第9話

後になって、聞いたんだ。

芽ちゃんが…脱水症状で、運ばれた、時。

ごめんなさい、って、笑って…芽ちゃんは、言った。

「貴方を信じたかった。だから、何度も水道水青い水を飲もうとしたの…けど、どうしても飲めなくてね…」

「だったら、支援物資を飲めばよかったのに…」

「だから…」


「貴方を信じたかったから…意地を張ってしまったのよ。馬鹿でしょう?」



…どれくらい、時間が、経った。

気がついたら…僕は、床に、蹲っていた。

電気が、消えてる。

…停電?

…薄暗い、部屋。

雨が降って、いるから、暑さはそれほど、じゃない。だから、死にやしない。

時計を見る…午後、二時半近く。

さっきまで、朝、だったのに。

「………」

なにもない。

だれも、いない。

雨音だけが、聞こえる。


バン!


いや。

さっきから、物音が、響いている。


バン! バン!


…薄暗い、部屋に…雨音が響く。

窓と、屋根を、叩く。

ぱたぱた…ぱらぱら…からから……。

だんだんと、そんな音を、かき消すほど。

バン!

…カーテンの、向こう。

何かが、窓を叩く。

バン!

びちっ!

ぺた…!

少しずつ、弱まっていく。

……馬鹿が、居るのかな、って、思った。

こんな、大嵐の中、外に出た奴が、居たのかな。それで、鍵をなくした、とかで…家に、入れないって、人でも、居たのかな。

それで、助けを、求めている?

ぺちゃっ!

……叩く音。

もう、音で、なんとなく、わかる。

手遅れ、だよ。

カーテンの、向こうの、その人は…とっくに、雨奴に、なっているんだ。

それでも、助けを、求めている。

それとも、その人は、女の人、かな。

異性の、僕を、嗅ぎつけて…無意味な、繁殖のために…呼んでいる、のかな。

馬鹿だな。

…そうだな。窓に、張り付いて、いるのなら…窓を叩けば、衝撃で、殺せる、はず。

そうしなくても…雨奴が、勝手に、窓を叩き続ければ…勝手に、弾けて、死ぬだろうし。

勝手に。

べちっ!

…うるさいな。

…僕は、窓に向かう。

縁側。

庭に、出られる…窓。

カーテンを、開く。


びちっ!


……ほら、見ろ。

雨奴。

窓ガラスには、青い水が、筋を引いて、流れていて…大きな、雨奴が、腕を、ぼたぼたと、滴らせて、立っていた。

間近に見る、化け物。

窓を開けなきゃ、危害は、加えられない、はずだ。

「……何の、用?」

なんとなく、声をかけてみる。

僕の声は、潰れて、いた。

無意味だ。雨奴には、言葉なんて、通じないし…人を襲う、とはいえ、聴力や、視力が、まともなのかも、不明だ。

こいつの目に…僕は、見えているか。

こいつの耳に…声は、聞こえているか。

まったく…。

「ねえ…こんな、雨の中、どうして、外になんか、出ていたん、だい…馬鹿、だねえ」

微笑んで、見せると…雨奴は、ぬるぬると、窓に、腕を這わせる。開けろ、とでも、言っているのか。

誰が、お前なんか、招くかよ。

「……今、楽に、してあげる」

怠いんだ。

疲れて、いるんだ。

構う気力も…ないんだよ。

雨奴が、窓に張り付いて、いるのを、見計らって…僕は、窓に向かって、手を振り上げ…。


足元に、落ちていた、写真と、目が合った。


…菜花ちゃんは、死んじゃった。頭が、雨奴になって、お風呂で、死んじゃった。

でも。

でも、芽ちゃん、は…。


『あり得ないんだよ、とっくに雨奴になって死んでいる‼︎』


そう…雪待が、言った。

芽ちゃん……雨奴に、なっちゃったかも、しれない…けど。

でも、僕は…きっと、芽ちゃんが、どこかで、生きていて…芽ちゃんは、優しいから…きっと、帰って、きてくれるって…。

ずっと、そう思って…。

だから。

今、ここに居る…雨奴、は…。

「…めい…ちゃん……?」

呼びかけても、答える様子は、ないけれど。

けど。

雨奴は…ずるずると、窓を、手で撫でて。

きっと…そうだよ、って、言っている、の、かなあ。

芽ちゃん…。

芽ちゃん、なんだ…。

帰って、きて、くれたんだ…。

「芽ちゃん……ねえ、僕…ずっと」

僕は、窓に、両手を当てる…。

窓越しに…芽ちゃんに、伝える。

「ずっと…待って、たんだよ…信じて、た」

窓越しに、芽ちゃんが、僕の手に、手を、重ねる。

「…ごめんね…芽ちゃんのこと…何も…わかって、いなくて…」

雨音が、響く。

「こんな…姿に……」

ぱらぱら…雨粒が、窓と、芽ちゃんを、叩く。

「それに……あのね、菜花ちゃんは、ね…ごめんね…」

涙が、こぼれる…。

「でも、菜花ちゃんから、聞いたんだ……芽ちゃん、菜花ちゃんの、こと…守って、くれたんだね…」

頬を伝う、水は…怖くない。

もう、怖くないんだよ。

芽ちゃんが、そこに、居るから。

芽ちゃんが、帰って、きたから。

「ね…今、開ける……から…芽ちゃ…!」


「起きなさい、余花さん」


……。

……芽ちゃんの、声が、聞こえた。

それは、窓の、向こうから、聞こえたんじゃない。

すぐ、うしろ…食卓から、聞こえた。

気がした。

薄暗い、部屋。

薄暗い、外の空。

窓の向こう、僕の、目の前には…。

……醜い雨奴。

芽ちゃんじゃ、ない。

…雨奴は、まだ、窓に、張り付いている。

全身を、ぼたぼたと、滴らせる。

もうじき…勝手に、死ぬはずだ。

放って、おいても。

勝手に。

「………」

僕は、窓から、手を離して…。

少しの間、雨奴を、眺める。

……芽ちゃんじゃ、ない。

絶対に、芽ちゃんじゃ、ない。

だから。

こんなの…こんな、化け物……知らない。

知らないけど。

ずる、と…雨奴が、窓に、縋り付く。

……馬鹿、だねえ。

僕は、もう一度…窓に向かって、手を、振り上げて……。

「……じゃあね」


バン!


……手のひらを、叩きつけると。

衝撃が、雨奴の身体に、響いて…。

雨奴の腹が、へこんで…少しずつ、穴が空いて、大きくなって……。

びちゃあっ、と…弾けて…窓ガラスが、真っ青に、なった。

…時間をかけて、どろどろと、流れ落ちる。

もう、そこには……何もない。

誰も、居ない。

だれも。

「………」

僕は、足元の、フォトフレームを、拾って…ふたりの顔を、見る。

笑っている、芽ちゃんと、菜花ちゃん。

もう、ここには、いない…ふたり。


もう、どこにも、いない…ふたり。

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