第3話 新たな事件


 第五の事件被害者である三宅みやけ正樹まさきについての話を聞くため、僕と天ヶ瀬は例のごとく蒜山の運転で、彼の自宅がある茨城に来ていた。そこには妻がまだ住んでおり、彼女に話を聞く予定だ。三宅夫妻に子供はおらず、結婚して十五年、借家で生活していた。

「DVの疑いあり、ですか。被害を訴えたことが五回。しかし、そのどれも数日後には取り下げられていたわけですね」

「死んだ人間のことを悪く言いたくはないが、被害者の三宅正樹は正真正銘のクズだ」

「蒜山刑事がそこまで言うのなら、よほどでしょうね」

 車で移動中、時間があるからと天ヶ瀬は資料に目を通していた。一度読んでいて、一言一句頭の中に入っているはずだが、時間を潰すためだ。ペラペラと紙をめくりながら、気になることを口に出していく。それに蒜山が忌々し気に答えた。

「今から話を聞く被害者の妻、三宅晴香はDV男にカモにされるような大人しい女性だ。これまでのようなやり方は、あまりお勧めできない」

「私がその晴香さんを傷つけると、心配なさっているのですか? 大丈夫ですよ。私は女性に紳士にふるまいますので、あなたもよく知っているでしょう?」

「容疑者に対しては、性別関係なく容赦がないところもな」

「おや。晴香さんは容疑者ですか?」

「仮定の話だ。他意はない」

 蒜山は鼻を鳴らすと、勢いよくハンドルを切った。それで、天ヶ瀬がどこかにぶつければいいと考えたようだ。しかし驚異的なバランス能力を発揮したので、期待していた通りの結果にはならなかった。

 被害者の三宅と晴香の住まいは、よく言えば小ぢんまり、悪く言えばボロボロで今にも崩れそうな小屋だった。あまり、暮らしぶりは豊かではなかったらしい。三宅は無職だったので当たり前か。

 当人にしか分からないことだが、どうして離婚しなかったのかが不思議だ。暴力をふるわれ、さらには朝から夜まで必死に働いて稼いだお金を奪われて、ギャンブルでゼロにされる。それでも、出会った頃の優しさにすがり続けていた。

 そんな夫が、連続殺人事件の新たな被害者になったと知らされた時、彼女の胸に広がったのは悲しみと喜び、どちらだったのか。

「……はじめまして」

 出迎えた晴香を見て受けた印象は、申し訳ないが幸が薄そうだった。雑にまとめられた髪は艶が無く、ところどころに白髪が混じっていた。染める余裕もなかったのが窺える。眉がほとんどなく、ストレスと寝不足で落ちくぼんだ目の下はくまが出来ていた。血色のない唇はひび割れて、かさついている。しかし容姿に気を遣えるようになれば、化けるポテンシャルがあった。

 そこまで考えて、どの立場でものを言っているのだと恥ずかしくなる。慌てて考えを打ち消した。

 あらかじめアポイントを取っていたので、すんなりと中に招き入れられた。

「散らかっていて、すみません」

 蚊が鳴くような、か細い声。家の中は、お世辞にも整理されているとは言えなかった。物が雑多としていて、床にはビールの空き缶やつまみの袋が捨てられている。散らかしたのは三宅で、死んでなお片づける気力もなくそのままになった。そんな感じか。

 僕達はそれぞれ腰を下ろす場所を探し、天ヶ瀬はソファに、蒜山は丸椅子に、僕は床にスペースを空けて座った。晴香はうつむきながら、場違いなパイプ椅子を選んだ。座る瞬間に、耳障りな軋む音を立てる。油が足りていない。

「夫の話を聞きたいと言っていましたが、具体的に何を聞きたいのですか?」

 疲れているのを隠そうともせず、視線もそらしたまま尋ねてくる。自身の体を抱きしめるように腕を組んで、気を許していないのを言外に伝えた。それか、僕達から身を守ろうとしている。もしかしたら死んだ夫かもしれない。

「旦那様から暴力をふるわれていたのは事実ですか?」

 普通だったら、一番初めに聞くような質問ではない。しかし、それをあえて聞くのが天ヶ瀬らしい。晴香は、しばらく微動だにしなかった。聞こえなかったのかと思ったぐらいに。かなり時間をかけて、ようやく口を開いた時には、質問の内容を忘れそうになっていた。さすがに冗談だが、それぐらいの時間がかかった。

「暴力ではありません。私が至らなかったので、正そうとしてくれる躾でした。それが、周囲から見れば行き過ぎたものに思えたらしいですが、私はそう感じておりませんでしたよ」

