第02話 踏み出された1歩
「ルコラスです」
魔道具鑑定協会にある私室で鑑定作業を行っている時にノックの音が聞こえた。返事をすれば扉が開いて20代半ばの男性が入って来る。
耳ほどまである落ち着いたブロンドの髪は柔らかそうでその緑色の双眸が私を見ている。
ルコラスは魔道具鑑定協会の事務員だ。受付やその他雑務を行っており魔道具鑑定の依頼書をまとめたり必要な資料を探してくれる。
「お疲れ様です。コーヒーを飲んだら帰るつもりなのですが、リネットさんもいりますか?」
時計を見れば定時を過ぎていた。
うちの職場では最後に帰宅する受付フロア担当の職員がまだ残っている魔道具鑑定人に帰宅の挨拶を行うことになっている。
私のところへ来る職員の大半が退勤の挨拶だけで私から彼らに話題を振ることもない。
職務上のやり取りで困ったことはなく嫌われているとまでは思っていないが必要以上に関わることもない。
そんな中、ルコラスはこれまでにも様々な話題を振ってくれた。
話題の幅も広く彼との会話は楽しい。気が利いていて彼の淹れてくれるコーヒーが私は好きだ。
「頼む」
「了解です。いつも通りブラックでいいですか?」
「あぁ」
不自然にならないように注意しながらいつものようにコーヒーを頼んだ。
微笑み部屋を出て行った彼を見送ってから机の1番上の引き出しの鍵を外してゆっくりと引く。
引き出しの中にはあの日購入した【レハロフの腕輪】がある。
腕輪を取り出して机の上に置くと手を重ねて隠し、そわそわと心が落ち着かないまま彼が戻ってくるのを待った。
本当にいいのか、止めておくべきじゃないのか。そんな迷いがあった。
けれど結局答えが出ることはなく、コーヒーカップを2つ乗せたお盆を持ったルコラスが戻ってきた。
そのまま彼は近づいてきて私の机の上にコーヒーカップを1つ置く。
お礼を言ってコーヒーカップをひと口飲む。
見るとルコラスも椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。
「最近、強盗事件が起こっているのは知っていますか?」
「1ヶ月前から始まって4件目だそうだな」
手口は人通りのない裏道などを1人で歩いている時を狙った犯行で4件とも被害者は女性だという。
残念ながらまだ捕まっていない。
「はい。リネットさんも気をつけてくださいよ?」
「ありがとう」
心配そうな彼の表情と言葉に嬉しさを感じてお礼を言う。
「魔道具って色々な物がありますけど、これは変わってるなって思った物はありますか?」
何か話題を振ろうと考えていたものの何を話していいか分からず思案していると彼の方から話題を提供してくれた。
「いくつか思い浮かぶものはある。起動すると液体のような物が出てくるのだが、その液体は何かが近づくと離れようとするんだ」
「へー、追いかけて遊んだりする玩具だったりするんですかね?」
「そういう使い方もあるな。ちなみにだが、今の彫刻技術では再現ができないほどに高度な技術だ」
「そんなに!?」
あまり使い道のなさそうな魔道具なのに高度な技術が使われていると知った彼は驚いた顔をしていた。
それからも変わった魔道具についていくつか話しているとあっという間にコーヒーが無くなった。
緊張で手が少し震えるも私はコーヒーカップをソーサーへと戻した。彼もすでにコーヒーを飲み切っていたようでコーヒーカップを回収しようとこちらへと近づいてくる。
机の上に置いたソーサーへ彼が手を伸ばした瞬間、手の中に準備していた【レハロフの腕輪】を彼の左手に嵌めて腕輪に魔力を流した。
ピクリと小さく体を震わせ何も言わずにルコラスが動きを止める。
彼がソーサーへと伸ばしていた手が下がった。
心臓の鼓動をうるさく思いながら落ち着くために1度呼吸をした。
立ち上がって彼を眺めると彼はどこかぼんやりとしていて目の焦点が合っていなかった。普段はニコニコと人好きのする柔らかな表情を浮かべている彼が無表情になっている。
「……ルコラス」
「はい」
名前を呼ぶと相変わらずぼんやりとしたまま私の方を向いた。
彼がまともな状態でないことはすぐに分かった。
気分の高揚を感じる。しかし焦ってはいけない。
「君には伴侶や恋人、もしくは恋愛対象として好意を寄せている人物はいるか?」
「いません」
良かった。
嬉しい反面、やはり彼が私に対して好意を持っているわけではないことが確定し悲しくもある。
いや、前向きに考えよう。
「……君は私のことが好きだ」
言い聞かせるように話せばルコラスは返事をした。
私は踏み留まることができなかった。
「友人知人としての好きではない。異性として、恋愛対象として私のことを愛している」
同じように返事をする彼の表情に変化があった。無表情ではなくなり優しげな微笑みを浮かべ私のことをじっと見ている。ぼんやりとした目にも熱のようなものを感じる気がする。
私は【レハロフの腕輪】の効果を実感した。
興奮しそうになる自分に落ち着けと言い聞かせながらこの後しなければならないことを思い出す。
私に対するルコラスの態度がいきなり変化したら同僚に怪しまれる。
彼を洗脳していることがバレないよう私を好きでいる状態になる条件を追加した。条件は私と2人だけの時か職場以外で会った時だけとした。それ以外の条件なら普段通りに振る舞うように言った。
それから洗脳状態時の行動は洗脳状態でしか思い出せず、抜けた記憶についても違和感のない出来事で補完するように言っておいた。
腕輪については彼が気に入って買ったものだと刷り込んだ。とても気に入っているため外したくないとも。幸いなことに事務員は職場では制服の着用義務があり長袖なため腕輪は隠れる。
必要なことは全て終わった。
他に鑑定人が残っていたりこの後誰かに会う予定などがあればやってこないルコラスを怪しむかもしれない。
それに今の私は気分が高揚していて冷静で居続ける自信がない。おかしなことをしてしまう前に、彼にはコーヒーカップを回収してから退出してもらった。
ルコラスを見送った私は大きなため息をついた。
緊張していたせいか精神的にかなり疲れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます