第4話 協力者と新事実
「あれは傑作でしたね」
「うるさい。黙れ。静かにしないと、その口を塞ぐぞ」
「あそこまで取り乱しているのを初めて見ました。面白かったです」
「桃洞君、後ろにあるガムテープを使って、隣にいる先生を黙らせてくれ。鼻を塞いでも構わない」
「ま、まあまあ。落ち着いてください」
クラブでの聞き取りが終わり、家に帰っている途中なのだが、蒜山が天ヶ瀬にからかわれている。ミアが蒜山の方向に倒れ込んできて、何とか受け止めたが慌てふためいている時に、タイミングを見計らったかのようにちょうど天ヶ瀬が戻ってきた。そしてうろたえていた蒜山に代わり、ミアの介抱をした。そういった経緯もあり、楽しそうに話題にしているのだ。蒜山が慌てていた姿が、天ヶ瀬のツボにハマってしまったらしい。止めろと言われても、嬉々として話題にしている。
「まさか、蒜山刑事が女性を不得手にしているとは。また一つ、距離が近づいた気がします」
「こちらとしては、むしろ遠ざかった気分だがな。そもそも元はと言えば、先生が頼んできたことじゃないか」
「そうでしたか?」
「そうだろう。話を聞き出せと言ったのを、もう忘れたのか」
分かっていて、あえてとぼけている。蒜山の言う通り、そもそもの始まりは天ヶ瀬の頼み事だ。店の中で権力を持っている人間を引き付けている間に、残っている人達から話を聞いてほしい。そう言われたので、蒜山はただ実行しただけだ。それなのに、からかわれて可哀想である。運転をしているから我慢しているが、そうでなければ手が出ていたかもしれない。バックミラー越しに鋭く睨みつけているぐらいだ。
「冗談ですよ。それで、有力な情報は得られましたか?」
蒜山が本気で怒っていると察し、天ヶ瀬はからかうのを止めた。さすがに殴られるのはまずいと考えたのだ。そして、すぐに切りかえ真剣な表情になる。蒜山も怒りをおさめて、得た情報の報告を始めた。
「なるほど。レイラさんは被害者と言い争っていた、ですか。しかし、犯行時刻には完璧なアリバイがあった」
「今、その庄司という客にも確認をとっているが、おそらく裏を取れるだろう。つまり収穫なしってことだ。怪しい奴は、すぐにアリバイが確認できてすり抜けられる。一体どうしたらいいんだ」
報告をしながら、またしても犯人に繋がる証拠が一つもない事実を改めて突きつけられ、蒜山は深いため息を吐いた。
「いえ、収穫はありましたよ」
「どこがだ。この事件が、迷宮入りするんじゃないかと俺は心配になってきている」
「そこですよ。今回の事件、動機があり関係者の中で一番怪しいと疑われている人全員にアリバイがあります。まるで犯人が、あえてそのタイミングで事件を起こしているかのようにです。偶然か故意か。とても興味深いと思いませんか」
「そいつらが犯人と繋がっている可能性があると?」
「あくまで可能性があるというだけです。決めつけると、捜査が上手くいかなくなりますから。証拠や事実を、都合のいいようにねじ曲げてしまうかもしれません。それは真実への道を塞ぎます」
そこで、天ヶ瀬は言葉を詰まらせた。眉間にしわを寄せて考え始める。突然静かになったので、蒜山も心配した。
「どうした? 何か気になることがあるのか?」
「そう、ですね。最近、引っかかっていることがありまして。ずっとモヤモヤとしています」
「気になること? 事件についてか?」
「はい。おそらく関係あります。しかし、まだ私の中でもぼんやりとしていてはっきりとしないのです。凶器や被害者の特徴。一見、関連性がないようですが……申し訳ありません。余計なことを言って混乱させたくないので、これ以上は発言を控えさせていただきます」
本人も、自分の中にある引っかかりがなにか分かっていないらしい。話せないというのを苦しそうな表情で訴えているので、蒜山も気になっている様子だったが、詳しく聞けなかった。思考の邪魔をして、事件に繋がるかもしれない考えを台無しにしないためだ。