 まるで、芝居のセリフみたいだった。あらかじめ答えを用意していたと僕は感じた。しかしそれは、三宅に強制され覚えさせられたのかもしれない。彼女は、夫が死んでもなお捕らわれている。解放されるには、自身で変わるしかないだろう。とにかく月日がかかりそうだ。

「そうでしたか。これは失礼いたしました。旦那様は、いつも事件があった競輪場に行っていらしたのですか? それとも、あの日はたまたま行っただけですか?」

 DVについては、これ以上追求せず話題を変えた。晴香もまた、事件当日にはアリバイがあるから、深く掘り下げても意味はないと判断したのだ。

「競輪をする時は、いつもあの場所でした」

 今回は、早めに答えがあった。相変わらず声が小さい。少しでも物音を立てたら、かき消されてしまいそうだ。耳を澄まして声に集中する。もしかしたら、大きな声を出すのも禁止されていたとか。深く考えると同情してしまいそうになるので、話に意識を戻した。

「大体、どれぐらいの時間、出かけていたのか分かりますか?」

 その質問に、彼女はくすりと笑った。

「時間なんて決まっていませんよ。お金が無くなるまで、ずっとそこにいましたから。勝っても負けても同じ。それに、終わった後は、少しだけ残った小銭で飲んでくるので、いつ帰ってくるかなんて予想もつかないです」

「それもそうですね。無駄な質問をしてしまい申し訳ありません。あなたは、そこに着いていったことはあります?」

「私が? どうしてそんなことを聞くんですか?」

 そこで、晴香は初めて顔を上げた。天ヶ瀬を見る目はうつろで、生気が感じられない。その目は、僕に死んだ魚を想像させた。ずっと見つめられていると、不安にさせられる。

「夫婦ですから、一緒に出掛けていたのか気になりまして。旦那様を、とても好きだったようですし」

 天ヶ瀬は全く怯まなかった。むしろ楽しそうだ。まっすぐ彼女と視線を合わせ、そして皮肉を言葉に混ぜ込む。

「……私のことを馬鹿にしているんですね。そうでしょう。夫にいいように利用された馬鹿な女だって、そう思っているんでしょう」

 攻撃は成功して、晴香の声が大きくなる。じっとりと睨みつけ、今から呪おうとでもしているみたいだ。本人からすれば、実際に呪っているのか。

「馬鹿にはしていません。そう思わせてしまったのなら、謝罪いたします。私がお聞きしているのは、あなたはどこまで旦那様の行動を把握しているのかということです。どうか教えてください」

 今回は、完全に怒らせる計画ではないらしい。穏やかな様子に毒気を抜かれたのか、晴香の視線が再び下に向いた。

「……夫とともに出かけることは、ほとんどありませんでした。私は仕事で忙しかったし、主人は私が着いてくるのを望んでいませんでした。どこでどういう風に過ごしているかなんて、聞かないから知りませんよ」

「そうですか。事件当日も、どこに行かれたのか知らなかったわけですね。競輪場で、どういう風に過ごすのかも知らなかったのでしょう。それは、とても残念です」

「お力になれずにすみません。……あの、夫は今話題になっている連続殺人事件の犯人に殺されたんですよね? 犯人についての手掛かりは見つかっているんですか?」

「事件についての話は、詳しくお伝え出来ないのです。犯人を捕まえた際には、きちんとご報告いたします」

「つまりは、まだ何も掴んでいないということですね」

 三宅について無遠慮に尋ねた仕返しに、晴香はちくりと棘を刺した。これまでよりは攻撃の手は弱かったが、怒らせるのに成功したらしい。天ヶ瀬は特に焦らず、どうしてか彼女の手を握った。

「なんですかっ?」

 許可もなく突然のことだったから、今日一番大きな声を出した。腕を振って離そうとしているが、天ヶ瀬は絶妙な力加減で握り続ける。

「は、離してください。警察を呼びますよ」

「警察はここにいる。先生、それ以上するようなら俺は遠慮なく逮捕する。その前に離せ」

「大げさですね。……とても苦労なさった人の手です。私は、こういった手の持ち主が、とても好ましいと思っています」

 蒜山に注意されたのにも関わらず、しばらく手を離そうとしなかった。むしろ撫で始め、この場にいる全員を引かせた。晴香も不気味すぎて、声が出なかったようだ。完全に被害者である。さすがにやりすぎだと、僕は天ヶ瀬の手をとった。

「やりすぎですよ。本当に捕まります」

「君が言うのなら止めましょう。晴香さん、あなたは胸をはって生きるべきです。旦那様のことを忘れて、新しい人生を進むべきです」

「私は……私は幸せになれません。なり方なんて、とっくの昔に忘れてしまったから。今の私はからっぽ。彼がいなかったら、存在意義なんてないの。いてもいなくても同じ」

 彼女は自嘲気味に呟く。しかしその瞳には、涙の膜がはっていた。天ヶ瀬の言葉が響いている。自身も、夫にとらわれすぎていたと心の底では理解し、その呪縛から解き放たれるのを望んだ。言葉はきっかけに過ぎない。

「これから、どうすればいいの?」

 迷子の子供のように頼りない声に、天ヶ瀬はもう一度手を握った。

「まずは美味しいものを食べましょう。近くにおすすめの場所がありますので、ぜひ」

 今度は、手が振り払われなかった。



「本当に、興味深い事件ですね。これまでに関わった中でも特に。そう思いませんか?」

 晴香と食事を終えた後、僕達は家へと帰った。蒜山は用があるので警視庁に戻った。これまでの報告をするらしい。天ヶ瀬のした行動を考えると、素直に話せば絶対に怒られそうだ。しかし彼の性格上、正直に話すのは目に見えている。上司の胃の調子が心配になる。

「犯人の目星はつきましたか?」

「見えてきたものはありますが、ぼんやりとしていますね」

「珍しいですね。すでに犯人が分かったかと」

「私も全能ではありませんので、すぐに犯人が分からないのが珍しいとは言いきれませんよ」

 本人はそう言っているが、これまでこういったことはなかった。事件の内容を聞いただけで、犯人が分かった時もある。そういったところを何度も見てきた僕からすれば、今の状態の方が信じられない。予想さえもついていないなら、この事件はかなり手こずりそうだ。

「とにかく、最初の事件が重要でしょう。そこに、この事件の全てがあるはずです」

「随分と最初の事件にこだわっていますが、どうしてですか?」

「連続殺人事件には、必ず核となる事件があります。犯人の強い意志を秘めているものです。犯人にとって、一番成し遂げたかった殺人。それが、今回は最初の事件だと私は考えています」

「もしかして、犯人は夫の浩三さんだと?」

「いえ、そこまでは。彼にはアリバイがありますから。とにかく、手がかりを見つけるとするならば、凶器と被害者達について調べていくべきでしょう。手編みのマフラーというところに、犯人のこだわりを感じます」

 誰かが気持ちを込めて編んだはずのマフラー。そこに犯人が殺意を込めていたとしたら。想像したら寒気がした。とても恐ろしい考えだった。

「それに、気がかりなことがあります」

「気がかりなこと? なんですか?」

「五人の人間が命を奪われました。しかし、五番目に殺された三宅さんが、最後を飾るにふさわしい人物とは思えません。とても言い方が悪いですが」

 最後にふさわしくない。関係者が聞けば、怒りから殴られてもおかしくない言葉だ。しかし僕は納得してしまった。

「それでは……まだ事件は続くと、そういうことですか?」

「あくまでも、今のところは仮定ですが。可能性としてはゼロではありません。むしろ高いです。そうなった場合、私達にはタイムリミットが迫っています」

「タイムリミット?」

 天ヶ瀬は事件資料を引き寄せた。

「警察もすでに把握していると思いますが、最初の事件が起きた三月一日から、一週間ごとに事件が起きています。五番目の事件は三月二十九日、つまり次が起こるとするなら一週間後の四月五日に起こるかもしれません」

「四月五日って……あと四日しか残っていないじゃないですか!」

 今日は四月一日だ。僕達に残された時間は、考えている以上になかった。思わず叫んでしまい、大声が好きではない天ヶ瀬は顔をしかめる。

「被害者の共通点も、犯人の目的も分かっていない今、私達に出来るのはとにかく事件の情報を集めることです。しかし、とにかく時間が足りません。……無意味だったとしても足掻くしかないでしょう」

 自信なさげな表情に、僕は一抹の不安を感じた。



 そしてその予感は現実のものとなり、犯人に繋がる証拠を得られないまま四月五日を迎え、蒜山から新たな事件が起こったという連絡を受けた。

 六番目の被害者は、東京都のある路地裏で発見された。白井しらい恵子けいこ三十二歳。現場から百メートルも離れていない、クラブ『farfallaファルファッラ』のNo.2ホステスだった。

