7話 蕾を散らす①

 楽しい食事が終わって、片付けが終わると結城君のお母さんにバスタオルとボディタオルを手渡された。「疲れたでしょう?」と言って一番風呂を貰ってしまった。脱衣所とはいえ人の家で裸になることには違和感を覚える。

 

「ほんとによかったのかな」

 

 こういうときは家主に譲るべきなんじゃないかとも思ったが、そもそも友達の家に泊まるような経験がなかったから分からず、言われるがままになってしまった。

 友達——蜂谷結城はちやゆうきは友達なのだろうか? 今日まで会話はしたことが無かったし、下の名前も知らなかった。更に言うなら少し怖い人だと思っていた、金髪だし。でも、体を張って私を助けてくれて、美味しいご飯も作ってくれて、話してみたら優しくて意外と気さくな人だった。教室では見たこともない表情をたくさん見て——驚いた顔がちょっと面白かった。大人二人を挟んでのやりとりが多かったけど……少なくとも顔見知り以上ではあるのではないだろうか? 改めて思い返すと恩人という言葉が一番近い気がするが、やはり同級生だし友達になるか。


『あ~、笛吹ちゃん? 友達なんかじゃないよ~、賭けの罰ゲームで仲良くしてたんだよ』


 友達という言葉で去年の苦い思い出が蘇る。そうだ、相手が一方的に関係性に名前を付けるのは良くないんだった。人間関係とは難しいものだ。

 自問自答をしているうちに服も脱ぎ終わってお風呂場の扉を開いた。人の家のお風呂を見るのは初めてだが、マンションと一軒家の違いか、こちらの方が少し広く見える。

 

「ふぅ~」


 無意識に口から出た声が風呂場に反響する。体が芯から温まって、血行が良くなり全身に溜まった疲労が足先や指先から抜けていく気がする。ここ数日、ゆっくりお風呂に浸かる時間もなかった。そもそも自分一人では湯船を溜めることもしなかっただろうと、どこか他人事のように考えて自嘲気味に笑った。


「親、居なくなっちゃったから大丈夫……とは言えないよね」


 改めて口に出すと名状しがたい感情が渦を巻いて現れる。それと共に蓋をしていたここ数日の記憶が蘇ってくる。

 つい一昨昨日、学校から帰ると唯一の肉親である母が倒れていた。何度呼び掛けても反応が無くて、恐る恐る確認すると脈が無かった。早鐘を打つ心臓と動悸を必死に抑え込み、すぐに救急車を呼び、電話越しの指示に従って必死に蘇生処置をした。動かない母の体に体重をかける行為は不安と恐怖を駆り立てた。その後救急車、病院と代わる代わる蘇生処置がなされたが、結局母がもう一度意識を取り戻すことは無かった。急性心筋梗塞だそうだ。なんの心の準備もなく、私は天涯孤独になってしまった。

 病院で呆然とする私を見かねて、お医者さんが知り合いの役所の人を呼んで色々な手続きを手伝うように頼んでくれた。役所の人は私を見るとあからさまに怪訝な顔をしたが、事情を聞くとすぐに色々なところに電話をしだした。その人の言う通りに動き回り、たくさんの書類に名前を書いて印鑑を押した。今まで使ったことがない、ツルツルの素材で作られた立派な印鑑だった。昔、開けちゃダメだと怒られた戸棚を何度も開けて色んなものを取り出した。

 日曜日、つまり昨日。黒い服を着た大人たちに誘導されるままに、母を送った。色んな大人が私に憐れみの言葉をかけて、動いてくれたが、最後には皆足早に去っていった。残ったのは私と、小さな入れ物に収まった母だけ。気づけば月曜の朝になっていた。

 

『そうだ、学校、学校行かなきゃ』

 

 強迫観念に従って制服に着替え、学校へ行ったが、結局倒れてしまい結城くんに助けられ今に至る……なんだか怒涛の勢いで此処にいると改めて自覚する。倒れたことは結果的にはラッキーだった。


「これからどうすればいいんだろう」


 ふと、保健室で蜂谷先生に自分の身の上を話し終わった後に言われたことが脳裏に過る。傍らで眠る結城君の頭をゆっくり撫でながら、優しい、けれど少し悲しそうな顔で言った言葉。


『一人は寂しいよ』


 続けて、「嫌じゃなかったら、一緒に暮らさない?」と提案してくれた。そのときの私は自分でも不思議なほどその言葉に、誘いに、心が動いてしまった。一人は嫌だ。誰かと一緒に居たい。そう思った。今までそんなこと一度も思ったことがないのに。自分の心の弱さを痛感する。

 実際さっき四人で食卓を囲んでいるとき、本当に理想の家族のように楽しくて、幸せな空間だった。明るいお母さんに優しいお姉ちゃん、結城君は……しっかり者の弟かな。ついそんな妄想をしてしまう。


「ぷふっ……はぁ」

 

 でも、こうして落ち着いて冷静に振り返ると重苦しい罪悪感がこみ上げてくる。この家の人たちは親切だし明るくて優しい言葉をくれる。私のことを見ても、誰も嫌そうにしたり、怖がったりしない。変に同情したり気を遣ってくることもない。経験上そういう人たちは心からの善人か、凄く嘘が上手い人……この家の人たちは前者だと思う。

 自分は今、そんな優しい人達の優しさに甘えてしまっている。本当にこのままここにいてもいいのだろか。そんな思いが頭をもたげてグルグルと頭を支配する。


「なんで私生きてるんだろ」


 ふっと、頭を通過せずに発せられた言葉。思わず両手で口を塞ぐ。自分でも驚いたが、そのフレーズはストンと胸に落ちた。

 愛し合っていたはずの両親は私が生まれたから離れ離れになった。——花人として生まれた私を気味悪がって父は逃げたらしい。一人でここまで私を育てた母は若くして死んでしまった。私は自分が、周りに不幸を運ぶ不吉な存在に思えてならない。

 今度はこの幸せな家族をめちゃくちゃにするのだろうか。そんなことが許されていいはずがない。

 水面に映る自分を見ると、酔芙蓉は相変わらず醜く萎れていた。

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