この日は結局、多くの疑問が残ったまま終わった。天ヶ瀬の様子がおかしくても、関係なく時間は進む。それに、もしも事件が続くとすれば猶予はなかった。なんとしてでも次の犯行を止めるために、犯人を捕まえなくてはならない。しかし焦る心とは反比例するように、捜査にほとんど進展が無いまま時間だけが過ぎてしまった。
それをあざわらうかのごとく、朝のニュースが流れた。
『……この事件の犯人は異常者です。サイコパスと言えるでしょう。犯人は無差別に人を殺し快感を得ている。私は警察に、精神科に通院歴のある人間を調査するべきだと、何度も訴えていますが、全く聞き入れてもらえませんでした。私の意見よりも、得体の知れない探偵の話に耳を傾けているんです』
そう言って、大げさな身ぶりで不満を訴えているのは樋口だった。事件の特集をしている番組に、アドバイザーとして呼ばれていた。樋口の言葉に、概要をまとめたパネルを前にした司会のアナウンサーが驚いた表情を浮かべた。
『た、探偵ですか? 探偵が捜査に協力しているんですか? 本当に?』
『はい、その通りです。私も一度、顔を合わせたことがありますが……正直に言って、どうして警察が協力を求めたのか分かりかねますね』
ずっと大げさな身振りをして、かなりわざとらしかった。しかし樋口の肩書きのおかげなのか、誰もそのことを指摘せず口に手を当てて驚きを表現している。こちらも大げさなしぐさだった。あらかじめ流れが決められているのかもしれない。それぐらい、滑稽な芝居のようだった。
『それに、その探偵はあろうことか私を容疑者扱いしてきたんです。妻を失い、犯人を捕まえるために尽力している、この私をですよ? とても信じられません』
スタジオ内がざわつく。そこには樋口の他にも、五、六人の人がいたのだが、隣に座っている人とこそこそ話をし始めた。
『もしもそれが事実だとすれば、その探偵とやらは一体何を考えているんだ。名誉毀損で訴えた方がいい。警察の怠慢だな』
コメンテーターで来ていた大御所俳優が、腕を組み訳知り顔で言った。全く関係ないのに、まるで自分がけなされたとばかりに憤慨している。この人はいつもそうだ。この世の全てが気に入らないとばかりに、怒っているところしか見ない。何がそんなに嫌なのか。
『私も疑われた時は、警察に苦情を言おうかとしていましたが、時間が経つうちにこう考えるようになったんです。彼もまた、事件を解決するために動いてくれている。それは、とてもありがたいことです。妻の事件を真剣に考えてくれている証拠です。捜査が進めば、私の疑いも晴れるでしょう。その時に、一緒に協力し合って犯人を見つければいいのです』
天ヶ瀬や警察に対する不満を訴える人に対し、樋口は場を収めるために穏やかに笑った。表面上は庇っているように見えるが、本当は違う。そもそものきっかけは樋口だ。自分の好感度を上げつつ、警察と天ヶ瀬を批判しているのだ。回りくどいやり方である。
「おやおやおや」
「完全に、この前の件で恨まれているじゃないか」
テレビを観ていた天ヶ瀬が、興味深そうにしている。その隣にいた蒜山が、半ば呆れながらため息を吐いた。警視庁に報告しに行ってから、また戻ってきたのだ。今回の天ヶ瀬は何をするのか分からず心配なので、監視するためである。
「というかなんだ。ここまで詳しく情報が出ているなんて。マスコミに情報を流している可能性があるな。しかし追求したところで、シラを切られるか。一つ一つはそこまで重要なものでもないから、こちらもしばらくは様子見するしかないな。本当、面倒くさい」
「蒜山刑事、もしかして相当怒っていますか?」
「当たり前だ! 先生は、どうしてそんなに他人事でいられるんだ! あなたにも関係のある話だろう? こんな公共の場所で侮辱されているんだぞ! もっと怒るべきだ!」
彼が怒っている一番の理由は、天ヶ瀬がテレビで侮辱されているからのようだ。自分のことは二の次である。怒りに任せて、テーブルを叩き叫んだ。曲がったことが嫌いなので、樋口の行動が我慢ならないのだろう。怒りで頭に血がのぼっている蒜山に、天ヶ瀬が落ち着かせる目的で笑いかける。騒がしいのが苦手なので、そのせいもあってどこか強引なやり方だった。
