10話 落花情あれども流水意なし②

「花、大丈夫?」

「ああ、これ? んー、花自体はほとんど感覚ないから別に。こんな状態になったのは初めてだけど、全然大丈夫。付け根のところが少しじんじんして痛いくらいかな。の割にグロいよね」

「ははっ、ちょっとな。というか、痛いんじゃん。今日の今日なんだからちゃんと休みなよ」

「それはそうなんだけど……あんまり夢見がよくなくて」


 相当嫌な夢でも見たのか、笛吹は今までで一番トーンの下がった声を出した。そういえば保健室でも母親を想って泣いていた。

 身内を失う辛さは痛いほど分かる。自分の場合は祖父母と父さんだ。あの頃は毎日のように居なくなった人たちが夢の中に現れた。夢の良し悪しに関わらず、目が覚めると空しい現実が待っているのが何よりも辛かった。共感覚の症状が一番酷かったのも確かあの時だった。嫌な夢は嫌な現実と繋がっている。

 笛吹も母親が夢に出てくるのだろう。それでも体を休めるべきだというのは分かるが、なまじ辛さが分かるだけに、強く言えなくなってしまう。

 笛吹も自主的に話す気はあまりないようだ。川の流れが強くなったように感じる。二人の間に少し気まずい沈黙が落ちた。

 

「クチュンッ!」


 ……可愛らしいくしゃみの音が住宅街にコダマした。さっきまでとは気色の違う沈黙が二人の間に落ちる。笛吹は口を押さえるために腕に顔を埋めたまま顔を上げない。昼間のことがあるので一瞬体調を心配したが、笛吹の耳が真っ赤になっているのが分かって、吹き出しそうになるのを何とか堪えた。——ただ恥ずかしかっただけらしい。

 笛吹は母さんから貸し出されたジャージとパーカーを着ている。スポーティなデザインのもので薄手というほどではないが、メッシュ生地で風通しはいい。五月とはいえこの夜風では冷えるだろう。


「よかったら、これ」


 自分が羽織っていた上着を笛吹の肩に引っ掛けるように被せた。新聞配達の時に着るジャンパー、念のため着てきて正解だった。少しオーバーサイズだろうが、バイクを運転するときに着るものだから防風性能はかなり高い。適任だろう。

 笛吹は肩にかかったそれに袖を通し、「ありがとう」と言ってファスナーを一番上まで勢いよく上げると、こちらを見ることもせず元の体勢に戻った。その一連の動作が寒かったことを主張しているようで何だか可笑しかった。やっぱり丈が合っていなくて余った袖が欄干からはみ出して宙にぷらぷらと揺れている。笛吹もそれは気づいているようでわざと手首を小さく動かして振り子のように袖を揺らしている。

 なんだか今の笛吹は実際よりも幼く見えた。世話の焼ける妹、という感じだ。その姿を見ていると、さっきまで自分の心の中に渦巻いてた複雑なものがぼんやりと形を持ちつつあることに気が付いた。もう少し、小さなひと押しでそれは名前のある感情になり、言葉になる予感がする。

 それが分かれば、気兼ねなく本当に話したかったことが話せる。聞きたかったことが聞ける気がする。


「笛吹はさ、どうしてうちに住むっていう誘いに乗ったの?」

「……やっぱり迷惑だよね、こんな——」

「ああいや違くて! 別に責めてる訳じゃなくて……その、笛吹の身に色々あった事はサキ姉に聞いたんだけどさ、何と言うかそれが全てとは思えなかったというか……本人の意思? みたいなものを聞きたいっていうか!」

「……ぷふっ、必死すぎ——ああ、そんな睨まないで、ごめんごめん! でも、んー、意思かぁ……ほとんど成り行きだからな、他に選択肢が無かったから流されるまま~って感じでお邪魔しちゃった」

「選択肢……そっか、そうだよな」

 

 必死なこちらとは打って変わって笛吹は軽い調子で冗談交じりに答えた。

 求めていた方向性の答えではなかったことに若干脱力したところで「でもね」と笛吹が続けた。


「来たのは成り行きだったけど、本当に、”幸せな家族”の一員になったみたいな気がして。ほんとにほんとにすごく楽しかったし嬉しかったよ」

「”幸せな家族”? うちが?」

「うん、私が夢見てた通りの、理想の家族って感じだった。……怖いくらい」

「怖い……」

「いや、ごめん。言葉の綾。なんでもないから忘れて」

 

 忘れろというが、逆にその「怖い」というフレーズが引っ掛かってしまう。なぜか、隣にいるはずの彼女と自分の距離が遠くなったように感じた。

 笛吹は少し躊躇うように「あー」とか「んー」と唸ったあと欄干を押し返して体を起こし、「歩きながらにしない?」と言った。特に否定する理由もなかったので了承し、二人横並びに夜の町をあてもなく歩き出す。遠くから虫の鳴き声がして夏の始まりを感じる。年々夏の到来が早まっているな、なんて関係ないことが頭に浮かんだ。

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