第6話
青い雨が、降り始めて。
その危険性は、塩分などで、無効化できるとわかって。
それでも、まだ、みんなが、パニックになっていた時。
去年の夏。
僕が、まだ、水が怖くなかった時。
▽
▽
朝の天気予報で、菜花ちゃんの学校の下校時間に、夕立の降雨注意報が出ていた。
青い雨は危険だ。だから降雨注意報が出た時は、学校側が送迎のバスを出すというのが一般的だが、菜花ちゃんが通う学校は生徒数が多いし、送迎費は後払いの集金…できる限り親が迎えに来ることを学校側は望んでいた。
僕は仕事があった…青い雨が降ってから、青い水の浄水方法は解決したものの、浄水場は一層厳しい目を向けられるようになった。退社時刻も遅くなる。
だから芽ちゃんは、自分の仕事を早く切り上げて、菜花ちゃんを迎えに行ってくれていた…青い雨が降るようになってからの夏、芽ちゃんは僕よりも忙しく動いていた。
でも仕方がないんだ。
水が汚染されてしまうこの状況で、市民の飲み水を確保する場所を疎かにするわけにはいかない。
僕ひとりの欠員でも、何があるかわからない…いつも通りじゃない事態を、いつも通りに動かすには、いつものように人が揃わなければならないから。
そんなの言い訳だったのかもしれない。
僕は、芽ちゃんがどこまで疲弊していたか理解していなかった。
だから。
▽
だから。
あの日の、こと、を、今でも、後悔して、いる。
▽
雨と同じ青い色。
シートがかけられた車。
その上に立てられた青いテント。
青い雨を浴びないように立てられたテントの下には、数人の警察官や救急隊と、ひしげた車。
集まる警察車両と救急車。
崩れた家屋の塀。
…傘を投げ出そうとしたのを押さえつけられ、ゆっくりとテントの内側に導かれる。
芽ちゃんの車。
窓ガラスの至る所が割れて、血が飛び散っていて…けど、中には誰もいない。
誰もいない。
「視界不良だったのでしょう…」
塀に衝突した車。
事故。
「芽ちゃんは…菜花ちゃんは…⁉︎」
誰もいない。
「落ち着いて聞いてください。娘さんは先程、病院に搬送されました。雨に当たった可能性を考慮して検査中ですが、恐らく陰性だと思われます」
「芽ちゃんは…妻は⁉︎」
「落ち着いて」
「運転手は…奥様は行方不明です」
▽
軽傷で済んだ菜花ちゃんは、雨が止む頃に帰宅を許された…家に帰るタクシーの車内、菜花ちゃんはぽつりと呟いた。
「…お母さんが、私を抱きしめていたの」
「…お母さんが」
「……たぶん」
「……それで」
「……わからない。寝ちゃった」
「………そっか」
「……帰ってくるかな」
「……明日も雨になるって」
「じゃあ、夜には」
「夜には」
…視界不良だと警察官は言った。青い雨ではよくある話だ。ペンキのような青がフロントガラスに貼り付けば、ワイパーで拭っても筋が残る。
けど、芽ちゃんの事故が、それが原因じゃないことは、僕がいちばんわかっていた。
不意な雨が続く不安定な天気。毎日のような降雨注意報…仕事にしか集中しない僕に代わり、芽ちゃんは仕事と家庭の両方をこなしていた。
事故の原因は、芽ちゃんが疲れていたから。
僕が、菜花ちゃんのことを、芽ちゃんに任せきりにしていたから。
「…ごめんね、お父さん」
…謝ったのは、菜花ちゃんの方だった。
ちがう。ちがうのに。菜花ちゃんは何も悪くないのに。菜花ちゃんと芽ちゃんを怖い目にあわせたのは、僕のせいなのに。
「…お父さん、ごめん」
…僕は菜花ちゃんに、何も言えなかった。
その翌朝、菜花ちゃんはお風呂場で自殺していた。
湯船に頭を沈めて、溺れて死んでいた。
警察の鑑識の結果でわかったのは、湯船に溶けた青い雨の成分。
司法解剖で、菜花ちゃんの頭の中は青く染まっていたと聞いた。
菜花ちゃんは、雨に濡れていたんだ。
雨奴になっていた。
わからない。
菜花ちゃんが死んじゃったのは、頭が雨奴になったせいだったのか。
それとも、僕が何も、慰める言葉をかけてあげなかったせいなのか。
わからなかった。
▽
それでも。
それ、でも。
まだ。
まだ、きっと。
芽ちゃんは。
見つかっていない、芽ちゃんは。
見つかって、いない、から。
どこかに。
まだ。
どこか、で…。
ねえ。
芽ちゃん…。
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