「まあまあ。落ち着いてください。私は別に構いませんよ。人は生きている限り、誰かと合わないことは何度でもあります。誰とでも仲良くするなんて、そんなのは夢物語です。この人を気にしていたら、捜査が進みませんよ。別に無視すればいいのです」
特定の記憶を思い出しているのか、彼は少し目を伏せた。前に誰かと仲違いをしたのかもしれなかった。それがなにか僕は知らない。いつか言ってくれる時まで、こちらからは聞かないと決めている。しかし、話してもらいたかった。友人としてだ。
「それに、こんなふうにテレビで名前を出してもらえるなんて、なかなか無いことですよね。宣伝になります。あ、名前はまだ言っていませんか」
「それでいいのか? こちらからクレームを入れられるぞ?」
「そこまでしていただかなくても結構ですよ。樋口さんとは、これからも仲良くしたいですから。まだ協力していてもらいましょう」
「どの口が言うんだ。……こうなったのも元はと言えば、先生が誰彼構わず敵を作ったからで。……もういい。心配さえかけないでくれれば……」
言いながら無理な話だと自分でも気がついたのか、途中で言葉が止まった。天ヶ瀬が何をするか分からないし、前もって阻止するなんて不可能だ。そのせいで、今までどれだけ大変な思いをしたか。お互い諦めの境地に達している。
そして、楽観的な僕に比べて、蒜山は警察という職業柄もあるのか、さらに負担がかっていた。天ヶ瀬にかかると、蒜山も振り回される立ち位置になる。今度、胃薬をプレゼントするか。彼の上司の分も含めて、二つ用意した方がいいかもしれない。
「先生が良くても、こちらは馬鹿にされたも同然だ。警察から抗議をするから、警視庁に一度戻る。絶対に余計な真似はするなよ。敵も作るな」
痛むお腹を擦りながら、蒜山はそう言い残し出て行った。その後ろ姿は、どこか哀愁があった。しかし、申し訳ないが余計な真似をするなという言葉は守れそうにない。
蒜山の車が、警視庁に向かって走り去っていくのを確認する。姿が見えなくなると、すぐに天ヶ瀬が電話を手に取った。
「……もしもし。先日はどうもお世話になりました。よろしければ、これから来ていただけますか? 住所は前にお教えしましたよね。はい、はい。一時間ほどかかる? 構いませんよ。お待ちしております」
電話を終えた天ヶ瀬の前に、僕はお茶を置いた。紅茶ではない。前に依頼人からもらったほうじ茶だ。これならハードルが低いから、俺でも淹れられる。天ヶ瀬も及第点をくれる味だった。
「ありがとうございます。聞こえていたと思いますが、一時間後に来るそうなので、それまで何をして待ちましょうか」
「そうですね。頭をリフレッシュするために、事件のことを忘れてチェスでもやりますか?」
「いいですね。ただ、負けても前回みたいに
「あ、あの時は悪かったですよ。大人げなかったと反省しています。もうしないと約束しますから。ささ、用意するので来る前にやりましょう」
前にどうしても勝てなくて、イライラしていたのもありチェス盤をひっくり返したことがある。確かに子供の癇癪だ。あの時のことはものすごく反省しているから、話を断ち切るためにチェス盤を急いで用意した。
きっちりと一時間後、来客を告げるベルが鳴った。それと同時に勝負も決着する。僕の負けだった。もちろん今回は、潔く負けを認めて綺麗に片付けをした。片付けを終えると、客人を玄関まで出迎え中へと招き入れる。
「お久しぶりです。元気にしていましたか?」
「はい、お久しぶりです。元気にしていましたよ」
「俺も俺も、久しぶり。元気にしていたよ……あれ、もしかして俺には聞いていない?」
時間を置いたからか、敵意が前よりも小さくなっていた。疑われたことは水に流したようだ。
天ヶ瀬が呼び出したのは、篠原と未央だった。事件の話を聞いて、捜査の協力をしたいと頼まれてから久しぶりに会う。二人とも、急に呼び出されたからか落ち着きがない。緊張しているらしい。
