第6話

青い雨が、降り始めて。

その危険性は、塩分などで、無効化できるとわかって。

それでも、まだ、みんなが、パニックになっていた時。

去年の夏。

僕が、まだ、水が怖くなかった時。




朝の天気予報で、菜花ちゃんの学校の下校時間に、夕立の降雨注意報が出ていた。

青い雨は危険だ。だから降雨注意報が出た時は、学校側が送迎のバスを出すというのが一般的だが、菜花ちゃんが通う学校は生徒数が多いし、送迎費は後払いの集金…できる限り親が迎えに来ることを学校側は望んでいた。

僕は仕事があった…青い雨が降ってから、青い水の浄水方法は解決したものの、浄水場は一層厳しい目を向けられるようになった。退社時刻も遅くなる。

だから芽ちゃんは、自分の仕事を早く切り上げて、菜花ちゃんを迎えに行ってくれていた…青い雨が降るようになってからの夏、芽ちゃんは僕よりも忙しく動いていた。

でも仕方がないんだ。

水が汚染されてしまうこの状況で、市民の飲み水を確保する場所を疎かにするわけにはいかない。

僕ひとりの欠員でも、何があるかわからない…いつも通りじゃない事態を、いつも通りに動かすには、いつものように人が揃わなければならないから。

そんなの言い訳だったのかもしれない。

僕は、芽ちゃんがどこまで疲弊していたか理解していなかった。

だから。



だから。

あの日の、こと、を、今でも、後悔して、いる。



雨と同じ青い色。

シートがかけられた車。

その上に立てられた青いテント。

青い雨を浴びないように立てられたテントの下には、数人の警察官や救急隊と、ひしげた車。

集まる警察車両と救急車。

崩れた家屋の塀。

…傘を投げ出そうとしたのを押さえつけられ、ゆっくりとテントの内側に導かれる。

芽ちゃんの車。

窓ガラスの至る所が割れて、血が飛び散っていて…けど、中には誰もいない。

誰もいない。

「視界不良だったのでしょう…」

塀に衝突した車。

事故。

「芽ちゃんは…菜花ちゃんは…⁉︎」

誰もいない。

「落ち着いて聞いてください。娘さんは先程、病院に搬送されました。雨に当たった可能性を考慮して検査中ですが、恐らく陰性だと思われます」

「芽ちゃんは…妻は⁉︎」

「落ち着いて」


「運転手は…奥様は行方不明です」



軽傷で済んだ菜花ちゃんは、雨が止む頃に帰宅を許された…家に帰るタクシーの車内、菜花ちゃんはぽつりと呟いた。

「…お母さんが、私を抱きしめていたの」

「…お母さんが」

「……たぶん」

「……それで」

「……わからない。寝ちゃった」

「………そっか」

「……帰ってくるかな」

「……明日も雨になるって」

「じゃあ、夜には」

「夜には」

…視界不良だと警察官は言った。青い雨ではよくある話だ。ペンキのような青がフロントガラスに貼り付けば、ワイパーで拭っても筋が残る。

けど、芽ちゃんの事故が、それが原因じゃないことは、僕がいちばんわかっていた。

不意な雨が続く不安定な天気。毎日のような降雨注意報…仕事にしか集中しない僕に代わり、芽ちゃんは仕事と家庭の両方をこなしていた。

事故の原因は、芽ちゃんが疲れていたから。

僕が、菜花ちゃんのことを、芽ちゃんに任せきりにしていたから。

「…ごめんね、お父さん」

…謝ったのは、菜花ちゃんの方だった。

ちがう。ちがうのに。菜花ちゃんは何も悪くないのに。菜花ちゃんと芽ちゃんを怖い目にあわせたのは、僕のせいなのに。

「…お父さん、ごめん」

…僕は菜花ちゃんに、何も言えなかった。






その翌朝、菜花ちゃんはお風呂場で自殺していた。

湯船に頭を沈めて、溺れて死んでいた。

警察の鑑識の結果でわかったのは、湯船に溶けた青い雨の成分。

司法解剖で、菜花ちゃんの頭の中は青く染まっていたと聞いた。

菜花ちゃんは、雨に濡れていたんだ。

雨奴になっていた。

わからない。

菜花ちゃんが死んじゃったのは、頭が雨奴になったせいだったのか。

それとも、僕が何も、慰める言葉をかけてあげなかったせいなのか。

わからなかった。



それでも。

それ、でも。

まだ。

まだ、きっと。

芽ちゃんは。

見つかっていない、芽ちゃんは。

見つかって、いない、から。

どこかに。

まだ。

どこか、で…。

ねえ。

芽ちゃん…。

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