 死亡推定時刻は午前三時頃で、クラブは営業中。彼女は接客の合間、客が途切れたタイミングで外に出た。目的は喫煙するためで、犯行現場である人目につかない路地裏までわざわざ行ったのは、店での彼女は箱入り娘キャラを売りにしていたからである。クラブで箱入り娘というのはなかなか矛盾しているが、夢を見させる場所だから考えるだけ野暮か。

 そういう理由で、人に見られないように自ら一人になった彼女は、煙草を吸っているところで襲われた。声を出す暇もなかった。彼女が店の外に出てから三十分。戻ってこないのを不審に思った従業員が探しに行ったところ、殺害されている被害者を発見した。

 死因は絞殺による窒息死。首には手編みのマフラーが一つ結びにされていて、色はピンクだった。


 天ヶ瀬が心配していたように、新たな事件が起こってしまった。

 蒜山から連絡を受けて、僕達は深夜という時間関係なく現場に駆けつけた。駆けつけたとはいっても、迎えに来てくれた蒜山の部下に連れてこられてだ。現場に着いたのは、すでに空が明るくなりかけている頃だった。

 夜の街は、普段であれば逆に眠りにつく時間だろう。ネオンの華やかさから、朝日が現実を照らす。酔っ払い、散乱するゴミ、それを荒らすカラス。

 しかし今は、異様な空気が包み込んでいた。事件が起こった時間は深夜だったが、ここでは昼間よりも人が多い。人から人に話が伝わっていき、規制線をはられた外にはたくさんの野次馬の姿があった。そのほとんどが、どこか怯えを含んだ表情をしている。こんなにも身近に連続殺人犯が忍び寄っていた事実に、恐怖を抱いているのだ。

 そして警察とは思えない僕達が中に入るのを、強い視線で見つめてきた。

 天ヶ瀬が協力しているのは伝達されているのか、追い出されはしないが蒜山の姿を見た時には安心した。他の刑事と話をしていた彼は、こちらに気がつくと駆け寄ってきた。

「朝早くに連絡してすまなかった」

「いえ。時間を気にせず、何かあれば連絡してくださいとお願いしたのはこちらですから。それで、本当に六番目の被害者で間違いないのですか?」

「ああ。絞殺の手口が同じで、まだ詳しい検査をしたわけではないが、凶器のマフラーも今までの現場にあったものと同じだ。六番目の被害者とみていいだろう」

「……そうですか。残念です」

「もしかして、こうなるのを予想していたのか?」

 殺人が続くかもしれないという考えを、蒜山には話していなかった。確証が無かったからだ。しかし伝えておくべきだったと、天ヶ瀬は後悔しているらしい。

「外れればいいと、そう思っていたのですが。私の考えが間違っておりました。申し訳ありません」

 これまでに見たことがないぐらいに落ち込んでいて、肩を落として謝罪する。いつもとは違った様子に、蒜山も責める気持ちが削がれたのだろう。髪が乱れるぐらい、勢いよく頭をかいた。

「仕方ない。知っていても、誰が狙われているか分からなかった。結局何も出来ないで同じ結果になっていただろう。ただ、今度からはどんなささいなことでも話してくれ。先生の考えは、それぐらい重要だから。お願いだ」

「承知致しました。蒜山刑事が味方なのは分かっているつもりでしたのに。頭に叩き込んでおきます。ありがとうございます」

 天ヶ瀬は彼の手を握り、感謝の意を尽くした。大げさな様子に、ただでさえ向けられていた視線が集中する。その視線に気がついて、蒜山が手を振って叫んだ。

「分かったから離してくれ!」

 叫び声のせいで、さらに目立つ結果となった。


 ようやく落ち着いた蒜山の案内で、事件現場を見に行く。死体はすでに運ばれていて、鑑識作業も一段落している。そのため、入る許可を得られた。

「被害者の白井恵子は、このポリバケツのところに寄りかかるように座らされていた。ほとんど抵抗のあともなくて、今のところ不審な人間を見たという目撃情報もない。犯行は短時間で行われたようだ」

 死体が運ばれたとはいえ、殺害現場だと思うと寒気を感じる。特に今回は、薄暗く決して綺麗とは言えない細い路地裏。死体があったと説明された場所は、青いポリバケツとたくさんのゴミ袋が集まっていた。

 クラブできらびやかに着飾っていた女性が、こんなジメジメとした場所で殺され放置された。とても無念だっただろう。

 最期の瞬間、彼女は何を考えたのか。それは、本人にしか分からないことだった。

「通りに監視カメラがありましたが、あちらに犯人の姿は映っていたのでしょうか」

 その言葉に、通りに目を向けると確かにカメラがあった。路地裏とはレンズが向いている位置がズレているが、犯人の姿を映している可能性が高い。しかし、蒜山は忌々しげに首を振った。