「いえ。お二人とも心配していたので、お元気そうでなによりです。どうぞ適当に座ってください」
それが分かっていて、天ヶ瀬はあえてすぐには本題に入らない。席に座った後も、最近はどう過ごしていたとか、先ほどのチェスの結果だとか、おそらく二人には興味のない話題を提供している。
それがしばらく続き、さすがに焦れた未央が、話を遮るように手をあげた。
「そういえば、朝のニュースを観ましたが、あれってあなたのことですよね? 色々と言われていましたが、大丈夫なんですか?」
直球ではなく、遠回しな尋ね方だった。天ヶ瀬の身を案じているようで、全く心配していない。むしろいい気味だと思っている。まだあの時のことを忘れていなかったらしい。
「大丈夫ですよ。樋口さんとは誤解がありますが、いずれそれも無くなるでしょう」
「きっと、あの人にも怒らせるような行為をしたんでしょう。私達の時みたいに犯人扱いして。名指しされなくて良かったですね。そうなったらそうなったで、あなたにとっては面白いのかもしれませんが」
「確かに。一度、責められる立場を経験するのも、今後の役に立ちますね。さっそくテレビ局に声明を」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
天ヶ瀬を困らせるつもりだったとしたら、作戦は失敗だ。どういう状況でも、恐れよりも楽しさが勝つ。追い詰められれば追い詰められるほど、逆に嬉しくなるという特殊性癖を持っていた。
そのため、未央の言葉も楽しませる要因となった。慌てる姿を見て、天ヶ瀬は微笑む。その表情で、からかわれているのを察したらしい。彼女の眉間にしわが寄った。
「本当に嫌な人ね。からかったの」
「お互い様ですよ。それで、事件について何か変わったことでもありましたか? 怪しい人でも見つけました?」
「それはこっちのセリフじゃないの? 新しい被害者が発見されたようですけど、犯人について少しでも分かりました?」
ようやく本題に入れたので、怒るよりも話を優先するらしい。しかし言葉に棘はある。
「この事件の犯人は、用意周到に準備をしているみたいですね。冷静沈着で抜かりがないです。随分と念入りに事件を計画しています」
「あら。テレビの話では、サイコパスの仕業だと聞きましたけど。違うんですか? 被害者は、たまたま近くにいただけだって。行きずりの犯行では?」
「行きずりの犯行ではありませんよ。その場で犯行を決めたとすれば、防犯カメラに映っていなかったのも、裏口を使って逃走したのも説明がつかなくなります。これまでの事件、全てが計画されたものです。それに、サイコパスという意見に私は反対です。この事件の動機は復讐、人を殺す快感を犯人は持っていません」
「樋口さんという方は、今まで色々な事件で力を貸していると聞きましたよ。そんな方が言っているのに否定するんですか? それに復讐って、まだ私達の疑いは消えていないみたいですね。とても残念です」
未央は、樋口の言うことの方が正しいとばかりの反応だった。口に手を当てて、驚いた表情を作る。そして疑われていることには悲しんだ。その隣で、篠原は話に入るべきかと迷い、結局邪魔をせずに黙ることに決めたようだ。しかし何も出来ず、居心地が悪そうだ。自分が何故、今ここにいるのかが分からないのだろう。未央の助けになれない。話にも入れない。使えないと思われても不思議じゃなかった。
困っていた彼は、ふと僕の存在に気がついた。そして仲間だと判断したらしい。緊張が緩む。僕もあえて、柔らかい表情を向けた。その方が、天ヶ瀬の仕事もやりやすいと考えてだ。別に僕はあえて話に入らないだけである。一緒にはしないで欲しい。
「まだその部分で、樋口さんとは意見の相違があるようです。いずれ分かり合える日が来るでしょう」
「私はそうは思えませんけど」
「まあ。誰にでも合わない人はいますからね。無理はしません」
未央と天ヶ瀬は一見穏やかだが、その間にはピリついた空気が漂っている。それでも、前回と比べるとマシだ。
