第9話
後になって、聞いたんだ。
芽ちゃんが…脱水症状で、運ばれた、時。
ごめんなさい、って、笑って…芽ちゃんは、言った。
「貴方を信じたかった。だから、何度も
「だったら、支援物資を飲めばよかったのに…」
「だから…」
「貴方を信じたかったから…意地を張ってしまったのよ。馬鹿でしょう?」
▽
…どれくらい、時間が、経った。
気がついたら…僕は、床に、蹲っていた。
電気が、消えてる。
…停電?
…薄暗い、部屋。
雨が降って、いるから、暑さはそれほど、じゃない。だから、死にやしない。
時計を見る…午後、二時半近く。
さっきまで、朝、だったのに。
「………」
なにもない。
だれも、いない。
雨音だけが、聞こえる。
バン!
いや。
さっきから、物音が、響いている。
バン! バン!
…薄暗い、部屋に…雨音が響く。
窓と、屋根を、叩く。
ぱたぱた…ぱらぱら…からから……。
だんだんと、そんな音を、かき消すほど。
バン!
…カーテンの、向こう。
何かが、窓を叩く。
バン!
びちっ!
ぺた…!
少しずつ、弱まっていく。
……馬鹿が、居るのかな、って、思った。
こんな、大嵐の中、外に出た奴が、居たのかな。それで、鍵をなくした、とかで…家に、入れないって、人でも、居たのかな。
それで、助けを、求めている?
ぺちゃっ!
……叩く音。
もう、音で、なんとなく、わかる。
手遅れ、だよ。
カーテンの、向こうの、その人は…とっくに、雨奴に、なっているんだ。
それでも、助けを、求めている。
それとも、その人は、女の人、かな。
異性の、僕を、嗅ぎつけて…無意味な、繁殖のために…呼んでいる、のかな。
馬鹿だな。
…そうだな。窓に、張り付いて、いるのなら…窓を叩けば、衝撃で、殺せる、はず。
そうしなくても…雨奴が、勝手に、窓を叩き続ければ…勝手に、弾けて、死ぬだろうし。
勝手に。
べちっ!
…うるさいな。
…僕は、窓に向かう。
縁側。
庭に、出られる…窓。
カーテンを、開く。
びちっ!
……ほら、見ろ。
雨奴。
窓ガラスには、青い水が、筋を引いて、流れていて…大きな、雨奴が、腕を、ぼたぼたと、滴らせて、立っていた。
間近に見る、化け物。
窓を開けなきゃ、危害は、加えられない、はずだ。
「……何の、用?」
なんとなく、声をかけてみる。
僕の声は、潰れて、いた。
無意味だ。雨奴には、言葉なんて、通じないし…人を襲う、とはいえ、聴力や、視力が、まともなのかも、不明だ。
こいつの目に…僕は、見えているか。
こいつの耳に…声は、聞こえているか。
まったく…。
「ねえ…こんな、雨の中、どうして、外になんか、出ていたん、だい…馬鹿、だねえ」
微笑んで、見せると…雨奴は、ぬるぬると、窓に、腕を這わせる。開けろ、とでも、言っているのか。
誰が、お前なんか、招くかよ。
「……今、楽に、してあげる」
怠いんだ。
疲れて、いるんだ。
構う気力も…ないんだよ。
雨奴が、窓に張り付いて、いるのを、見計らって…僕は、窓に向かって、手を振り上げ…。
足元に、落ちていた、写真と、目が合った。
…菜花ちゃんは、死んじゃった。頭が、雨奴になって、お風呂で、死んじゃった。
でも。
でも、芽ちゃん、は…。
『あり得ないんだよ、とっくに雨奴になって死んでいる‼︎』
そう…雪待が、言った。
芽ちゃん……雨奴に、なっちゃったかも、しれない…けど。
でも、僕は…きっと、芽ちゃんが、どこかで、生きていて…芽ちゃんは、優しいから…きっと、帰って、きてくれるって…。
ずっと、そう思って…。
だから。
今、ここに居る…雨奴、は…。
「…めい…ちゃん……?」
呼びかけても、答える様子は、ないけれど。
けど。
雨奴は…ずるずると、窓を、手で撫でて。
きっと…そうだよ、って、言っている、の、かなあ。
芽ちゃん…。
芽ちゃん、なんだ…。
帰って、きて、くれたんだ…。
「芽ちゃん……ねえ、僕…ずっと」
僕は、窓に、両手を当てる…。
窓越しに…芽ちゃんに、伝える。
「ずっと…待って、たんだよ…信じて、た」
窓越しに、芽ちゃんが、僕の手に、手を、重ねる。
「…ごめんね…芽ちゃんのこと…何も…わかって、いなくて…」
雨音が、響く。
「こんな…姿に……」
ぱらぱら…雨粒が、窓と、芽ちゃんを、叩く。
「それに……あのね、菜花ちゃんは、ね…ごめんね…」
涙が、こぼれる…。
「でも、菜花ちゃんから、聞いたんだ……芽ちゃん、菜花ちゃんの、こと…守って、くれたんだね…」
頬を伝う、水は…怖くない。
もう、怖くないんだよ。
芽ちゃんが、そこに、居るから。
芽ちゃんが、帰って、きたから。
「ね…今、開ける……から…芽ちゃ…!」
「起きなさい、余花さん」
……。
……芽ちゃんの、声が、聞こえた。
それは、窓の、向こうから、聞こえたんじゃない。
すぐ、うしろ…食卓から、聞こえた。
気がした。
薄暗い、部屋。
薄暗い、外の空。
窓の向こう、僕の、目の前には…。
……醜い雨奴。
芽ちゃんじゃ、ない。
…雨奴は、まだ、窓に、張り付いている。
全身を、ぼたぼたと、滴らせる。
もうじき…勝手に、死ぬはずだ。
放って、おいても。
勝手に。
「………」
僕は、窓から、手を離して…。
少しの間、雨奴を、眺める。
……芽ちゃんじゃ、ない。
絶対に、芽ちゃんじゃ、ない。
だから。
こんなの…こんな、化け物……知らない。
知らないけど。
ずる、と…雨奴が、窓に、縋り付く。
……馬鹿、だねえ。
僕は、もう一度…窓に向かって、手を、振り上げて……。
「……じゃあね」
バン!
……手のひらを、叩きつけると。
衝撃が、雨奴の身体に、響いて…。
雨奴の腹が、へこんで…少しずつ、穴が空いて、大きくなって……。
びちゃあっ、と…弾けて…窓ガラスが、真っ青に、なった。
…時間をかけて、どろどろと、流れ落ちる。
もう、そこには……何もない。
誰も、居ない。
だれも。
「………」
僕は、足元の、フォトフレームを、拾って…ふたりの顔を、見る。
笑っている、芽ちゃんと、菜花ちゃん。
もう、ここには、いない…ふたり。
もう、どこにも、いない…ふたり。
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