「犯人は土地勘があるみたいでな。この路地の奥に、別のビルに繋がる裏口があって、そこから出入りしたようだ。そっちには監視カメラが一台もない。一応、あのカメラ映像は確認してもらったが、被害者以外は映っていなかったと報告を受けた。つまり、念入りに計画されていたらしい」

「被害者は、行きずりやその場で狙われたわけではないということですね。全て計画されて実行に移された。そうなると、かなり良くないです」

「これ以上、よくないことなんてあるのか?」

 新たな被害者が出た以上によくないこと。それは、天ヶ瀬の口から残酷に放たれた。

「犯人は目的を達成するまで止まらないでしょう。そして、彼女は最後ではない。これからも事件は続くということです。……まだ私の個人的な意見でしかありませんが」

「……勘弁してくれ」

 蒜山の声には切実な響きがあった。しかし、天ヶ瀬が発言を取り消すことはなかった。

「被害者の働いていたクラブで話を聞くことは可能でしょうか? 出来れば、殺害時刻に店にいた人全員に」

 監視カメラが不発だったので、今度は別の角度からアプローチをするようだ。先ほどまで落ち込んでいたはずなのに、今は楽しそうで、不純な動機なのではと疑ってしまう。蒜山も同じ考えに至ったらしい。嫌そうな表情になった。

「事件のことを質問するために留まってもらっているが、全員に聞く必要があるのか?」

「あるかもしれません。それと、蒜山刑事にもやってもらいたいことがあるのですが、協力していただけますか?」

「事件解決に必要なことなら、なんだってやる」

 内容を聞いた蒜山は考えに考えて、たとえ天ヶ瀬の目的がきらびやかな女性と話がしたいためだとしても、事件解決に繋がるのならばと提案を受け入れた。

「それでは、さっそく行ってみましょう」

 天ヶ瀬が先導して意気揚々と来たクラブ『farfalla』は高級感に溢れ、一般人には足を踏み入れづらい雰囲気だった。白を基調としている内装は、入ってすぐに下へと続く階段があり、現実世界から抜け出せる。おりた先には、これまた白いグランドピアノが置いてあり、イベントの際は有名なピアニストが演奏したりするのだろう。天井には、一体いくらするのだろうと値段が気になるシャンデリアが飾ってあった。センスはかなりいい。

 今は営業時間外で、そして捜査中のため店にふさわしくないくたびれたスーツの刑事や、青の制服を着た鑑識がうろついていた。その方が入りやすいが、おかしな光景だ。

 店の奥にはVIP用の一段高い場所があって、そこは布で薄い仕切りがされている。中に置かれたソファに、従業員達が不満げに座ったり背筋を伸ばして立っていたりした。黒服と呼ばれるガタイのいい男達が八人。ホステスは二十人ほど。その中央で泣いている着物のママと、おそらくNo.1ホステスがいた。ママを慰めながら煙草を吸っている。

 当たり前なのだが、女性達の容姿は整っているので、相手にされないと理解していても緊張してしまう。

 まっすぐにそちらに近づくと、低く苛立った声が聞こえてきた。話しているのは、NO.1ホステスと予想した女性だった。近くの刑事に向けて文句を言っているらしい。

「まだ帰してもらえないの? もう話はしたでしょう? 私達だって暇じゃないんだけど」

 話しかけられている刑事は経験が浅いのか、何度も頭を下げている。

「申し訳ありませんが、もう少しお聞きしたいことがあるので、しばらくここで待機していてください」

「さっきから、そればっかり。ただでさえ事件に巻き込まれて大変なのに、こんなふうに拘束されて、店の中はグチャグチャに荒らされて、店に不利益が生じたら警察がどうにかしてくれるの?」