「……こんなふうに喧嘩している場合ではないですね。呼び出したのには理由があってのことでしょう。もしかして協力に関することではないのかしら」
「もう少し、あなたとお話していたかったのですが残念です。おっしゃる通り、お二人にぜひ協力をお願いしたいことがあります。引き受けていただけますか?」
話が楽しかったのか、やり返してくる気概を好ましいと考えたのか、本心からもう少し続けたかったようだ。しかし、未央の方はそうではなかった。天ヶ瀬の一方的な片思いだ。
「その内容にもよりますが、協力は惜しみません」
「篠原さんはどうですか? 協力してくれます?」
「え? あ、ああ。もちろん」
「それは良かったです」
もしかしたら、篠原さんは騙されやすい人間かもしれない。なんの抵抗もなく頷いて、これが詐欺だったらどうするつもりか。そうじゃなくても天ヶ瀬に隙を見せるべきではない。
「助かります。それでは篠原さんには、調べていただきたい人がいまして」
「調べてもらいたい人? えっと……これって」
「ええ。最初の事件の被害者である、樋口聖子さんです」
気を許したから、すぐに利用される。しかも面倒な方法で。思いもよらなかった頼み事に、口を引きつらせた篠原だったが、断れない状況に追い込まれて諦めるしかなかった。
「し、調べろって、何を調べればいいんだ? 俺よりも仲間の刑事に頼めばいいじゃないか。蒜山って人。そっちの方が情報が集まるだろう」
「いえ。篠原さんだからこそ、分かる情報が欲しいのです。どうかお願いいたします」
「……分かったよ。ツテを使ってみるけど、収穫が無くても文句を言うなよ」
「当たり前です。文句なんて言いませんよ。ただし。どんなに小さく、つまらないと思う情報でも、絶対に調べたことは全て報告してください」
僕も、何故篠原に頼むのか理由は分からなかった。蒜山に頼むべきという言葉の方が同意出来る。しかし天ヶ瀬の考えは、いつだって正しい。僕が考えている程度じゃ追いつけないぐらいに。今回は篠原でなければいけないのだ。
「篠原さんはいいとして、それなら私は何をすればいいの? ただ、じっと待っていろって? 仲間はずれは嫌よ」
「もちろん。未央さんにしか出来ない頼み事をするつもりです」
「そう、それなら良かった。私には、どんな無理難題を押し付けてくれるのかしら? とっても楽しみ」
「無理難題なんて、そんな。出来ることしか頼みませんよ。未央さんには、とある人に会ってほしいと思いまして」
「とある人。誰かしら」
そう言いながら、天ヶ瀬は一枚の写真を未央に差し出す。写真の人物を、僕は知っていた。知っていたからこそ驚き、疑問が湧く。どうして、この人と未央を会わせようとしているのか。
「この女性はどなたですか?」
その人物に、未央は心当たりがないらしい。すでに会っているかと思っていた。彼女も被害者家族だ。交流している可能性はあった。しかし、今のところ彼女は誰とも関わりを持っていないようだ。
「彼女の名前は、三宅晴香さんと言います」
「……三宅。どこかで聞いた名前だわ」
「五番目の事件被害者、三宅正樹さんの奥様です」
「ああ、それで。通りで聞いたことがあるわけね」
天ヶ瀬が差し出した写真には、晴香が写っていた。捜査資料としてもらったのか。随分と前に撮られたらしく、穏やかに笑う姿は幸せそうだった。おそらく、結婚当初の写真だ。
「私がその晴香さんと会って、何をすればいいのでしょう」
「話をしてください」
「話を? 事件について?」
「いえ、違います。彼女はとても苦しんでこられたので、友人のように普通の話をしてくれればいいのです。このままだと、彼女は閉じこもったまま壊れてしまうでしょう。未央さんになら、晴香さんもきっと心を開くはずです」
「……彼女、訳ありなのね。分かった。日程を調節するから、連絡先を教えてちょうだい」
「そう言ってくださると思っていました」
話の中で何か感じるものがあったのか、未央は素直に受け入れた。差し出した手に、天ヶ瀬はあらかじめ用意していたメモ用紙を渡す。断られるとは全く考えていない。彼女もそう思ったのか、メモ用紙を口元に当てて軽く睨めつける。
