2話 花は賞するは慎みて②

 ——ん? 笛吹が寝てる? 珍しい。

 昼休み明けの授業が中盤に差し掛かるころ、些細な違和感に遠くへ飛んでいた意識が戻ってくる。

 いつもはピンと背筋を伸ばして真面目に黒板と向かい合っているのに、上半身がふらついている。それは目の前の席に座る女子生徒——笛吹彪香が初めて見せるものだった。笛吹は自分と同じくクラスで浮いた存在でだが、その浮き方は俺とはまた違うものだった。そして、ある理由でもって俺にとって彼女は特別な存在だった。

 笛吹は何万人に一人の存在——植物の血統因子を持って生まれた人間——花人だ。花の種類はたしか酔芙蓉だったか、ハイビスカスに似ているが花弁は薔薇っぽさがある。特別なのはそれだけではない。年度の初め、色を失った視界に突如彼女は現れ、彼女の花だけがハッキリと色づいて見えたのだ。それ以来、彼女は……彼女の花は灰色の教室を飾る唯一の癒しになった。

 しかし、花人への差別意識は根深く、笛吹が誰かに話しかけられるところも、彼女が誰かに積極的に話しかけるところも見たことがなかった。文字通り”高嶺の花”。

 さらには生真面目でクールな高嶺の花でも居眠りなんてするものかと、頬が緩みそうになるが、すぐにその異常さに気が付いた。呼吸が荒くなっているのか、肩が小刻みに上下している。嫌な予感がして背筋を伸ばした時、芯を失った笛吹の頭が通路側へ大きく振れた。


「あぶなっ!」


 人間、本当に緊急事態を前にすると自分でも思ってもみない力を発揮するものだ。

 反射的に机とイスを跳ね除け、抵抗なく倒れていく笛吹の体と床の間に辛うじて腕を差し込み、床との衝突からはなんとか守ることに成功する。ひとまずの安心感、じんわりとぶつけた腕に鈍痛が広がる。覗き込むと笛吹は目を強く瞑って苦しそうに身悶えしていた。綺麗な白い髪がいくつかの束になって額に張り付いている。酷い汗だ。そして何よりも、近くで見て初めて分かる程度だが、彼女の頭に咲いた花が心なしか萎れていることに目がいった。


「何……?」


 隣の席の女子のものと思われるその声を皮切りに教室中のざわめきが耳に、頭に響き始めた。当然と言えば当然だが、教室中の視線が集まっている。それを自覚した途端冷汗が全身から湧き出す。周りの音がこもり、視界が湾曲する。水中に投げ出されたような苦しさ。五感が薄まり現実味が薄れていく。

——やめろ、円の中にいてくれ。俺に構わないで。

 

「うぅ……ッ!」


 笛吹の呻き声で現実に引き戻される。

 ただ、自分の腕の中で苦しそうに荒い呼吸をするこいつを助けないと。その決意を胸に強く持つと不思議と体に力が戻り、視界が広がっていく。


「ほっ、保健室! 連れていきますっ!」


 自分でも分かるくらいに上ずった声が出た。腕にもたれる笛吹をそのまま抱き上げ、教師の狼狽した声を背中に、羞恥と緊張から逃げ出すように教室を出た。その場には大きな困惑とざわめきだけが残ったが、それも教師の一声で水面下へ沈み込む。

 はみ出し者二人が出て行った教室は、何事もなかったかのようにあっさりと日常へ戻ろうとしていた。


「はぁ?……なによ、あいつ」

「………」


 誰もいなくなった席を見つめるごく数人を除いて。

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