「それは、えっと」

 一方的にやり込められ、可哀想なぐらいに追い詰められている。彼は、助けを求めるように周囲に視線を向けた。そして天ヶ瀬、さらには顔を知っている蒜山に気がついた。

「詳しい話はあちらの方が!!」

 体全体を使って指し示すと、脱兎のごとく逃げていった。それでも蒜山に向けて敬礼するのを忘れなかったのは、刑事としては躾が行き届いている。悲しい性とも言えるが。

 文句をぶつける相手がいなくなり、女性は新たに現れた存在に意識を向ける。

「まあ、少しは使えそうな人が来たかしら。ちょっと、こっちに来てくださる?」

 目線で近づいてこいと促してきたので、特に逆らうことなく彼女の元へ向かう。近づくと、煙草と様々な香水の混ざった臭いがした。たくさんの人が集まっていることで、一つ一つはいい匂いだとしても台無しになっていた。ハンカチで鼻を塞ぎたくなる。しかし、それは失礼だ。僕はポケットに伸ばしかけていた手をおろし、口呼吸で誤魔化す。天ヶ瀬と蒜山は涼しい顔をしていた。慣れているのかポーカーフェイスが上手いのか、それともこれ以上酷い臭いを知っているのか、もしかしたら鈍感なのかもしれない。とにかく僕も、表情に出さないように気をつける。臭いを我慢しながら近づくと、彼女はにっこりと微笑んだ。

 艶のある黒髪を一つにまとめて胸の前に流し、シャンパンゴールド色のドレスに身を包み、スリットから覗く足を見せつけるように組みかえた。ややキツめの美人だが、化粧を落としたら幼くなるタイプだと予想する。

「先ほどからずっと聞いているんだけど、私達はいつになったら帰してもらえるのかしら?」

 刑事に文句を言っていた時よりも、一オクターブぐらい声が高くなった。人を見て態度を変えたのだ。

「これはこれは失礼いたしました。あなたは、この店No.1のレイラさんですね」

 それに対し胸に手を当て、天ヶ瀬は恭しく頭を下げた。こちらはこちらで、紳士的に対応するようだ。

「あら。私のこと知っているのね。あなた、この店は初めてじゃないの?」

「いえ。、初めてです。お店の入口にレイラさんの美しい写真と、その下にNo.1と書かれたプレートがありましたので。実物は写真では伝えきれないほど、お美しいですね」

「お上手ね。あなたは警察には見えないけど、どちら様?」

「これはこれは申し遅れました。私、捜査協力をしております名探偵の天ヶ瀬と申します」

 天ヶ瀬の対応はレイラのお気に召した。やはりNo.1だったか。そして、これまでの様子から見ると、実質的に店を仕切っている。隣に座っているママはというと、未だに涙をハンカチで拭い続けていて、まともに話をするのは難しそうだ。

「私も自己紹介させてもらうわね。私は『farfalla』No.1のレイラよ。事情聴取? っていうのはもう済ませているから、そろそろ家に帰りたいの。駄目かしら」

「長時間拘束してしまい申し訳ありません。あと少しだけ、お付き合いいただけますか?」

「いつもなら、お断りって言ってやるところだけど、あなた面白いからいいわ。名探偵の天ヶ瀬さん」

「光栄です」

「それで? 何が聞きたいの?」

「早速お言葉に甘えて」

「ちょ、ちょっと待て! 勝手に話を進めるな!」

 いざ天ヶ瀬が質問しようとした時、蒜山が大きな声で止めた。

「なによ、大きな声出して。せっかく話をしようとしていたのに」

 レイラは止められたことで興が削がれたとばかりに、鋭い視線を向けた。しかし蒜山はものともしない。

「レイラさんと言ったか。あんたと、ここの責任者には個別で話をしたい。だから俺と来てもらおうか」

 有無を言わさずとばかりに、蒜山は命令した。そういう方法は、当たり前だがレイラは気に入らなかった。

「私は天ヶ瀬さんと話がしたいの。あなたはお呼びじゃないわ。命令しないでくれる? そういうの大嫌い」

 顔に向けて煙を吐きかけて、そっぽを向く。従うつもりはないという意思表示だ。

「なんだと。こっちは公務執行妨害で連行してもいいんだからな」

「なにそれ、脅しているの? 面白い。こういうのって、マスコミに訴えたら困るのはそっちじゃないの?」

 煙草を吸って笑うレイラの背後に、大きな蜘蛛の巣が見えた気がした。赤い舌が口から覗き、唇をなぞっていく。その顔は、蒜山をどう料理したものかと考えているようだ。

「お待ちください、レイラさん。この方が、とんだ失礼をいたしました。私とあちらで話をしましょう。もちろんママさんも一緒に。それなら構いませんか?」

 男を手玉にとるレイラの手が伸びる前に、天ヶ瀬が自然と間に入った。そして、彼女の手から煙草をさりげなくとると、近くにいた黒服に灰皿を出させて消した。

「落ち着いて話が出来る場所に行きませんか?」

 そのまま、エスコートするように彼女を立ち上がらせる。

「あなたとなら良いわ。行きましょう。こんな無粋な人の傍にいると息が詰まっちゃう」

 レイラは天ヶ瀬の腕に絡みつき、蒜山に向かって小さく舌を出した。今度は猫を思わせる姿だ。天ヶ瀬は、ハンカチを握りしめながら成り行きを見守っていたママにも手を差し伸べた。彼女は展開についていけないという風に戸惑っていたが、天ヶ瀬の柔和な笑みに、結局手を取る。