「あなたって、女好きですよね。今まで、どれだけの人を泣かせてきたの? ぜひ教えてもらいたいわ」
「私は、女性には紳士的に接しますよ。泣かせるなんて、とんでもない。犯罪者は別ですが」
「あら、怖い。私も狙われているのかしら。ねえ、教えてくれない? 今まで出会った中で、一番印象に残っている女性の犯人はどんな人でしたか?」
この質問は、未央が予想していた以上に効果があった。天ヶ瀬は微笑んだ表情のまま固まって、そしてぎこちない表情になる。痛いところをつかれたらしい。
「申し訳ありませんが、それは……昔のことなので覚えていません。それに面白くない話ですから」
はっきりとした拒絶の言葉だった。これ以上は聞くなと、そう伝えていた。ここまで頑なな態度、今の質問が天ヶ瀬にとっては気分を害するものだったようだ。特に際立って悪意のこもった質問ではなかったが、女性の犯人に嫌な思い出でもあるのか。僕の知らない間の、天ヶ瀬のトラウマだ。
「そう、ごめんなさいね。変な質問をしちゃって。無理に答えてもらう必要は無いわ」
「いえ、せっかく興味を抱いていただいたのに。お答え出来なくて申し訳ありません」
「そこまで興味は抱いてないから大丈夫」
未央も、これは触れてはいけない領域だと感じたのか追求しなかった。引き際を見誤らないところは、賢い女性の証拠だ。おそらく深堀していたら、後悔することになっていただろう。
「私の方こそ、デリカシーの欠けた質問だったわ。言いたくないことはあるわよね。あなたと違って、そこら辺はわきまえているの。それよりも、この女性のことは任せて。私は苦しんだ女性の味方だから。今まで何十年も姉の相手をしてきて、こういうのは得意なの」
「あなたに頼んで正解でした。ありがとうございます」
「お礼なんて。結果が出てからにしてちょうだい。そうは言っても、気が合わない可能性はゼロではないでしょう?」
「たとえ失敗しても誰も責めません。晴香さんは、それぐらい心に深い傷を負っています。ただ、味方がいることを実感してほしいのです」
晴香を、随分と気にかけていたみたいだ。単なる殺人事件の被害者遺族ではないからで、それは未央も同じだ。僕の予想だが、二人を引き合せるのが目的なのだろう。未央も同時に救おうとしている。
「分かった。他に何か頼みたいことある?」
「あるにはあるのですが、ここで伝えるわけにはいきません。篠原さん、未央さん、それぞれに頼みたいことがあります」
「今じゃ駄目なの?」
「申し訳ありません。この頼み事に関しては、お互いに知らないでいてほしいのです。内容を記したこちらの手紙をお渡ししますので、絶対に一人で開封していただけますか?」
天ヶ瀬の合図で、僕はこれまたあらかじめ用意しておいた封筒を、篠原と未央のそれぞれに差し出した。二人とも、中身が気になるのか封筒を透かそうとしているが、二重構造になっているので無駄な努力だった。
「中には何が書いてあるの?」
「それを教えてしまったら、内緒にする意味が無いでしょう。絶対にお互いに知られないようにしてくださいね」
「あなたなら教えてくれると思ったのに。残念。そんなに重要な頼み事なのね。ますます気になるわ」
「今日、その封筒はお互いのいないところで、一人で開けて中を見てください。絶対に。読み終わった後も、内容については話をしないように、よろしくお願いいたします」
「そこまで言うのなら分かりました。約束します」
初めは、後でこっそり一緒に開封しようとしていただろうが、天ヶ瀬が真剣に頼んでいるのが伝わり二人は約束した。
あの手紙を用意したのは僕なので、どちらの手紙の中身も知っている。
未央の方には、『篠原澪を、相手に気が付かれないように見張っていてください』
篠原の方には、『小松未央を、相手に気が付かれないように見張っていてください』
と、印刷された文字で書かれている。一言一句、天ヶ瀬が頼んだ通りにした。用意しながら、どうしてこんなことをするのかと尋ねた。お互いを監視させて意味があるのかと。僕の問いかけに、天ヶ瀬は頬をかいて答えた。
