1話 花は賞するは慎みて①
『5月14日、本日のニュースです——昨日開かれた国会では
「………」
『すべての人間は平等につくられている』なんて言葉を吐いた人は世の中をちゃんと見ていたのだろうか。金、容姿、家庭環境……病気。どう考えても不平等な要素を見つける方が簡単だ。
いや、きっと見てきたからこそ、理想郷に思いを馳せたのかも知れない。常に自分は誰かの下に居て、自分の下にはさらに誰かがいる。そんな終わりのない板挟みから解放された世界。——バカらしい夢物語だ。
「父さん、じいちゃん、ばあちゃん行ってきます」
朝のツンとした空気に線香の匂いが混ざり合う。黙祷を終え、時計に目をやるともう出発時間が間近になっていた。
和室からリビングに戻り、机の上に張られた母の書いたメモを確認する。これが生活リズムの合わない母との主なコミュニケーションツールだった。学校帰りに買ってほしいものなどが書いてあることが多いが、今日は『ごみ捨てよろしく』とだけ書いてあった。薄い筆圧から酔いと眠気に耐えながら書いたことが伺える。
「月曜……燃えるゴミか」
リビングの机に不足なく母の朝食が揃っていることを確認し、台所のゴミ袋をまとめ玄関に向かう。
制服の上にジャンパーを羽織り、靴を履きながらヘルメットを被る。玄関の扉を開くと朝の冷気が鼻を通り抜けた。5月とはいえ朝はまだ少し冷える。空も仄暗い。
「いってきます」
早朝、人のいない街をオートバイで走るこの時間がなによりも好きだ。薄青い空気が目に優しく、聞こえてくるのは愛車の駆動音とポストを開ける音だけ。誰に邪魔されることもなく、ぼんやりとあれこれ哲学する。単純作業中の現実逃避から始まった趣味だが、なんだかんだで性に合っていたらしい。
——我ながらイタイ趣味だな。
改めてそう思って苦笑が漏れる。
でも、これは必要な時間だ。自分の形をハッキリとさせてくれるとでも言うか。自分が自分であり、この世に存在していることを自覚できる。もちろん、バイト自体も金のためにも辞められないのだけれど。
「んん~っ……はぁ、終わった」
すべての配達が終わり大きく伸びをする。辺りの家々からは少しずつ生活音がし始めている。いつもはバイクを家に置いてからゆっくり学校に向かうが、今日は給料日だ。しぶしぶ販売所の事務所へ向かう。
事務所の扉を前にして二三度深く呼吸をする。憂鬱だ。配達のバイトは好きだが、販売所の所長がどうしても苦手だった。学校に行くだけでも気分が悪いのに、その上会いたくない人に会わなければならない……最悪の一日だ。そう考えただけで頭には「いやだ」という言葉が何度もリフレインし、嫌な痛みが走り、視界が滲む。世界から色が消える——。
『共感覚、ですね。それも珍しいタイプの。論文に書いていい? え、死んだおじいちゃんと同じ? 詳しく詳しく! あ、まとめて論文に名前載せていい?』
昔、家族が死んだとき、全く色を感じられなくなった。いくつかの病院をたらい回しにされた後に言った大学病院でそう診断された。その医者いわく『共感覚は一般に特定の感覚刺激が別の感覚刺激を得るもの。だが君は”精神的苦痛”を感じると視界に入るモノに上塗りするような感じで”色覚”が生じる……それが白と黒だから昔のテレビみたいな映像になって脳に届く』とのことだった。
白黒のブラウン管の世界に入ったように現実味のない視界。信号の色も分からず何度も事故に遭いかけた。家族の死の悲しみにも慣れ、昔に比べればマシになったが今でもストレスを感じると症状が出た。今のように。
「はぁ……よしっ!」
心に檄を入れて事務所の軋む扉を開けて中へ入っていく。部屋の奥でソファチェアに太い体を預けた所長が新聞を広げていた。脂肪に包まれた体は座っているだけで威圧感がある。ボソボソと挨拶をする俺の姿を見止めた所長は立ち上がるとドシドシと近づいて来て気色の悪い笑顔を張り付けて気安く話し始めた。手には茶封筒とカレンダーを持っている。
「ぅい、おつかれ~! 蜂谷く~ん。これ今月分ね。あぁ来月のシフト! それとこの日なんだけどさぁ……あんまり入れない子がいるから代わりに入ってもらっていい? ——いやー、ほんといつも助かるよ! じゃ、おつかれ~い。 ——あ、もしもし美紀ちゃん? シフトの件大丈夫だったよ~それで今度のご飯なんだけど……」
色のない人間は不気味で、それに話しかけられることは未だに慣れず、極力会話をしたくない。そんな思いが強く、こちらはろくに声を発することもなく、色ボケたぬきおやじにペコペコへつらい、言いなり状態だ。おどおどして挙動不審な使い勝手のいいバイト、それがこの場での俺という存在だった。居たら使えるが、別にいなくても誰も困らない。夢中になって媚びた声で電話をする所長を横目に蜂谷は静かに販売所を出ていく。
次は学校だ。
「蜂谷、お前の髪……やっぱり黒染めしないか? やはり金髪は目立つし、他の生徒や先生からも何件か指摘が入っているんだ。事情は知っているがやはり風紀のためにもだな……」
速足で正門を抜けようとした俺を呼び止めたのは生活指導の教員だ。口先だけは生徒に寄り添っている風だが、その実自分のことばかりで、何も理解しようとしない。自分が最も嫌悪する存在の一人。だが、強く反論することも、睨みつけることもできない。せめてもの抵抗に返事もせずに、急ぎ足で校舎へ入って行った。生活指導は困ったな、というように頭を掻いて、すぐに他の生徒たちの服装の乱れを指摘し始めた。
『昨日のストーリーにあげてたやつさ~あれって例の大学生の彼と?——きゃ~! いいなぁ』
『てかそのtektokで紹介されてたやつ、やっぱいいね~私も買おうかな』
昼休み。食事を終え、手持無沙汰になった蜂谷は耳に入るクラスメイトの雑談を勝手に下らないと評価しながら窓の外、灰色の晴れ空をぼーっと眺めている。恋愛、SNS、流行……理解できないし、する気もあまり起こらないものたちだ。どうせ俺はそれらを楽しむことも出来ない。そうやって諦めて拗ねているのだ。
『この問題の応用をテストで出す予定だから、ちゃんと聞いとけよ~。まぁこれくらい出来ないようじゃこの先どうしようもないから……』
わざとらしいにやにや笑いを向けてくる数学教師。こっちを見るな。そう思いながらも反論なんてできるハズもなく、ただ視線を外すしかできない。やがて陽光と花の香に誘われて、短い間隔で睡眠と覚醒を繰り返し始めた。視界の隅では前の席に座る女子の側頭部で、薄桃色の花が凛と咲いていた。
緊張しい、あがり症……祖父から遺伝した金髪に共感覚。あらゆる要素が重なりあって影響しあって、俺の生きにくさを形成していた。
子どもをバカにした大人達、見えない何かに追われ、操られている周囲の同年代。それらにあらゆる意味で付いて行けていない自分。
人間は大小さまざまな関係性の円を作る。そして円の中にいる人間は円の外にはみ出した人間を排斥する。これだけ人が周りにいるのに、独りだ。
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