「これぞ、まさしく両手に花ですね。男冥利に尽きます。さて、麗しきお嬢様方。私のつたないエスコートで申し訳ありませんが、どうぞ着いてきてください」

「本当にお上手な人ね」

 ママも泣きすぎて赤くなった目をしながら、くすくすと笑った。そのまま三人は、おそらく誰もいないのだろう部屋へと連れ立って歩く。その姿が完全に消えるまで見送って、蒜山が大きく息を吐いた。

「騒いでしまい申し訳ない。あの二人がいるところでは、話しづらいことがあるかと思ってな」

 レイラとのやり取りの時とは違い、蒜山の高圧的な雰囲気が無くなった。突然の変化に、残っていた人達が軽くざわつく。

「亡くなった白井恵子さん。この店ではミヤビと名乗っていたな。彼女は、この店のNo.2だった。その順位ゆえに恨みを買っていたり、トラブルに巻き込まれていたことはないか? 誰が何を言ったとしても、あっちに行った二人には内密にしておく。俺が知りたいのは、彼女が誰に殺されたのか。そしてその理由だ」

 全員の顔を見渡す。内密にするとは言っても、裏切るみたいですぐには話せないのだろう。お互い顔を見合わせて、どうしようか迷っている様子だった。何かを隠している。僕でも分かった。それが、どういった類のものかが重要だ。

「あの……本当に内密にしてくれるの?」

 しばらくして、一人の女性がおそるおそる手を上げた。整っているよりは、可愛いと評される容姿だった。こちらも化粧で、素顔からは色々と変えている。そして真っ赤なドレスが胸元と足を強調していた。

「あなたは?」

「私はNo.3のマリカって言います」

 マリカと名乗った女性は、真っ赤に染めたマニキュアを見つめて息を吹きかけている。

「ミヤビを恨んでいた人を知りたいんでしょう? それなら一人しかいないわ。さっき、あのキザったらしい人といなくなったレイラよ」

「マリカさんっ!」

 軽口のような言葉に、近くにいた黒服がたしなめた。

「なあに? みんな知っていることでしょう?」

 しかし、マリカは鼻で笑う。

「私はあなたの方が好きだから教えてあげる。レイラとミヤビは犬猿の仲っていう言葉が可愛いぐらいに、すごく仲が悪かったのよ。しかも最近、ミヤビはNo.1になりそうなぐらいの勢いがあったから、レイラにすれば邪魔だと思ったはずよ。それこそ、殺したいぐらいにね」

「それが、あんたの個人的な妬みからなるデマじゃない証拠はあるのか?」

 蒜山は聞かされた情報をうのみにせずに、疑うような視線を向けた。こういう場所は、足の引っ張り合いなど日常茶飯事だ。善意に見せかけて、この機会にNo.1のレイラを陥れようとしている可能性は十分にあった。捜査の邪魔をされたくないと、そう蒜山は考えているのだろう。

「疑り深いのね。さすが刑事さん。そうね、レイラもいなくなってくれれば、私がこの店のNo.1になれるわ。とっても魅力的な話。でもね、これは本当の話よ。ちゃんと証拠もあるから」

 蒜山に疑われたのを気にせず、どこからかデコレーションされすぎて持ちづらそうなスマホを取り出した。口元に笑みを浮かべながら、画面をタップしたりスクロールしたりすると、目的のものが見つかったのか堂々と突き出してきた。

「これを見たら信じてくれる?」

 画面には二人の女性が映っていた。夜に撮ったものなのか薄暗いが、一人はレイラだと分かる。そうなるともう一人はミヤビだろう。二人の表情は明るいものではなく、険悪な空気が流れているように見えた。しかし、蒜山の表情は固い。

「これだけでは証拠とは言えない。悪意を持って切り取ったかもしれないだろう」

 彼の言うとおり、写真だけでは証拠としては弱い。たまたま、そういう表情の写真を見せているだけかもしれない。その指摘にマリカは笑った。

「まさか、これだけなわけないでしょう。私を舐めないでくれる?」

 そう言って画面を一度タップした。すると二人の女性が動き出し、音が聞こえ始める。写真ではなく動画だったらしい。レイラとミヤビが言い争いを始める。

『あんた私の客を横取りしたでしょ。何考えているの?』

『人聞き悪いこと言わないでくださいよー。青山さんはミヤビの方がいいって、指名してくれたんですからー』

 最初に聞こえてきた声はレイラのものだった。そうなると、次に聞こえた鼻にかかった話し声はミヤビというわけだ。自身で名前も言っているので確実だ。声の印象だけだと、ミヤビは女性に嫌われそうなタイプである。その代わり、年配の男性には好かれそうだ。クラブに向いている人間だろう。