「今回の事件で、私は誰も信用していません。しかし事件は、すでに六件も起こっています。猫の手も借りたいぐらいに、人手が足りていないでしょう。篠原さんと未央さんは、事件の後に一緒に行動するようになりましたから、お互いに見張ってもらった方が都合がいいのです。なにか怪しい動きをすれば、すぐに分かります」
自身の力不足を恥じている姿に、この事件が思っている以上に彼の手を煩わせているのだと知った。そして未だに、二人を疑っていることを。
「天ヶ瀬は、この事件がどう終わると考えていますか?」
聞いてから後悔した。どんな質問だ。この事件がどう終わるかなんて、意味が分からなすぎる。すぐに取り消そうとしたが、その前に答えが返ってきた。
「私が上手く立ち回ることが出来なければ、犯人は目的を達成して終わるでしょう。ずっと引っかかっているものさえ明らかになれば……絶対に見たことがあったはずです。私の脳も、いつの間にか錆びついてしまったようですね。こんな肝心な時に使えない」
「似たような事件を見たことがあったのですか? それは、早く思い出したいですね。……ああ、そうだ。テレビで、また事件の特集が組まれるそうなので、それを観たら思い出すかもしれませんよ」
こんな話をしたのを覚えている。そういえば番組が放送されるのは、たしか今日だった。おそらく、いや確実に樋口も出るはずだ。
手紙を受け取った篠原と未央が帰るのを見送りながら、僕はずっと頭の中で考えていた。あの二人は、ちゃんと約束を守るだろうか。もしも破ったら、協力関係も破綻する。それぐらいの爆弾だった。しかし心配していてもどうしようもない。きっと守ってくれるはずだ。二人のことを信じて、そちらはもう思考の隅に追いやった。
それよりも、天ヶ瀬の記憶を刺激するために番組を観る方が重要である。急いで片付けると、許可をとる前にテレビをつけた。
「何が始まるのでしょう? ああ、この前言っていたものですね」
「ええ。何か役に立つ情報を得られるかもしれないので。嫌なことを思い出す可能性もありますが、これまでのことを整理するのにはうってつけです」
「そうですね。ちょうど気分転換をしたいと思っていたので、とてもありがたい申し出です。君は気がききますね」
事件のことをすっかり忘れられないが、気分転換をするぐらいならいいはずだ。むしろ、こんなにも困難な事件で天ヶ瀬にかかる負担も大きい。もっと早くに、こうするべきだった。テレビをつけると、すでに番組が始まっていた。突然、画面いっぱいに樋口の顔が映って驚かされる。
「やはり出ていましたか。引っ張りだこですね。天ヶ瀬が嫌なら替えますが、どうします?」
「このままで構いません。なんだか、この番組が私に天啓を与えてくれそうな、そういった気がします」
そう答えた天ヶ瀬の目には、期待で輝いていた。僕には分からない何かを感じ取っているらしい。
『……すでに六人もの犠牲者を出している痛ましい事件ですが、未だにめぼしい容疑者すらいません。被害者の共通点もなく、犯人に繋がりそうな凶器すらも空振り状態。私達は、こうして怯え続けているしかないのでしょうか?』
朝のニュース番組の時と同じく、冷静なようで痛烈に批判している。彼自身、事件に巻き込まれているから、熱くなってしまうのは仕方の無いことかもしれない。そうだとしても、天ヶ瀬や警察を必要以上に陥れるのは違うが。
『何か大きなきっかけがない限り、事件が迷宮入りする可能性は高いです。警察や探偵に出来ないのなら、私が動きます』
「……天ヶ瀬、彼は何を言おうとしているのでしょう」
樋口の熱の入りように、突然恐ろしいという感情が沸き起こる。その不安を何とかしてもらいたくて、助けを求めて天ヶ瀬を見た。
「そうですね。私が考えている以上に、大きな花火をあげようとしているみたいです。それが吉と出るか凶と出るか」
テレビを食い入るように観ながら、その口元には笑みが浮かんでいた。どうしてこんなに楽しそうなのだと、一瞬寒気がした。彼が怖くなった。しかし、大丈夫だと自分に言い聞かせる。
