠慮が無くなっている。まるで、何年も一緒に育ってきた兄妹のようだ。本当の”幸せな家族”になることが出来るかは分からないが、少なくとも今までにない鮮やかに色づいた日々が待っている。そんな期待を持ちながら玄関の扉を開けた。
「「ただいま」」
二人揃って小さな声で帰宅を告げる。手探りで暗い廊下の電気をつける。
「おかえりなさい」
「あ」
そこには怖いほどいい笑顔のサキ姉が腕を組んで堂々たる仁王立ちをしていた。一気に血の気が引く感覚がする。間違いなく怒られる、そう思ったがサキ姉は特に声を荒げることもなく、拳骨を飛ばすでもなく笛吹と俺の頭にそれぞれ両手をぽんっと乗せた。
——そうか、きっとサキ姉は笛吹の葛藤に気づいていて、俺が無事に連れ戻すことを待っていたんだ。だからこうやって頭をなで……
「あいだたたたた! 痛い! アイアンクローだこれっ!」
「何言ってるんだ、私は無事に二人が帰ってきてくれて心の底から安堵してるんだ。そんなヒドイことする訳ないだろ? なぁ彪香」
「あ、あの私の方も若干絞まって……一応病にnいたたたたた!」
数秒後「悲鳴が煩くて叔母さまが起きたらどうすんの」という理不尽な叱咤と共に夜間無断外出の折檻は終わった。正直俺の方は何かされるかとは思っていたが、まさか笛吹にもするとは意外だった。手加減はしている雰囲気だったが大丈夫だったかと笛吹の方を見やると「叱られちゃった……ふふ」と若干喜んでいた。『家族らしさ』へのこだわりというか、執念の凄まじさに何とも言えない気持ちになるが、確かにサキ姉が笛吹を家族として平等に扱ってくれることが俺にとっても嬉しかった。
「さ、さっさと寝る準備しな。結城は明日もバイトと学校でしょ」
「ハイ、すぐ寝ます」
まだ痛みが残るこめかみを抑えながら素直に返事をすると、サキ姉は満足そうに頷く。そして笛吹の方に向き直り、今度は本当に優しく頭を撫でながら養護教諭として忠告混じりに告げる。
「彪香は寝られるだけ寝ること、寝付けなかったら横になって目瞑ってるだけでいいからね。——ふぁあ……はいじゃあ私は先に寝るから。おやすみなさい」
「は、はい! おやすみなさい……あと、ごめんなさい」
「ん、もう勝手に出ていかないでね」
サキ姉はそう言うとあくびをしながら階段を登って行った。もしかしなくても俺たちの帰りをずっと起きて待っていたのだろう。今日も一日働いて明日朝早いのは自分も同じだろうに。明日改めてお礼とお詫びが必要だ。
「俺はシャワー浴びなきゃな」
面倒だがさすがに笛吹も居るなかでサボるわけにもいかない。風呂場の方へ向かおうとしたとき背後から「結城くん」と呼びかけられた。多分おやすみの挨拶だろう。クラスメイトに言われると考えるとむずかゆくなるが、これから毎日のように言う事になるのだ。変に意識することはない。
振り向きながら「ああ、おやす」くらいまで言ったところで体に何かが衝突した。いったい何が? と思ったが風に乗ってあとから届く酔芙蓉の香り、視界の大半を埋め尽くす白く美しい髪に柔らかい感触。笛吹が俺に抱き着いていた。
「あの、笛吹彪香さん……これは、いったい」
驚きすぎて逆に冷静になっている自分がいる。聞かれた笛吹はさも当然のことのような調子答える。その声は若干の眠気を含んでいるように感じた。
「んー? 姉弟ってこうやっておやすみの挨拶するって、昔漫画で呼んだから実践中……そっか、結城くんも姉弟は居なかったものね。ほら、こうやって背中に手回して、トントンってするの、分かった? やっぱりこういうのはまずは形からよね」
「……ナルホド、ワカッタ」
嫌というほど分かった。まずはこの天然世間知らずに正しい家族像を教育する必要があることが分かった。これが毎日続くなんていくらなんでも不健全が過ぎるし、なによりも心臓が持たない。今すでに誤作動で視界から色が消えかけるくらい鼓動が制御できていない。
でも、今日くらいはいいかという気がしている。もう色々と疲れた。そして何よりも疲れた体に笛吹のぬくもりが沁みてしまって抵抗出来ないでいる。自分でも自分が今大いに混乱しているのがわかる。
とにかく正攻法で早く終わらせようと、ぎこちない動きで笛吹のすぐ折れてしまいそうな背中を慎重に二回トントンと叩く。すると笛吹は満足そうな笑顔で腕からするりと抜けて「じゃあ、おやすみ」と言って足早に階段を登って行ってしまった。一人取り残された俺はじわじわと今の出来事が現実味を帯びてきて顔が紅潮していくのを感じて思わず廊下にうずくまった。
「家族、家族……笛吹にとって俺はただの家族。恋人じゃないぞ、勘違いするな、俺……」
*
自分用にと用意してもらった二階突き当りの部屋のドアを開け、素早く部屋に滑りこむ。それと同時に足の力が抜けて床にへたり込んでしまった。頭の中では浮かれ切っていたさっきまでの自分を戒める。自分でも頬が赤く染まっていることが分かる。
「なんで急にハグなんてしちゃったんだ……男の子と手も繋いだことないのに……! え、浮かれすぎじゃない? え、ていうか男の子ってあんなにゴツゴツしてるんだ……うわー、うわー!」
私のことを理解してくれて、自分の醜い心すらも承認して家族として受け入れてくれたことで、結城くんに心を許しすぎてしまった結果、昔漫画で読んで憧れていた仲良しな姉妹の挨拶を実行するという狂行に及んでしまった。
「付き合ってもない男の子に自分からハグとか……ド変態じゃん、私! あ~絶対引かれた、明日どんな顔して会えば……」
夜の帳が下りきった、草木も眠る丑三つ時。それぞれの夜は静かに明けるのを待っていた。
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