『知っているんだから。あんたが、その牛みたいな体を使って客をとっているのを。何が清純派よ。この尻軽が』

『何言うんですかー。ひどーい。レイラさんってー、性格キツめですよねー。しかも、すっごーくスレンダー。モデルだったらいいかもしれないけどー、お客さんはみーんなミヤビのことが好きだって言ってくれますよー』

『このっ!』

 映像はここで終わった。

「これでも、証拠としては弱い?」

 マリカがわざとらしく尋ねてきた。答えを聞かなくても、ある程度分かっているはずなのに。

「その映像を提出してくれ」

「いいわ。これを見たら、二人がどれだけ仲が悪かったか分かるでしょ? 殺してやりたいと思っていたって、私は驚かないわ」

「事件があった時間、レイラは何をしていた?」

 レイラには動機があったのが証明された。しかし、それよりも重要なのはアリバイの有無だ。映像が転送されたのを確認しながら放たれた質問に、急にマリカは視線をそらす。

「えーっと、何時頃だっけ?」

「午前三時から三時半までの間だ」

「私も接客していたから、どうだったか分からない。もしかしたら、外に出ていたかも」

「それはありえません」

 明らかに勢いの失ったマリカの話を、別の人間が遮った。それは黒服の一人で、年齢は二十代前半ぐらいの、学生に見える若い男性だった。髪をオールバックにしてはいるが、全く威圧感はない。

「田中。私が話しているんだから、邪魔しないでくれる?」

 話を遮られ、苛立った様子でマリカは睨むが、田中と呼ばれた若者は怯まなかった。

「その時間、レイラさんはずっと店にいました。ミヤビさんを殺せたはずがありません」

 そしてレイラのアリバイを、はっきりと言い切る。かなり自信がありそうだ。

「それは確かか? 数分でも席を外すことはなかったのか?」

「はい! 絶対です!」

 蒜山が凄んでも、彼は大きく頷いた。

「今日、レイラさんがついていたお客様は庄司様と言って、レイラさんが大のお気に入りなんです。少しでも傍から離れると機嫌が悪くなるので、庄司様がご来店された時はレイラさんが席を外すことは絶対にありません!」

「それが事実だとして、今日も絶対にそうだったと断言出来るのか?」

「出来ます! ミアさん、そうですよね?」

「へっ?」

 突然指名され、端の方に座っていた女性が驚いた声をあげる。薄い黄色という地味なドレスを着ていて、どこか野暮ったさのある人だった。自分に視線が一気に集中したせいで、太ももの辺りでドレスがしわになるぐらいに握りしめている。

「庄司様のところにヘルプでついていましたから、レイラさんが一度も離れなかったのを知っているはずです。ね!」

「えーっと」

 ミアは、おそるおそるといったふうにマリカを見た。視線を受けたマリカはというと、先ほどまで意気揚々と話していたのに、今は眉間にしわを寄せて黙り込んでいる。完全に無視の態勢だ。マリカの顔を立てるか、正直に話すか、可哀想なぐらいに青ざめた表情でミアは頭の中で天秤にかけていた。

「……はい」

 そして、結局認めた。頷いた途端、舌打ちが聞こえてきたが、マリカは素知らぬ顔でスマホを操作していた。ミアは泣きそうになっている。

「一度も離れなかったのか?」

「た、たぶん」

「たぶんでは困る。一度も席を外さなかったのか、なにか理由をつけてどこかに行ったのか、どっちなんだ?」

 マリカに怯えて、蒜山に詰め寄られて、まるで紙のごとく顔色が真っ白になった。今にも倒れてしまいそうだ。

「えっと……その」

「これは、重大な殺人事件の捜査だ。虚偽の証言をしたら、それが悪質なものの場合は逮捕するかもしれない」

「い、一度も席を離れませんでした!」

 逮捕の言葉が決め手となった。店中に響き渡るほどの声で叫ぶと、重圧に耐えきれなかったのか崩れ落ちる。その体を受け止めた蒜山は、どうしたらいいか分からずに目を白黒とさせた。

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