『この事件の犯人に呼びかけます。聞いてください。私の声が届くことを信じて伝えたいことがあります。四月十二日に、私達被害者関係者は、集会を開こうと計画しています』
「集会って……言っていることが分かっているのですかね。目的が不明です」
「集会を開いて、犯人をおびき出そうとしているのでしょう。それか、デモを発生させようとしているのか……」
ここで言葉を切った天ヶ瀬は、眉間にしわを寄せた。
「待ってください。デモ……つまりは暴動。被害者に共通点はないが、凶器が特殊。マフラーで、男性は青、女性はピンク。被害者の年齢は、どんどん若返っていく……」
ブツブツと呟きながら、頭を目まぐるしく回転させている。その邪魔をしないために僕は見守った。
「思い出しました」
そう時間が経たないうちに、天ヶ瀬が興奮した様子で言った。目を輝かせて、僕に詰め寄ってくる。両手を掴み、痛いぐらいに上下に振ってきた。思い出して嬉しがっているところ悪いが、肩が抜けそうだ。さすがに痛い。しかし水を差すようで黙っていると、顔をしかめている様子で痛みに気づいてくれた。
「申し訳ありません。興奮しすぎてしまいました。痛くなかったですか?」
「平気です。それよりも何を思い出したのか、僕に教えてもらえますか。この事件に関係のあることですよね」
事件が始まってから、久しぶりに機嫌が良くなった。それぐらいのことを思い出したのだ。事件解決に繋がる何かを。
「私は自分が恥ずかしいです。パズルのピースは集まっていたのに、それを組み立てることなく眺めていただけでしたから」
故意ではなくとも焦らしてくる。このままだと、自分の不甲斐なさの反省会を始めかねない。そうなれば最低でも一時間は止まらない。僕は天ヶ瀬の思考を止めるために、大きな声をわざと出して話しかけた。
「天ヶ瀬の素晴らしい頭脳で、どんなパズルが完成したのか、僕にもぜひ教えてください! 今すぐに!」
褒め言葉を混ぜ込み、気分を良くさせる。その作戦は上手くいき、天ヶ瀬は口元をしきりに撫で始めた。
「そうですね。自己嫌悪に陥る必要はありませんね。私以外の人は、未だに気づいていませんから。それだけ、この事実が非日常的なのでしょう」
反省するのを止め、ようやく説明する気になった。プライドは高いが、それを上回るぐらい褒められるのが好きなのだ。
「私は、これにとてもよく似た事件を知っています。それも、ずっと昔から」
「似た事件。一体いつ起こったものです?」
「そうですね……ざっと七十年以上前ですかね」
「なっ、七十年以上前ですか。随分と昔の事件ですね。さすがに、そこまで昔の話は知っている人の方が少ないから、気づかれないのも当たり前です。むしろ、天ヶ瀬はどうして知っていたのですか?」
いくら見た目が老けているとはいえ、天ヶ瀬は七十年以上前から生きているわけが無い。まさか、これまでに起きた事件の全てを記憶しているのか。天ヶ瀬ならありえそうだ。そのぐらいの変態性を持ち合わせている。今まで一緒にいた中で、そういう場面はたくさん見てきた。
「私だけでなく、知っている人はたくさんいます。この世界に大勢」
「世界規模って。切り裂きジャックとかそういう類ですか。そこまで有名な事件ならば、もしかしたら僕も知っているかもしれません」
「いえ。私の知る限りでしたら、君は知らないはずです」
「結局、どんな事件なんですか?」
話を引き伸ばされすぎて、本当に思い出したのかと疑う心も出てきた。僕の目に熱が失われ始めたのに気づいて、天ヶ瀬は苦笑する。
「退屈させてしまいましたね。ついつい話を脱線させたくなってしまいます。この興奮を長く続けたい。そう思ってしまって。付き合わせてしまい申し訳ありません。その事件は実際に起こったものではなく、物語の中で起きました」
「物語の中?」
「はい。アメリカの偉大な作家です」
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